ヤングケアラーの現状と課題 当事者と専門家の対談で見えてきた「今できる支援」とは
最近脚光を浴び始めた「ヤングケアラー」という言葉を知っているだろうか? 介護ポストセブンで記事を執筆する元ヤングケアラーのたろべえさんと、日本におけるヤングケアラー研究の第一人者である成蹊大学教授の澁谷智子さんによる対談から、現状や課題点、支援のあり方について考察する。
ヤングケアラー当事者✕専門家の対談
対談を行ったのは、元ヤングケアラーのたろべえさんと、ヤングケアラーの研究を続ける成蹊大学教授の澁谷智子さんだ。まずは、ふたりの出会いから――。
澁谷智子さん/1974年生まれ。東京大学卒業後、ロンドン大学、東京大学大学院で社会学・比較文化について学ぶ。成蹊大学文学部現代社会学科教授。『コーダの世界――手話の文化と声の文化』(医学書院)、『ヤングケアラーってなんだろう?』(ちくまプリマー新書)など著書多数。
たろべえさん/1997年生まれ。事故による片麻痺、高次脳機能障害の母のケアを幼いころから続けている元ヤングケアラー。現在は社会人として働きながら、日本ケアラー連盟のスピーカー育成講座を経て、ヤングケアラーの講演活動や情報を発信中。
出会ったきっかけは「コーダ」
澁谷智子さん(以下、澁):初めて出会ったのは2018年、東京・世田谷区のヤングケアラーのシンポジウムのときですよね。
たろべえさん(以下、た):大学生1年のときの研究のテーマで『コーダ※』を選んでいて、先生の論文をたくさん読んでいたので、話を聞きたいなと思ったんです。
※聞こえない親をもつ聞こえる子どものこと。1980年代にアメリカで生まれた言葉。
澁:熱心に質問しに来てくださったのを覚えています。ご自分の意見をしっかり持っている方だと感じました。その後、執筆もしていただきましたが、たろべえさんの言葉の選び方や感性が素敵だなって思っています。
た:いえいえ、そんな(笑い)。コーダは映画※もヒットして話題になりましたし、先生と出会った頃から比べると、コーダにしても、ヤングケアラーにしても、言葉として少しずつ浸透してきているのを感じます。
※2021年に公開された映画『Coda あいのうた』。ろう者の両親と兄と暮らす聞こえる少女の物語。
「ヤングケアラー」という言葉が注目されるようになった背景
澁:ヤングケアラーの調査と支援が進んでいるイギリスでは、1980年代末から実態調査が行われていますが、日本ではそうした本格的な調査が行われるようになったのは、この数年という気がします。
おそらくヤングケアラーという存在は昔からいて、日本でも子どもが家のことをしたり、奉公に出て働いたりすることは珍しくなかったと思います。でも、戦後、生活水準が上がってくると、お父さんは外で働き、お母さんが家のことをして、子どもは勉強や自分のことに時間を使えるという家族像が広く共有されるようになりました。そうした家族像が広まっている中で、親のケアをする子どもたちは、「ほかの子と違うかも?」と感じていたと思います。
た:私自身も周囲と比べて違和感をもっていましたが、「ヤングケアラー」という言葉を知って、自分のしてきたことに名前がついたというのは衝撃でした。
澁:最近になって「ヤングケアラー」という言葉が注目されるようなってきた背景には、世帯人数の減少や共働き化の中で、大人が子どもを頼らざるを得ない状況がイメージされやすくなったことがあるような気がします。
高齢化によってケアを経験する人も増えて、「大人だって介護を担うのは大変なのに、それを子どもの立場でこなすのはしんどいよね」という共感も出てきたように思います。
た:たしかに、きょうだいがたくさんいて、おじいちゃんおばあちゃんも一緒に住んでいるような家族だったら、みんなでケアを分担することができるかもしれないけど、今はそういう世帯は少ないですよね。実際、私もひとりっ子。ケアをひとりで抱えなければならないこともあります。
ヤングケアラーが顕在化しにくい理由
澁:日本では家庭よりも仕事が優先されるという風潮があり、さらに家族のことは家族でなんとかするという意識が根強くあります。子どもが家族のケアをすることは当たり前にとらえられていて、それが子どもの年齢に見合ったケア責任なのか、という視点が足りていません。子どもの側も、自分のしていることをケアだと認識していない場合が多いと思います。
た:私も自分がしていることが介護、ケアだとはっきり認識したのは大学生のときでした。
→「ヤングケアラー」受け入れるまでの心の葛藤|当事者が抱える若者介護のしんどさと孤独
澁:それでも、大変だなと感じることはあったでしょう。そんな時、学校や周囲の大人に話してみようと思ったことはなかったですか?
