《山田邦子が激白》渡辺徹さんなど親友の死、介護を経た母の死、自身の乳がんを経験してたどりついた死生観と終活 「遺言書はよく書き換えている。あと5年したら“サ高住”に入りたい」
『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(フジテレビ系)などピーク時には週17本のレギュラー番組を持ち、本を出せばベストセラー、好感度ランキング8年連続1位など、他の追随を許さない実績を持つタレントの山田邦子さん(64歳)。そんな彼女も静かに死と向き合っていた。自身の乳がん、両親や親友の死別で変化した生死観、終活、理想の老後などについて聞いた。
病院は病気や怪我を治すだけでなく、「体の調子がいいことを確認」する場所
――山田さんは2007年に乳がんが発覚し、現在は寛解していますね。
山田さん:私の経験がお役に立てればということで、全国で講演をさせていただいています。早期発見でしたので命拾いしたのですが、がんが3つもあったんですよ。よく見つけてくださったと思いましたね。放っておいたら体中に転移していたかもしれない。
がんがなくなって18年ほど経ちましたが、がんって他の病気と違って、今日で終わりっていう日がなかなか来ないです。咳や熱が出れば転移したのかな、再発したのかなっていう恐れが何年もついてまわります。だから私は、今日もがん患者です。
大親友が私より後から乳がんの手術をしたのですが、再発して昨年亡くなったんです。新型コロナウイルスが流行した頃、みなさん病院を避けましたよね。それで手遅れっていう人が増えたようです。だから改めて、「病院で健康チェックしてください」と呼びかけるようにしています。
私も部位を分けながら毎月、人間ドックに行ってるんです。大きな検査は半年に1回ぐらいですけど、血液と尿だけでも定期的に検査していれば、大事になる前に見つかるだろうって。これは助けられなかった大親友や、介護をしてきた母から学んだことです。
それまでは、病院は怪我をしたり、病気になってから行く場所でした。でも「体の調子がいいことを確認しに行く」のが病院だって、考え方を変えたんです。同じ病院で検査していれば、どこかが悪ければすぐにわかります。今はそれを心がけています。
人生は死別のつらさに耐えられる強い方が残るようになっている
――母親の死やご自身のがんなどで、生死観は変わりましたか?
山田さん:がんになった時、これで死ぬのかなって思いました。がんはいまや死ぬ病気ではないんですけど、そういう恐怖があって。それが助けてもらえた、命拾いした感覚なんです。だから、バースデーケーキはあと何回食べられるのかな、桜は何回見ることができるのかなとか、そういうことがリアルになりました。
春になったら花を見ながら散歩してみようとか、夏は海で泳いでみようとか、そういう1つ1つを大切にしようと思うようになりました。たくさん悲しいお別れがありますけど、だからこそ、生かされているありがたさを感じて、亡くなった人たちの分も元気に明るくやっていこうと思います。
――渡辺徹さん、笑福亭笑瓶さん、KANさん。ここ数年で山田さんのご友人が何人も亡くなりました。
山田さん:逝っちゃいましたね……。運命とか寿命とか、子供のころから知っていた言葉ですけど、いよいよのしかかってきました。まさかっていう日が突然来るんです。もっと会っておけばよかったって、残された方はずっと引きずりますよね。
私がよくお伝えするのは「大好きな人を失ったらこんなにつらい。だから、人生はそのつらさに耐えられる強い方が残るようになっている」って言うんですけども。パートナーでもどちらかが先に逝きますけど、その順番は強い方が残るんだと思います。……耐えられないけどね。
渡辺徹が逝った時はつらかったなあ。病気ばかりだったけど、最後の最後まで頑張ってた。だから「お疲れさん」って声をかけました。体の半分がなくなったみたいな感じがしましたね。友達が亡くなるのは、親とはまた違う悲しみがあります。
だからできるだけ、後悔しないようにしていますよ。何年経っていても、よくしてもらったのにお礼を言ってないなと気が付いたら、すぐに会いに行って感謝を伝えるようになりました。美味しいものは美味しいってその場で言うとか。
理想の老後は、ゆったりと農業をして暮らすこと
――終活もされているそうですね
山田さん:モノの整理してはいるんですけど、なかなか進みません(苦笑)。バラエティで使う衣装や小道具は四季折々で違って、自前で持っているんですよ。だから捨てられない。すごい量なんですね。それ以外は、本だったら本が欲しい子供たちに送るシステムを使ったりして、できる限り整理しています。
遺言書も用意していて、よく書き換えています。これは友達にあげようとか、弟にあげすぎてるなとかね(笑い)。あとは治療方針、こういう手術はするしない、ということも遺言書に記載しています。
それから、あと5年くらいしたらサービス付き高齢者向け住宅に入居しようと思っています。いろんなサービスがあるので、動けなくなってからだともったいないんですよ。施設によってですけど、みんなでコミュニケーションがとれる部屋があったり、温泉や足湯があったり。だから、いろんな施設を見学して1番気に入った施設に入ろうと思って。見比べるのはおすすめですよ。
――テレビ以外の活動も積極的にされていますね。
山田さん:いわゆる『キャンサーギフト(がんからの贈り物)』ですね、命拾いしたわけですから、いろんなことをしようと思って。例えば、川中美幸さんとデュエット曲を出したんですけど、番組発の歌ではなく、歌手としてCDを出すのは初めてで嬉しかったです。
2008年から、がん撲滅を目指した『スター混声合唱団』を結成して、コシノジュンコさん、小林幸子さん、瀬川瑛子さんなどたくさんの方に入っていただいて、ボランティアで歌いに行くんです。病院や被災地で100回以上公演しています。そういうことも、がんになる前はやろうとも思わなかった。
昨年は『日本喜劇人協会』の11代目会長に就任しました。前会長の小松政夫さんが2020年に亡くなってから、コロナ禍の影響もあって活動が休眠状態だったんです。初代会長は喜劇王と呼ばれたエノケンこと榎本健一さんで、森繁久彌さん、森光子さんなどが歴任された歴史ある協会です。台本を書いたり、みんなのスケジュールやギャラの管理までするので大変です(苦笑)。
――理想の老後生活はありますか?
山田さん:もうすぐ65歳ですから、もう余生ですよ(笑い)。老後だから好きな仕事だけしようと思ったんだけど、全て楽しいから可能な限り受けちゃって、そしたら税理士さんに「今年は昨年の300%働いてます」って言われちゃった(笑い)。
実は、農業をしたいんです。もう千葉県富里市でスイカの栽培をしていますけど、自分と友達にあげるくらいしか作ってないんです。今後は土地を増やして、大根とか葉物野菜も作りたい。今まではネオンがまぶしい土地で生活していたので、夜はちゃんと暗くなる場所でゆったりと暮らしたいですね。
◆タレント・山田邦子
やまだ・くにこ/1960年6月13日、東京都生まれ。1980年に芸能活動を開始し、翌年にデビュー曲で有線大賞新人賞を受賞。1982年第20回ゴールデンアロー賞受賞(第27回にも受賞)。1988年~1995年まで、NHK「好きなタレント調査」において8年連続で第1位。2007年に乳がんが発覚し(のち寛解)、がん啓蒙活動も行っている。2020年より約2年、母親の介護を行う。
撮影/浅野剛 取材・文/小山内麗香