兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第200回 ツガエ、兄の施設入居を考える】
「兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし」が、連載200回を迎えました。いつもご愛読いただきありがとうございます。
記念すべき節目の回ですが、ツガエマナミコさんと兄の暮らしに、特別の変化があるわけではありません。排泄のことをはじめ、進行する兄の症状と格闘しながら、本日もマナミコさんは、介護とは、そして人生とは…と思いを巡らせています。
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「いよいよかな」と思うことが増えてきました
初夏の候、みなさまいかがお過ごしでございましょうか。
ついに200回を迎えてしまいました。
お時間を割いてお読みいただいている方々がいるからこその連載でございます。足掛け4年といったところでしょうか。改めまして、本当にありがとうございます。
「そろそろ施設をお考えになった方が…」とおっしゃっていただくたびに、「負けてたまるか」という変な力が湧いてくるあまのじゃくでございまして、なんとか日々を生きております。
でもこのところ、兄の排泄物陳列罪には手を焼いておりまして、さすがに「いよいよかな」と思うことも増えてまいりました。デイケアの連絡帳にもお粗相の情報はお知らせしておりまして、「もう少しデイケアの日を増やしてみてはいかがでしょうか?」というお言葉をいただきました。
1~2日増やしたところで何も変わらないと思うツガエは週1ペースを変えるつもりはございませんでしたが、もしも、お粗相攻撃の原因が「かまってくれないことへの反発」だと考えたら、デイケアでたくさんの人と交流する時間を増やした方がいいのかもしれないと考えるようになりました。
唯一の家族であるわたくしの「愛情欠乏」が問題行動の原因かもしれません。たとえそうだとしても、ねじ曲がったわたくしはもう兄を「お兄ちゃん」として愛情深く見ることができません。
「認知症はスキンシップが大事」などという記事を観たりするとゾッといたします。ときどきハグされそうになると後ずさりして完全拒否の態度を露にいたします。「なんにもしないよ」という兄の笑顔が不気味だと感じてしまうのですから、わたくしの精神もやばいところにあるのかもしれません。
しかしながら…
先日、身体障がい者の女性の方のツイッターへの投稿が話題になっておりました。「介護施設での異性の職員による入浴介助や排せつ介助は耐えがたい」という内容で、それについての議論がYouTube番組でされていました。施設では慢性的な人手不足で致し方ないのが現実なよう。逆に男性の施設利用者を女性職員が介助しなければならないところもあるとのこと。
ふと、我が兄の入浴や排泄介助はどうなっているのかと思いました。そして、縁もゆかりもない兄のそれをやらなければならない人をこれ以上増やしてはいけないような気がして、やはり施設入居を思いとどまった次第です。
いずれにしろ介護施設を巡ってそういうことが問題になるとは残念なことです。
女性が男性の職員に介助されるのは嫌だと思うのも当たり前ですが、介助には力が必要であることも事実。その点では男性の方が適任ですし、それがダメならマッチョな女性を育成するのも一つの方法でしょう。介護する側もできれば利用者に変な誤解や不快を持たれたくないはずです。でもすべてを理想通りにできないのが現在の日本の介護施設なのでしょう。
腐るほどお金を持っているなら、至れり尽くせりの高級介護施設に入って「女性じゃなきゃイヤ」とか「イケメンならいい」とか言えばいいのですが、大多数の庶民はそうはいきませんものね。
施設職員さまもそんなことを言われてはお気の毒でございます。認知症の後期になるとお便さまお尿さまの粗相は当たり前で、人によっては暴力や暴言を受けても、耐えなければならないことでしょう。
それなのに報酬は決して高くない。わたくしは介護職の方こそ一流企業に負けないくらいの高給取りであるべきだと思っております。限られた人しかなれないようなステイタスの高い職業になればいい。
介護施設がとんでもないお金持ちしか入れないくらい高額になればそれも可能かもしれません。そうなったら庶民は長生きしたら大変だと思い、太く短い人生が理想の生き方になるでしょう。すると今抱える国の医療費負担は軽くなり、その分、子どもたちの教育や育成にお金を使えて少子高齢化は解消できるのでは?
おっと、記念すべき第200回だというのに、また絵空事を描いて楽しんでしまいました。
そのうち優秀な入浴介助ロボや排せつ介助ロボができるかもしれませんから、異性介助問題は解決するかもしれません。短命を目指す生き方が先か、ロボット開発が先か、お楽しみでございます。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性60才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現64才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ
●経本と現金150万を抱え、足は豆だらけでした。父が行方不明になった10年前を回想/その2【実家は 老々介護中 Vol.19】