倉田真由美さん「すい臓がんの夫と余命宣告後の日常」Vol.88「夫の不在に思いを馳せる夏」
漫画家の倉田真由美さんは、夫で映画プロデューサーの叶井俊太郎さん(享年56)が旅立ってから、2度目の夏を過ごしている。日常生活の中で、ふと夫のことを想い出す瞬間がある。「夫がいればなあ」と感じた今夏のできごととは?
執筆・イラスト/倉田真由美さん
漫画家。2児の母。“くらたま”の愛称で多くのメディアでコメンテーターとしても活躍中。一橋大学卒業後『だめんず・うぉ~か~』で脚光を浴び、多くの雑誌やメディアで漫画やエッセイを手がける。新著『抗がん剤を使わなかった夫』(古書みつけ)が発売中。
洗濯物を干しながら想ったこと
バルコニーで洗濯物を干していると、しばしば夫のことを思い出します。洗濯は夫担当の家事だったからです。
夫は体調が悪くなっても、かなり長い間しっかり自分が分担している家事をこなしていました。「身体がきついだろうし、もうやらなくていいよ」と言っても、いつの間にかやってあるということを繰り返し、私は喜んでいいのか戸惑っていたものです。
特に洗濯物は重いのでバルコニーまで運ぶのが大変なのに、外から帰ってきてうちを見上げると物干し竿に洗濯物が干してあった時は、いろんな思いがない混ぜになって胸が苦しくなりました。
あの風景、秋晴れの日に夫が干した洗濯物が風にはためく風景も忘れられない場面の一つです。
夫がいなくなって家事が大変になったかというと、実はそうでもありません。夫は洗濯のほか、皿洗いやゴミ出しなどもしてくれていましたが、それをすべて私がやることになった今、以前より負担が大きく増えたという感じはしません。
逆に夫がいなくなったために楽になった家事(準備する食事や買い物が減る等)もあるし、慣れてしまえば生活のルーティンに組み込まれるだけです。元々すべてきっちりやるタイプでもないし、家事に関して「独りになって負担倍増」にはなりませんでした。
「夫がいればなあ」と感じること
でも家庭内で、ただ生活を営む中、「夫がいればなあ」と感じることは多々あります。例えば、ゴキブリが出た時。なんと今夏、大きいのが4回も出たので、その度に殺虫剤を手に取りながら夫の不在に思いを馳せました。
4回とも、退治には成功しました。4戦4勝、夫がいてもこれは同じか、もしくは1、2回くらい取り逃がしていた可能性すらあります。一人の方が、迷いなく速やかに処理できたりもするからです。
でも、「ゴキを退治した」という結果だけが大事なわけでもないんですよね。夫がいる時、ゴキブリが出たらいつも私たち二人でやっつけていました。
「そっち行った!」
「どこどこ?」
「棚の裏だよ!追い出して!」
「いや、無理だから!」
ギャーギャー騒ぎながら、共同作業でのゴキブリ退治。これが楽しかったんです、すごく。失敗して大笑いすることも何度かありましたが、夫婦で行なう小さなイベントとして、我が家では夏の風物詩になっていたような感すらあります。
パートナーが存在する意味は、生活費や家事労働を分担し合うといった、目に見える分かりやすいプラスだけではありません。むしろそういうものは、例えば「宝くじが当たる」「家事代行を頼む」などで代替できてしまうともいえます。宝くじが当たるなんて早々ないけど、でも「あってもなくても一緒にいたいと思えるかどうか」が大事なんです。
パートナーの意義、それは自分一人だけでは決して到達できない何かに出会うこと。ゴキブリ退治なんて、一人では楽しくもなんともない作業ですが、夫とだと面白かった。誰とでもいいわけじゃない、夫とだから楽しかった。ゴキブリ退治だけじゃなく、小さなことだけど唯一無二のこと、そんなことが夫とはいっぱいありました。
だから本当に、かけがえのない存在だったと思えます。今からパートナーを探す人には、「お金があること」や「家事育児を協力し合えること」などとはまた別の、「その人と一緒だから楽しめること」にも注目してみてほしいと思います。