84才、一人暮らし。ああ、快適なり<第5回 通院の帰り道>
ある時、南口商店街にパン屋が開店した。
開店早々というのに、ママ友らしき人達が行列を作っている。勇気を出して『えだおね』という変わった店名のパン屋さんで食パンを買って帰宅した。これが口に合った。旨い、と思わず声が出たのだ。
実を言うと、私はご飯大好き人間。それも卵かけご飯となれば三食続けられるほどの好物。
幼い頃から戦争に右往左往させられて飢えを知っている世代だから、梅干し一個とご飯があれば嬉しい。ところが、糖尿には炭水化物が大敵。米の飯はなるべく摂らないようにと言われている。
パンとか蕎麦は、私たちは「代用食」と呼んでいた。ご飯が無いので仕方なく代わりに食べるという意味があった。だから、どうしてもパンにはなじめなかったのである。
それが『えだおね』で目からウロコとなった。週に一度はトレイを手に店内をうろうろして、ママ友からは「変なジイさん」と見られながら、あれこれ買って帰る。
とにかく異色な客として通い続けているのだ。
好きになる街、なじめない街
街というものは、不思議なものだと思う。何かのきっかけで親しむようになると、色々なものが見えてくる。それでも好きになる街と、どうしてもなじめない街がある。
それは何が原因しているのか考えてみると、少なくとも行きたくなる店が指折り数えて十指に余るかどうかのようである。
荻窪のように病院から繋がった街は、これまでにひとつもなかった。そもそも通院すること自体が気分的に重い。だから診察が終わったら一目散に家に帰りたくなる。待合室も嫌いだし、いかにも病人そのものといった人たがウロウロしているのも気に入らない。
私は稀な体験をした結果、街の魅力にとりつかれたのである。新薬の実験にされた病院から脱出できたことは不幸中の幸いだったが、ただ医師の言いなりになってきた自分に、今は大いに反省している。
足が痛かったり、疲れたりしても、1日5000歩以上歩いた日は、良く眠れる。人間は歩く動物であることだけは間違いない。
人生にとって、「帰り道」は貴重であると思う。
矢崎泰久(やざきやすひさ)
1933年、東京生まれ。フリージャーナリスト。新聞記者を経て『話の特集』を創刊。30年にわたり編集長を務める。テレビ、ラジオの世界でもプロデューサーとしても活躍。永六輔氏、中山千夏らと開講した「学校ごっこ」も話題に。現在も『週刊金曜日』などで雑誌に連載をもつ傍ら、「ジャーナリズムの歴史を考える」をテーマにした「泰久塾」を開き、若手編集者などに教えている。著書に『永六輔の伝言 僕が愛した「芸と反骨」 』『「話の特集」と仲間たち』『口きかん―わが心の菊池寛』『句々快々―「話の特集句会」交遊録』『人生は喜劇だ』『あの人がいた』など。
撮影:小山茜(こやまあかね)
写真家。国内外で幅広く活躍。海外では、『芸術創造賞』『造形芸術文化賞』(いずれもモナコ文化庁授与)など多数の賞を受賞。「常識にとらわれないやり方」をモットーに多岐にわたる撮影活動を行っている。