城戸真亜子さん義母の介護で綴った日記帳公開「母からもらった大切な宝物です」
城戸真亜子さんは、2004年から13年に渡って義母の介護を続けた。義母がかけてくれた言葉やその日の天気や食事の内容などを毎日欠かさず日記に綴っていた。2017年に母が他界した今も折に触れ読み返す宝物だという。母と娘の愛情が詰まった大切な日記の一部を見せてもらった。
13年の歳月は私にとって宝物の時間
義母との暮らしと介護から、城戸さんは多くの気づきや教えを得たと振り返る。
「母との思い出はたくさんあります。たとえば、私が住むマンションの近くに両親が部屋を借りていた時のこと。そのころの母はひとりで出歩いて迷子になることがありました。ある日、買い物に出かけようとマンションのロビーに降りてみると、受付のところに母がいたんです」
義母は嬉しそうに、「あら、真亜子さんも旅行に来てたの? 私、部屋番号が分からなくなっちゃってどうしようかと思ってたのよ」と、話しかけてきたという。
「旅行気分の母を連れて、父と暮らす家まで一緒に帰ることになりました。途中で『フラフラしてしまうから、手をつないでくださる?』と言われたとき、心が温かくなったことを今でも鮮明に覚えています」
義母と手をつないで歩く道すがら、城戸さんは幼いころの出来事を思い出していた。
「私は失敗が多い子どもで、幼稚園の送迎バスに乗り遅れて帰れなくなってしまったことがあるんです。とても心細くて、迎えに来てくれた母の姿を見た時には安心しました。母は私をとがめることもなく、『おいしいものでも買って帰ろうか』とやさしく声をかけてくれました。
『あぁ、私はこうやって、両親やまわりの人たちからたくさんの愛情を注いでもらっていたのだなぁ』と思ったら、感謝の気持ちがこみ上げてきたんです。こんな風に、母の介護を通して、自分がこれまで受けてきた愛情に気づく機会がたくさんありました」
介護経験は創作活動にも影響
人は多面体の生き物で、日々、様々な経験や感情や思考が絡み合っている。介護の経験は城戸さんに多くの影響を与え、それは創作活動にも如実に表れている。
「以前から水を描くことが好きだったのですが、かつては水の持つ包容力や生命力に主眼を置いていたんです。でも最近は、水のはかなさに目が向くようになりました。すべてのものが変化していく中で、一瞬のきらめきをどうとどめておくか。それが今の絵のテーマとなっています」
義母の介護をしながら、城戸さんは創作活動も仕事も続けていた。それを可能にしたのは、家族や親類の助けに加えて、ケアマネジャーやヘルパーの存在が大きい。
「ケアマネさんはいろいろな引き出しを持っていらっしゃるので、こちらの事情をつまびらかにお伝えすると、その条件の中でできることを教えてくださるんです。
また、友達のように接してくれるヘルパーさんに恵まれたおかげで、母は気持ちよく過ごすことができたように思います」
城戸さんは、仕事や創作活動は介護を続ける上で欠かせない要素だったと語る。
「ヘルパーさんが来てくださる1~2時間の間に、仕事の書き物をしたりアトリエで絵を描いたりすることで気分転換をすることができました」
日記を読み返して気づいた「母からのラブレター」
「人間って自分が思うほどの許容量はないということも、介護を通して教えられたことのひとつです」
2017年に義母が他界し、城戸さんの介護生活は終わりを迎えた。
「母のためにと書いていた日記を読み返すうちに、気づいたことがあるんです。
日記に書かれた母の言動からは、母の愛情が確かに伝わってくるんですね。私はずっと一方的なラブレターを書いていたつもりだったけれど、母も私にラブレターを送ってくれていた。そう気づいた時、泣けてきました。
母と過ごした13年の歳月は、私にとって宝物のような時間です」
教えてくれた人
城戸真亜子さん
1961年愛知県生まれ。武蔵野美術大学油絵学科卒業。’86年より毎年個展を開催。「ギャラリー珈琲店・古瀬戸」の壁画なども手がける。テレビ、CM、執筆など幅広く活動中。著書に『ほんわか介護 私から母へありがとう絵日記』(集英社)など。
撮影/楠聖子 イラスト/城戸真亜子 ヘアメイク/鈴木將夫 取材・文/熊谷あづさ
撮影協力/ギャラリー珈琲店・古瀬戸
初出:女性セブンムック 介護読本Part2 ~人生100年時代 親・家族・自分のことをみんなで考える~