84才、一人暮らし。ああ、快適なり<第5回 通院の帰り道>
日本のジャーナリズムや文化に大きな影響を与え続けた雑誌『話の特集』。1965年の創刊から、その後30年にわたり編集長を務めた矢崎泰久氏は、雑誌のみならず、映画、テレビ、ラジオのプロデューサーとしても手腕を発揮、世に問題を提起し続ける伝説の人でもある。
齢、84。歳を重ねてなお、そのスピリッツは健在。執筆、講演活動を精力的に続けている。ここ数年は、自ら望み、一人で暮らしている。そのライフスタイル、人生観などを矢崎氏に寄稿していただき、シリーズ連載でお伝えする。
今回のテーマは、「通院の帰り道」。
悠々自適独居生活の極意ここにあり。
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人間ドックで糖尿病の宣告を受けた
うんと昔の事だけど、50代の働き盛りの頃、不摂生の限りをつくしていた仲間たちが、団体で「人間ドック」に入った。
ひとつには、当時、ジャズピアニストの八木正生さんと、イラストレーターの山下勇三さんが急死されたことに不安を感じたのかも知れない。
一泊二日の精密検査を受け、一週間後に結果が出た。何と9人中私だけが別室に呼ばれ、糖尿病の宣告を受けた。ショックだったが、心当たりがあった。
73歳で他界した母は、糖尿病が原因の心不全で亡くなっていた。遺伝に違いない。
で、直ちにその病院に毎月通う事になった。
通算すると、20数年通ったことになるのだが、どんどん血糖値が悪くなり、インシュリン注射の単位もどんどん上がって、このままでは人口透析寸前ということになった。
ここで初めて、医者に疑いを持った。
血液検査が終わると、血圧を計るとき以外は、コンピューターの画面しか見ない。のべつ薬が変わるだけでなく、量も増える。私は決心して、他の糖尿医を探しはじめた。そして、やっと辿り着いたのが、現在通院している荻窪の『城西病院』だった。つい3年程前のことだ。
病院を変えたら、回復の兆し。通院が楽しくなった
ここの院長さんは日本の糖尿学会の権威でもある笠原督氏だ。まず一週間入院し、徹底的に検査してもらった挙句、改良点が沢山見つかり、翌月から通院することになった。
すると、少しずつ血糖値は下がり始め、インシュリンの単位も減少。悪玉コレステロール、血圧も下がり、心臓も正常に回復したのだった。時間をかけた問診、症状についての会話、食生活の改良なども行われ、不治の病が回復段階に入ったのである。
こうなると、嫌でならなかった通院が楽しくなり、仕事場も病院の近所に移した。
城西病院は環状八号線沿いの四面道にあって、JR荻窪駅から徒歩10分ほど。診察が終わると帰りのルートをいろいろと探索するようになった。それが面白かった。万歩計の数字も知らない間にカウントされる。
JRによって南北に分かれている荻窪の商店街はそれぞれ奥深い上に、様々な名店が揃っていた。10数軒もあるラーメン屋、日本蕎麦屋が凌ぎを削っている。昔からある喫煙できる珈琲店も多い。とにかく目移りするほどの料理店や居酒屋が沢山あるのだ。
もちろん必要品は何でも手に入る街でもある。どこでもある『アトレ』という名の駅ビルにしても、他とは違う趣があった。ブラブラしているとアッという間に時間が経つ。金融機関や役所の出張所も、全部、駅近にあるので便利この上ないのだ。