兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第179回 “感情の受け身”習得中】
進行する若年性認知症の兄の症状。一緒暮らす妹でライターのツガエマナミコさんを悩ます大きなことの一つに排泄のトラブルがあります。トイレではないところで、御用をしてしまうのです。昨年、「にぃさんぽ」(兄の予期せぬおでかけ)をきっかけに、毎日リハビリパンツを穿くようになり、ひとまず安心かと思っていた矢先にまた事件は起きてしまいました。マナミコさんにエールを送ります(編集部より)。
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お風呂のお便さま騒動
久しぶりに叔母から電話をいただきました。
「今日はお兄ちゃんのお誕生日だったかしら?」と、叔母独特ののんびりとした平和なお声に癒されました。
「まぁ!ありがとうございます。でも残念、明日でした~」とひとしきり笑って、最近兄の捜索願を出した話やリハパンを穿きだしたことなどをご報告いたしました。本当は兄との暮らしにイライラしうっ屈しておりますのに、そんな素振りは微塵も見せず「でも元気でいてくれるから助かりますよ」と、さも平気な声を出してしまいました。
電話を切ってから、わたくしは叔母のお誕生日を知らないし、たぶん叔母もわたくしの誕生日を知らないだろうと考えました。でも兄の誕生日の近くになると「お兄ちゃん、もうすぐお誕生日よね?」といつもお電話をくださる。兄は初孫として祖父母・親戚にかわいがられた男の子。そんなことにもすこしばかり嫉妬した心の狭~いツガエでございます。
今朝は兄の奇行にわたくしは嗚咽をもらさずにおられませんでした。
リハビリパンツの穿き替え儀式で、新しいリハパンを穿いてもらおうとしたとき、兄が「なんかある…」と言ってわたくしにお尻を見せてくるので、「トイレットペーパーでも挟まっているのだろう面倒くさいな」と思い、シャワーを浴びてもらうことにしたのです。
お湯になったシャワーヘッドを渡して、「自分でお尻を洗ってね」と浴室の扉を閉めてしばらく待っておりました。数分後、浴室の扉を開けてみると、さあ大変! 排水溝にお便さまが山盛りになっているではありませんか。しかも出しっ放しのシャワーのお湯が行き場を失くして浴室の床に広がってゆく……。慌ててシャワーを止め、「えぇ? なんでここでしちゃうのぉぉぉ?!」と叫んでおりました。
「さぶい…」と言う兄に順番に服を着せ、朝食のある食卓に座ってもらいました。
わたくしは、不機嫌さをあらわにして浴室のお便さま掃除でございます。ゴム手袋をし、兄がいつもお尿さま入れとして愛用しているゴミ入れにお便さまを移し、それをトイレで流し、浴室の床に広がったお便さまの欠片をシャワーでガンガン流し、ボディシャンプーを撒いてスポンジでゴシゴシ…。泡を流し終わるともう汗だくでございました。その間ずっと「何てことしてくれるんだ、どうしてこんなところでするんだ、わたくしはこんなものを掃除するために生きているんじゃない!」と呪文のように唱えておりました。
ひとしきり罵詈雑言をつぶやききったわたくしでしたが、さすがに朝食を食べる気になれず、兄と同じ食卓に座っているのも嫌だったので、パンやフルーツにラップをして、コーヒーだけを持って自室に引きこもりました。兄を目の前にしていたら自分が何を言い出すかわからないと思ったのです。物理的に距離をとり、姿が見えないところへ身を置いて、音楽を聴いたり動画を見たりすることで徐々に平和な心を取り戻すのでございます。
よくよく考えれば、ほかのどの場所よりも浴室という最も水洗いしやすい場所であったことは幸運で、「浴室でよかった」とゆるやかに感情が変化していきました。
ふと新聞のコラムに書いてあったことを思い出しました。
赤ん坊は歩けるようになるまでに何十回、何百回と転ぶ。そのうちに転びそうになると手を突いたりして衝撃を和らげることを知る。歩くことは上手な転び方を知った先にある。柔道でも最初に習うのは受け身。だから感情も安定したものを手に入れるためには「感情の受け身」を習得することが大切ではないだろか―――
とだいたいこんな内容でございました。
わたくしはまさしく今「感情の受け身」を習得している真っ最中なのだと思います。むしろ、もうすぐ還暦という今に至って受け身の特訓は佳境に入っているように思えます。
人生にはのびしろしかございませんね。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性59才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現64才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