ワンオペ介護が孤独でしんどかった私を救った看護師の言葉
認知症(ピック病)の父親が転んで血の海と化した「おでこが骨」事件がネットをざわつかせるなど、父との生活を綴った介護エッセイが話題のライター・田中亜紀子さん。娘1人での“ワンオペ介護”を実践中だが、介護でてんぱったとき、辛い、しんどいときに思い浮かべる言葉があるという。ワンオペ介護を楽にする心得とは。
認知症の父をワンオペ介護…パニックの連続
私が同居している84歳の父は、認知症で要介護3である。長年病院に行くことを拒んでいた父だが、約3年前に認知症と診断され、その半年後に、ピック病の診断を受けた。
ピック病とは、日本で4番目に多い認知症の一種だ。比較的記憶は保たれるが、人格の変化が起こって理性的な行動がとれなくなり、たとえば瞬間的にかっとなって粗暴な行動をとるなど、特有の症状がある。
→前頭側頭型認知症(ピック病)を家族目線で解説 その特徴とは
そのような状態の父に対し、私が「ワンオペ介護」、つまり1人で通所の手配や日々の見守りの調整などをしているのだが、たびたび発生した困った事件や、体調の変化にパニックの連続だった。
これまで、起こった“事件”には枚挙の暇がない。
父が外出先で転倒して額を大けがし、垂れ下がった皮膚を家で切り取ってしまい、家の中が血の海になり、額から骨が見えた「おでこが骨事件」。
入院手術を経てせん妄状態となり、帰宅した際に庭でじゃんじゃん焚火をして、ご近所から怒号を浴びた「焚火事件」。
父がたびたび事件を起こすたびに度肝を抜かれる。対処に困るのはもちろんだが、こういったことを1人で抱えがちになってしまうのが、なんといってもワンオペ介護の切ないところだと思う。
大きな事件だけでなく、案外、日々の小さな問題の積み重ねがずっしりときいてくるのだ。
→ピック病の父をワンオペ介護する娘に学ぶ認知症との付き合い方
●ワンオペ介護とは?
ワンオペレーション介護の略。元々は1人で育児をこなさなければならない状況のことでワンオペ育児という言葉が広まったが、最近は介護でも同様の使われ方をされ始めた。
認知症の父、熱中性まっしぐら…
今の季節、私が参っているのが「夏なのに布団事件」だ。
気温の暑いときでも、父はエアコン下とはいえ、薄い羽根布団と毛布とタオルケットをかけて寝ている。
それだけでも十分暑いだろうに、先日、父の部屋に用事があって入ったら布団の中からコードがたれていた。
「このコードはなんだろう?」と引き寄せてみると、なんとそれは“電気あんか”だった。
慌てて、コンセントをひっこぬいたのだが、父は真っ赤な顔で汗を流しながら、「寒いんだ」と言い張る。
この際だからと思い、掛けていた毛布をとろうとすると、すごい勢いでひっぱり返してきて、毛布が破れそうになった。しまいには「俺の勝手だ!」と殴り掛かって来る始末。結局、大騒ぎになり、私まで汗びっしょりだ。
本当に寒いなら別にいいのだが、父は大汗をかいている。エアコンの温度を下げれば、さらに分厚い冬用の毛布を出してくるし、エアコンを止めても、かけている布団を絶対に手放さないので、熱中症まっしぐらだ。
そうかと思うと、私でさえエアコンをとめるような涼しい日に「暑いからエアコンの温度をさげてくれ」と言いに来るので、もうわけがわからない…。
対処に困った末、ケアマネさんと相談し、あんかは屋根裏に隠し、これ以上布団類を増やさないように注視。そして私がリモコンを管理。エアコンの温度を調整しながら試行錯誤中だが、私が留守中に父は電気あんかを探してあちこちをひっくり返すなど、布団をめぐる攻防は続いている。
ワンオペ介護の孤独「なぜ自分だけ…」
このような事件はしょっちゅう発生する。
だが、高齢者はちょっとしたことからあちこちの調子を崩すし、父はピック病という病気であるという事実を踏まえると、命にかかわる大事に至ってしまうのではないかと気が抜けない。
ワンオペ介護でもっとも大変なのは、物理的、精神的にまったく手が足りないことだと思う。しかもそこに自分の仕事の調整も入ってくる。介護のことだけでも手が足りないのに、ワンオペで介護を担う人の多くは、自分の生活のために仕事もしなければいけないのだ。
実際、ワンオペ介護をしている人のケースはいろいろ。兄弟姉妹も親類もいない、兄弟姉妹、親類はいるが協力してもらえない。また同居している家族はいても何もしてもらえず、結局1人でやらざるをえないという場合もあると聞く。
