兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第93回 兄はいいお友達を持って幸せです】
ライターのツガエマナミコさんは、若年性認知症を患う兄と2人暮らし中。このところ、症状が進行してきた兄の要介護申請の手続きや病院への付き添いなどで落ち着かない日々だ。そんな中、兄を訪ねて懐かしい来客があったという。
「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
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昭和のズッコケ3人組集合
ある雨の日の昼下がり、わたくしの携帯が鳴り、出ると兄の幼なじみのSさんでした。(第46回にランドセル姿で登場。→46回を読む)
「今、近くにいるんだけど、お兄さんいる?じつはTと一緒なんだけど“どうしてるかな”って話になって、もしよかったら会えるかなと思って……」(Tさんも同様に登場済み)
本当にありがたいお話です。兄が認知症だとわかっていながら会いに来てくださるなんて、兄は優しいお友達に恵まれたものです。
「もちろん、もちろん! 何にもありませんが、是非ぜひ!」と電話を切って、兄に「SさんとTさんが来るって。近くまで来たから寄るってさ。覚えてるよね?」と言うと、「SとTか。団地のさ、あっちのほうに住んでて、たしか、お父さんが個人タクシーの運転手さんでさ、遊びに行くとちょうど仕事に行く時間で……」と思い出せる話をポツポツと語ってくれました。
これは兄にとっていい刺激になると思い、原稿書きのお仕事は山積みでしたが、昭和のズッコケ3人組にお付き合いすることにいたしました。
幼なじみ同士は「よう、ひさしぶり~!」とあいさつを交わし、何年かぶりの再会にわいわいガヤガヤとしゃべり出したのですが、兄はニコニコしながらもお2人のお話についていけない面持ちでした。兄は自分が30代後半ぐらいの気持ちでいるので、62歳の同級生のお顔に戸惑ったのかもしれません。でもそのうちに擦り合わせが完了し、個人を特定できたようでした。
小学生の頃のことなら、覚えているだろうから次々と思い出して、少しはお話が弾むのでは?と期待しておりましたが、ふたを開けてみれば兄は「あ~、そうか」とか「うんうん」といった相槌ばかり。おそらくお2人のお話のスピードに記憶の抽出が間に合わないのだと感じました。
そんな置いてけぼりでも話を聞くだけで脳は記憶を探して動いているはずと信じ、「この辺も変わったね」という話題から兄に聴かせるようにローカル情報をお2人に伝え、お2人が話される内容を重複するように言い換えたりしてわたくしも会話に加わっておりました。
その後、お話は各ご家族の実情に及び、ツガエ家だけが大変なのではないと知りました。
Tさんの弟さんが不慮の事故で寝たきりになり、行政の支援を求めた話では「いや~もう、けんもほろろよ。あっちはなるべく金を出したくないんだから。もう頼みに行く気をなくした」と怒り心頭されていらっしゃいました。
「じつはうちも年金事務所で兄の障害年金は出ないと言われまして」と言って行政の悪口でひとしきり傷をなめ合いました。
なんとなく話題が暗くなり、小一時間で「じゃ、また連絡するから」とお2人はお帰りになりました。兄はスリッパのまま雨に濡れたベランダに出て、お2人を乗せた車を2階から見送り、お名残惜しそうにしておりました。
でもお見送りが済むと、案の定そのままリビングに上がってびちゃびちゃと床を歩きます。わたくしは、がっかりしながら兄を椅子に座らせて無言で濡れたスリッパの裏と床を拭き、スリッパを兄の足元に返しました。もうサンダルに履き替えてくれと願うことも諦めております。晴れの日はスリッパでどこでもお出入り自由。これぞバリアフリーハウス!?
「Sの弟くんは今何やってるの?」と何度も同じ質問を繰り返した兄に、嫌な顔ひとつせずにカクカクシカジカと答えてくださったSさん、ありがとうございました。
きっと兄が顔を覚えているうちに会っておこうと思ってくださったに違いありません。
ふと「同じことがわたくしにできるだろうか」と考えました。何年も会っていない小学校からの友人が認知症になってきょうだいと同居していて、電話で話してもとんちんかんな会話になるのに会いに行けるだろうかと……。そう思うと、本当に兄は幸せ者です。
帰り際「なんかあったら電話してね」と、この妹をも励ましてくださいました。兄に放った「じゃ、また連絡するから」が社交辞令だったとしてもツガエは決して恨みません。どうかお2人ともお元気で!
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性58才。両親と独身の兄妹が、7年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現62才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ
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