《大腸がんステージIIIから復帰の桑野信義》術後を襲った激しい副作用で決断「がんは縮小したけど、抗がん剤治療やめました」
日本人のがん罹患数の1位は大腸がん。がん死亡数では肺に次ぐ2位と、他人事ではない恐ろしい病だ。その大腸がんと闘っているのが、1980年代に大ヒットを連発した「ラッツ&スター(シャネルズ)」でトランペットを吹いていた“くわまん”こと桑野信義さん(66)。グループ活動休止後は、タレントとして『志村けんのだいじょうぶだぁ』『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)などでも大活躍した。
還暦を過ぎ、お腹の調子に異変を感じていた桑野さん。彼が初めて受診したのは、2020年9月のことだった。検査の結果、大腸がんのステージIIIb。結成40周年を記念した鈴木雅之のソロコンサートツアーは翌2021年4月に控えての決断だった。桑野さんは、翌年2月5日にがん切除の大手術を受けたという。
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ツアーに間に合わせようと必死だった
治療はまず、抗がん剤でがんを小さくし、転移を防いでから手術をすることに。そのまま手術をしたら、切除する範囲が大きすぎて、一生、人工肛門になる、と言われたからです。当時は人工肛門だけは勘弁、と思っていましたから。
でも、この抗がん剤の副作用がキツかった。手足が異常に冷たく感じられ(末梢神経障害)、味覚異常、食欲不振、発汗、動悸、胃痛、下痢、吐き気、だるさ、めまい、脱毛……。1クールを始めたその日と翌日にどん底に落ちる。胃痛だけでも歩けないほどの痛みで、寝たきりになりました。便意や吐き気で這うようにトイレに行き、便器を抱えたままへたり込んだり、ぶっ倒れたり。息子の将春(次男)に抱き起こされ、ベッドに連れて行ってもらったこともありました。
副作用の激しい抗がん剤治療でしたが、4クールを耐え手術を受けました。それが15時間に及ぶ大手術です。手術後、ICUで目が覚めたら、尿道、肛門、腹部、背部、腕……体中に管が繋がれ、喉の奥にまで人工呼吸器が入っていました。
仰向けで寝返りさえ打てず、何も飲めず約2週間。手術ではがんを取り切り、転移していたリンパ節もゴリゴリと削ったそうで、途中から痛み止めがきかず激痛に襲われました。手術前も恐怖で叫び出したいほどでしたが、振り返ると、この期間が一番キツかったかな。がんを宣告されてからずっと「闘病記録ノート」をつけているのですが、このときは「地獄だぜ」と書いているんです。
それでも、まだ管がついている状態で上体を起こすこと、立つこと、点滴スタンドを掴んで1歩1歩歩くことから、リハビリを始めました。リーダー(鈴木雅之)やマネージャー、家族の励ましを力に、ツアーに間に合わせようと必死だったんです。
でも、結局、2021年4月からのツアーには間に合いませんでした。15時間の手術をして、退院から2か月で復帰なんて、今考えたら無茶だったんです。
4月のツアー参加断念となり、ツアー後に再開予定だった再発予防のための抗がん剤治療を早めて再開しました。ところが、このときの副作用は、手術前に受けていたとき以上の、想像を超える激しさでした。あまりの苦しさに、“抗がん剤に殺される”とまで思い詰め、精神的におかしくなってしまいました。
闘病中もマネージャーとLINEで頻繁にやりとりしていたのですが、マネージャーはオレの落ち込みように「もう復帰は無理、これは引退だ」とまで感じたそうです。うつ状態だったんでしょうね。精神的にはこのときが一番、きつかったと思います。しびれや異常な冷感などの後遺症は今もあります。
「抗がん剤治療」をやめる!
がんはもうご免だ、再発は避けたい。でも、抗がん剤を続けていたら、復帰どころか命さえも続かない……。医者ともよく話し合いました。医者によると、抗がん剤治療を続ければ必ず再発しないわけではない、やめたら必ず再発するわけでもない、人によって違うのだそうです。
迷ったあげく、抗がん剤治療をやめる決断をしました。抗がん剤治療を否定するつもりはありません。抗がん剤治療のおかげで、がんが縮小したのだから、やって良かった、と思っています。ただ、これ以上は僕はやめよう、と。その代わり、再発はすっごく怖かったので、本やネットで情報を集め、自己免疫力を高める生活をして再発を防ごう、と決めました。
とにかく早寝早起き。夜9時に寝て、朝4時に起きる。ベッドから出たら、窓を開けて深呼吸。バナナやショウガ、ゴーヤ、牛乳、ハチミツなどを入れてスムージーを作って飲む。それから、白湯や黒酢、酵素、黒ニンニク……最近はビタミンCやクエン酸の錠剤も追加しました。料理には、ショウガの千切りを何にでもトッピング。緑黄色野菜や魚を積極的にとっています。
ただ、このところは、ちょっと睡眠不足がち。というのは、今、愛犬チョコ(18歳のミニチュアダックスフント)の介護をしているんです。去年11月のチョコの誕生日にけいれんして倒れて……。隣に寝て、毎日、点滴をして、おむつ交換をしています。かみさんと次男、長女の家族みんなでチョコをみています。
この1月には、オヤジが92歳で亡くなった、という出来後もありました。オヤジとは、オレと長男(MASA)、次男の親子3代で、アルバムをリリースしたこともあるんです。憧れであり、尊敬する人でした。オレががんと告知されてからは、「そっちは大丈夫?」などと励まし合い、最期は看取れました。そういうわけで、自分のことばかりに集中していられなかったんです。
当初は抵抗あったストーマ装着
抗がん剤治療をやめた後は、人工肛門(腸管の一部をお腹の外に出して、排泄口とするもの、ストーマ)を閉じる手術を受けました。がんを切除する大手術の際に、一時的につけていたのです。
でも、ストーマを閉じ、元のように肛門を使って便を出すのは簡単じゃなかった! 肛門は3か月休んだだけで、自分の仕事を忘れちゃうんですね。ストーマ経験者には少なくないみたいですが、排泄をまったくコントロールできなくなっていました。大げさではなく、1日100回トイレに行きましたよ。お尻を拭くたびにヒリヒリ……。
最初はストーマにすごく抵抗があって、恥ずかしいとも思い公表はしないつもりでした。でも、不思議なもので、つけていた3か月間で愛着が湧きました(笑)。僕、処置に一度も失敗しなかったんですよ。
「僕がストーマ装着経験を公表することで勇気が出る人がいたらいいな」
ストーマを付けて堂々とビキニの仕事などを続けている女性のモデルさんもいるんですよね。そのモデルさんに、やはりオストメイト(人工肛門や人工膀胱を造設した人)の女の子がストーマのカバーをプレゼントしているのを、テレビのドキュメンタリーで見たんです。ほかにも、自分が知らないだけで、世の中にはストーマを付けて逞しく生活している人がたくさんいるんですね。恥ずかしがって隠している自分が恥ずかしくなり、公表しました。僕が公表することで、口にする勇気が出る人がいるならいいな、と思っています。
取材・文/中野裕子 撮影/山口比佐夫
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