赤木春恵さん 娘が明かす知られざる介護1500日と遺された珠玉の言葉
国民的ホームドラマ『渡る世間は鬼ばかり』『3年B組金八先生』『藍より青く』など数々のドラマ、また数多くの映画や舞台に出演し、名脇役として輝いた赤木春恵さん。
2018年11月29日に惜しまれつつ亡くなった赤木さんの知られざる介護の日々を、愛娘の野杁(のいり)泉さんが明かした本『大丈夫、なるようになるから。』(世界文化社)が発売になった。
赤木さんの飾らない人柄や自身が残した数々の言葉が、長い時間、介護生活を支えた娘の解説と併せて紹介されている。
「ベッドで話したいくつもの言葉が、遺言だった」
芸能界に別れを告げてから亡くなるまでの最晩年、「ベッドで私や家族と話したいくつもの言葉が、母の遺言だった」と語る、娘の野杁 泉さん。
本書では、母と娘の介護1500日、折々に残した「こころの言葉」の中から37の言葉が紹介されている
「無理しないでね。私のことはもういいから…」
≪「私、また来るね!」
その日、いつものように病室を去るとき、
「無理しないでね。私のことはもういいから……」と、母が言いました。
これが、私に向けた母の最後の言葉になりました。あのとき、これ以上頑張ったら私が倒れてしまうんじゃないかと、母はとても心配していた。今でもそう思うことがあります。≫(『大丈夫、なるようになるから。』P.171より)
「人生、おおむねよければ、すべてよし。」
≪「人生、おおむねよければ、すべてよし。」
「白い壁も近くで見ると傷があったり、ムラがあったり、塗り残しがあったり。でも、遠くから見て白かったら、おおむねよしとしよう。考えすぎちゃダメ」
森繁久彌さんから、母がよく言われていたという言葉です。
「努力したからといって報われるとは限らない。教科書がないのが俳優の世界」
母はそんな不条理の極みのような世界で生き残っていく中で、森繁さんに言われた言葉を心に刻み、いつの間にか自分の人生哲学としました。≫(『大丈夫、なるようになるから。』 P.207より)
1500日にもわたる介護の日々を振り返り、時系列で赤木さんの在りし日の姿を追うように構成される。収められた赤木さんの言葉は、生きづらい世の中を生きる私たちを励ましてくれようだ。
介護中の人のみならず、人生に迷う人たちにとっても胸を打つ珠玉の一冊になるはず。
『大丈夫、なるようになるから。』
著者/赤木春恵、野杁 泉
発売日:2019年11月22日(金)
定価:1300円+税
発行:世界文化社
取材・文/介護ポストセブン