限界集落の高齢者と都会に傷ついたニートたちの支え合い
「三千三(みちぞう)さん、ドライバー貸してほしいんですけど」。玄関先にいたおじいちゃんに若い男性が声をかける。
「ドライバー? どれどれ」。2人で納屋に入り、棚にあった道具箱を取り出す。
「これでええか? こっちも持っていっていいよ」
「これを借りますね。ありがとうございます」
納屋から出た2人は暖かな午後の日差しをまぶしそうに受け止め、「今日は風が強いですね」、「4月には花見やな」と他愛のない会話を交わす。家の主人である杉原三千三さん(85才)と、この土地で暮らし始めて1年半になる28才の若者だ。
聞こえるのは、山の木々の葉擦れや谷を流れる川の音だけ。山の斜面にある段々畑の枯れ草が風に揺れて、ゆっくりと時間が流れていた。
ここは和歌山県南部の紀伊半島にある田辺市の山間部。市街地から車で走ること約2時間、携帯電話の電波も圏外になる三川地区の五味集落は、住民数5世帯7人、平均年齢75才以上という“超限界集落”だが、そこから連想されるような悲惨さはまったくない。
今、この人里離れた小さな集落に若者が次々と移り住んでいる。
「あそこの誰々さん、孤独死したらしいよ」
65才以上の高齢者が人口の50%を超える地区を意味する「限界集落」は、日本の高齢化を象徴する社会問題として取り上げられてきた。
『限界集落の真実』(ちくま新書)の著者で、首都大学東京都市教養学部准教授の山下祐介さんが指摘する。
「限界集落の問題点は単に高齢者が増えたことではない。平成の市町村合併で中心となる都市に人口が移動し、末端の地域から商店や診療所がなくなった。また財政改革で保育所や学校などの公共インフラ維持から手を引くことで、過疎地の暮らし、中でも子育て世代の生活が立ち行かなくなることが問題なのです」
2009年に1万91集落だった限界集落は、2014年には1万5568集落まで増加した。かつて石川県羽咋市の限界集落を立ち直らせた、“スーパー公務員”として知られる高野誠鮮さんは、行政や住民の無作為を指摘する。
「限界集落が増えるのは、多くの地域で対策が講じられていないからです。本来限界集落化を食い止める“医師”であるべき役場職員が何も対処しない。結果、住民たちも黙ってその集落を閉じる“村納め”を待つだけになる」
限界集落は地方だけの問題ではない。前出の山下さんが言う。
「郊外の団地も限界集落です。子育てをしても、子供が巣立てば高齢者だけが取り残される。敷地も限られているので2世帯住宅にもできず、コミュニティも希薄で高齢者が孤立化しやすい状況です」
住民の約半数が65才以上、2017年には1年で6件の孤独死があったという多摩ニュータウン団地は、“都会の限界集落”の代表格だ。
「パトカーや救急車が団地に来て、1週間後に『あそこの誰々さん、孤独死したらしいよ』と噂が立つ。高度成長期に団塊世代の住宅として開発されたときは子供の声がこだましていたけれど、今はいつも閑散としている。こんなに大人数で住んでいるのに、とても寂しい雰囲気です」(住民)
だがこの状況を逆手にとって「楽園」を築こうと奮闘する人々がいる。
冒頭で紹介した和歌山県の五味集落は、1000mを超える山々が連なる山岳地域に点在する集落の1つ。もとは林業従事者が多く、活気のある村だったが、高度成長期を経て都会に出る人が相次ぎ、人口が一気に流出した。
山奥も海外も変わらないだろう、とニート立ち上がる
現在、この集落では5世帯7人の住民に加わって15人の若者が暮らす。3年前にやってきた石井新さん(28才)が言う。
「実家でニートをして、“海外で暮らそうかな”と漠然と考えていた頃にこの集落を知りました。山奥も海外も変わらないだろうと、パソコンと着替えだけ抱えて“移住”したんです」