た:学校の先生や塾の先生にポロっと話してみたこともあるんですが、本来勉強をみることが先生の仕事なのに、余計な仕事を増やしてしまうんじゃないかと思って躊躇していましたし、話したとしても、「だから、こうしたい」といった希望があるわけでもなかったから、そういう実のない話をするのは大人の時間を奪うだけなんじゃないかって思っていて。それ以上は進めないという苦い記憶が多いかもしれません。
学校でヤングケアラーについて伝えていくこと
た:ヤングケアラーについて学校で幼いころから教えてもらっていれば、もっと周囲に話したり、頼ったりするきっかけになったかもしれません。最近は学校で「ヤングケアラー」について学ぶ場も増えているのでしょうか?
澁:教育現場での取り組みはまだ始まったばかりですが、埼玉県ではヤングケアラーサポートクラスといって、元ヤングケアラーと専門家が中学校や高校に行ってヤングケアラーに関する授業をする取り組みが行われています。最近では小学校でも実施されるようになって、私も関わらせていただきました。
た:小学生にヤングケアラーを教えるのはとても難しいように感じますが…。
澁:そうですね。小学生にとっては、教えられたことがそのまま理解される形になるので、その学校の先生方とかなり具体的に話し合い、イギリスの学校で実際に行われていた寸劇を取り入れてみました。ヤングケアラーの1日をテーマにした寸劇です。
12才の女の子の役を体格のいい男性の先生が演じてくださったのですが、その先生はやる気満々で(笑い)。大きな先生が小さなランドセルを背負って学校の帽子を被って登場しただけで、生徒たちに大ウケでした。でも、劇の中で、その主人公が弟の面倒を見たり、体操服が洗えてなかったり、忘れ物をしたりしてしまうのを、小学生たちは真剣に見てくれていました。
劇の後半では、主人公は支援につながって、自分の抱えていた荷物を取り去ってもらって、最後には子どもらしい遊び道具だけが残るのですが、生徒たちはしっかりと見て反応してくれました。
た:そういえば私も小学生のときって先生の寸劇を見て笑った記憶があります。幼いときの教育って潜在的に覚えているものだから、ヤングケアラーについてみんなで学ぶのは賛成ですね。学校のフォロー体制もできていたんですか?
澁:劇を見て「自分もヤングケアラーかもしれない」という子が出てきたときに、それを受けとめるのは先生たちなので、私も当初は心配だったのですが、その小学校の先生方は覚悟が決まっていました。
学校の近くに子どもたちが出入りできる「子どもの居場所」があって、授業のときにはそこのスタッフさんやソーシャルワーカーさんもお招きしてくれていたんです。その方々は授業の中で子どもたちに挨拶してくださって、顔の見えるこうした人たちが支援してくれていると子どもたちに伝わったのは大きかったと思います。
ただ、ヤングケアラーの中には、学校にいるときぐらいはケアのことを忘れたいという子どももいます。「一晩中お母さんの話を聞いた翌日に学校でまでケアのことを話したくない」という話を聞いたときには、そうだろうなと思いました。そういう子どもにとっては、学校が楽しい場所であったり、自分が行きたい場所があったりすることが支えになるのだろうと思います。
ヤングケアラーが安心できる居場所を
た:ヤングケアラーがケアを忘れられるひととき、安心できる居場所があるのはいいですね。私にはそういう場所がなかったかも…。
澁:でも、今こうして執筆や講演をしているということは、きっと子どもの頃から本が好きだったでしょ?たろべえさんにとって本の世界が安心できる場所になっていたんじゃないかしら。
た:たしかに小学校のとき、休み時間は図書室にいることが多かったです。当時はハリーポッターに夢中で、ワクワクしながら読んでいました。ファンタジーの世界に浸ってい
澁:よくヤングケアラーのために何ができますか?って聞かれることが多いんですが、「楽しい時間を一緒に過ごす」。それでいいと思うんです。その子が何をしているときが安心できて楽しいと思えるのか、それを一緒に見つけることが今すぐできる支援なのかなと思います。
た:本当にそうですね。ケアの話をしていると、大変だったことや、辛かったことばかり思い出して、怒りの気持ちばかり湧いてきてしまうのですが、幼いころ楽しかったことも色々と思い出してきました(笑い)。
構成/介護ポストセブン編集部