特に、兄弟姉妹など血縁者がいるのに協力してもらえないときは、「なぜ自分だけ…」という思いが心の底にたまってくることもあると思う。
そもそも介護は、育児と違って、今までできていたことができなくなっていく様子を目の当たりにするから、それだけでつらいと感じてしまいがちだ。
ましてや、うちの父のように、認知症特有の行動が起こると、娘として情けなくなったり悲しくなったりすることも正直多い。1人で抱え込むと精神的に追い詰められる。
と、ここまでは、ワンオペ介護の大変さばかりを書いてきたが、では、私は、いま、「大変で追い詰められているか」というと、そうでもないのだ。
まず、介護保険を使い、できるだけ通所(デイサービス)のある日々にしている。そして、かなり細かいことまでケアマネさんに報告や相談をして共有したり、「あぁもう困っちゃたな」と愚痴を言いたい時は、友人に聞いてもらったりして、精神的な圧迫を和らげている。
→介護が始まるときに慌てない!要介護認定の申請、介護保険サービス利用の基礎知識
ただ、どんな時も医師やケアマネのアドバイスを聞いても、最終的な決断は自分でしなくてはならないことばかりで、頭の中で答えのでない問いがもうもうと渦巻き、ばったりと倒れたくなるし、孤独を感じることも多いのは事実。
そんな風に追い詰められる私を、ある言葉が楽にしてくれている。
再び事件が…入れ歯があわず嚥下障害?
それは最近起きた「入れ歯事件」がきっかけだ。
父が入れ歯をかけていた歯が抜けて、長年使っていた入れ歯が合わなくなってしまったのだ。新しい入れ歯を作っている間、古い入れ歯でも食事ができるように歯科医へ調整に日々通っているうちに、嚥下障害のような症状が現れたため、嚥下障害の専門外来にも行くことになった。
診断は、「歯茎の中に残っている多くの根っこを抜かないと入れ歯できちんとかむことは難しい」とのことだった。医学的に正しいのかもしれないが、84歳の父がたくさん歯の根っこを抜く治療をして体調に影響はないのか…。
でも、嚥下障害も心配だし、このまま食事ができなくなってしまうのは、もっと困る。
そうこうしているうちに、近所の歯科医で新しい入れ歯ができてきたのだが、それは全く合わないらしく、何度調整しても食事のときに最初のひと口で外してしまう始末。高齢だと口がもう新しいものにあわせられないことも多いそうだし、認知症のせいか、調整のために「試す」ことは難しいようだ。
どうしたらいいの!? と頭が中がぐるぐるしていた時、看護師の友人にこんなことを言われた。
ワンオペ介護で私が救われた言葉
「入れ歯があわない高齢者は多いし、極端にいうと歯ぐきで食べている人も多いのよ。
卵や豆腐など、栄養があって柔らかい食材はけっこうある。食べられるもので栄養がとれればよしとする」
父にあった入れ歯で、きちんと食事ができるようになることばかりを目指していた私は、その言葉にハッとした。
そして、その友人は、こうも言ってくれたのだ。
「高齢者はすぐ体調も崩すので、医学的な見解が正解でない時もある。認知症の高齢者の介護では、高得点の介護を狙うと疲れるし、難しいことが多いから、54点を目指すことにしたらどう?」
54点? 60点もいらないのか…。多くの高齢者を診察する病院に勤める看護師から言われた言葉で、一気に肩の力が抜けた。
私は、介護は仕事と思って割り切っていることもあり、無意識のうちに結果を求めて高得点を目指していたのかもしれない。
万が一、父の入れ歯が永遠にあわなくても、食事の時には外し、歯茎で食べられるもので栄養をとる作戦にすればいい。そんな風に思えたら、急にす~っと気が楽になった(結局、古い入れ歯を調整することでなんとか食べられるようになり、嚥下障害の先生からもOKをもらったのだった)。
それ以来、認知症の父の介護でしんどいときや辛いとき、てんぱりそうになると、「54点54点」と自分に言い聞かせるようにしている。
ただでさえ、ワンオペ介護は途方にくれることが多いので、自分の目標値を54点あたりにしておくと、悩んだ時にひと息つけるかもしれない。
文/田中亜紀子(たなか・あきこ)
1963年神奈川県鎌倉市生まれ。日本女子大学文学部国文学科卒業後、OLを経てライターに。体験エッセイや女性のライフスタイル、仕事についての記事を執筆。芸能人、文化人のロングインタビューや介護関係の記事も手がける。著書に『満足できない女たち アラフォーは何を求めているのか』(PHP新書)、『39.9歳 お気楽シングル終焉記』(WAVE出版)がある。