石井さんは大学を中退してニートをしている時、三川地区に社会に適応できない若者を集めて共同生活を営むNPO法人『共生舎』があることを知った。
『共生舎』を創設したのは、三川地区出身で養護学校元校長の山本利昭さん。石井さんがこの集落に来た直後に山本さんが他界したため、石井さんらは故人の理念である“公的制度によらず それぞれの立場の人が お互いの個性を認め合い 助け合って生きていく”という理念を引き継ぎ、運営している。
若者たちは、廃校となった小学校の校舎や教員住宅の空き家などで暮らす。携帯電話はほぼ電波が入らないが、ガス、電気、水道は利用可能。欲しいものはアマゾンで注文すると2日で届く。食費や光熱費、施設利用料などを合わせても月3万円で充分に暮らせる。若者たちはここで思い思いの時間を過ごす。
「だいたい11時頃起きて寝るのは深夜2時です。日中はごろごろして漫画を読んだりテレビを見たり。予定という予定はありませんね(苦笑)」(石井さん)
こう聞くと単なるニートだが、彼らは集落に住む数少ない高齢者にとって、とても頼もしい存在だ。住民の1人である西村潤さん(75才)が語る。
「若い子らがいてくれるいうだけで、心丈夫やわ。この前もな、村の人が畑で枯草を焼こうとしたらボヤになりそうやったとこを、ちょうどあの子らが通って消してくれたことがあって。ほんまにありがたい」
若者は「お祭り」を守り、高齢者は畑仕事のノウハウを伝授
高齢者たちがとくに感謝しているのは、集落の大切な行事である「お祭り」のサポートだ。
この集落は毎年秋のお祭りで、山の上にある小さな神社に五穀豊穣を感謝するお供えをして、その後に集会所で宴会をするしきたりがある。住民が多い時代は獅子舞が出るほど賑やかな祭事だったが、神社までの山道を登ることが難しくなった。
そこで手を差し伸べたのが、ニートたちだ。彼らは住民の代わりに山道を登り、神社を掃除してお供えをする。終わったら、老いも若きも集まって飲めや歌えで盛り上がる。冒頭の杉原さんも若者たちに感謝することしきり。
「若い子らにはいろんなことを助けてもろてます。お祭りで神社へお供えするんでも、地元の人は誰もできん。石井くんらが代わりにやってくれるから、ありがたいわけや」
逆にお年寄りたちから若者への“プレゼント”も多い。共生舎にある家具やテレビの多くは、「こんな大きいものはいらない」「新しいのに買い替えたから」と住民から譲り受けたものだ。猟師は獲物の鹿をおすそ分けし、農家は畑仕事や山から水を取るノウハウを教える。
こうした地元住民の温かさは都会で傷ついた若者の心にしみる。冒頭で杉原さんにドライバーを借りた若者もその1人だ。
1年半前、人間関係に疲れた彼は精神的に不安定な状態で集落にやってきた。
「何もかも投げ出してここに来たら、これまでつきあったことのないような人たちと出会いました。村の人から頼りにされることが嬉しくて、畑仕事や力仕事は率先してやっています」
また別の20代の若者も言う。
「畑仕事を手伝うと、最初はお年寄りたちから“箸より重いもの、持ったことないのと違うん?”なんて笑われていたけれど、今ではだいぶ板についてきました(笑い)」
同様に集落への「恩返し」を誓うのは石井さんだ。
「特別山奥の暮らしが好きだとか、“限界集落を憂いて”なんて気持ちは一切なかったけれど、村の人たちの温かさに心を打たれました。住民のおばあちゃんが作ってくれたこんにゃくや山菜の味つけは絶品です。村の人たちには本当にお世話になっているので、ここに住み続けてもっと人を呼び込みたい。昔のように獅子舞の出るお祭りも復活させたいですね」
※女性セブン2018年2月15日号
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