兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第165回 抗原検査デビューしました】
この夏、猛威を振るった新型コロナウイルスオミクロン株の感染拡大はようやう減少の兆しが見えてきました。昨年、デルタ株が大流行した際、感染してしまったライターのツガエマナミコさん。同居する兄へ家族間感染しないかと気を揉んだことを振り返りながら、未だ余談を許さない状況下で、自主的に抗原検査をしたエピソードを綴ります。
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未だ尾を引く嗅覚障害
コロナウイルス感染症は、いつか世界史の教科書に載るでしょうか。感染者数は減少傾向にあるようですが、何度も変異を繰り返してきたのでまだ安心はできません。
それに関連して「医療保険 “みなし入院”の入院給付金が見直される」というニュースを拝見しました。わたくしそっとガッツポーズしております。
わたくしがコロナに感染したのは2021年秋、デルタ株の頃でございました。ラッキーにも自宅療養でちゃっかり入院給付金10万円をいただいた輩でございます。
→関連の回「第116回 大変です!急に匂いが消えました(その1)」を読む
そのころは「すごい感染者数」と言われながらも全国の新規感染者数のピークが1万5000人程度でございました。それが10倍以上に膨らんだのですから、保険会社が青ざめたのもわかる気がいたします。自宅療養でも入院給付金が出ると知って新たに医療保険に入った方も多いとか。給付金目当てで検査数が増えたということもあるのかな~と、いらぬ邪推をしているツガエでございます。
今後は一定の条件を満たしていないといただけなくなるようです。「あわよくばまた感染すれば10万円だ」と考えていたわたくしは出ばなをくじかれた格好になりました。
今のところ2度目の感染はございません。でも4回目のワクチン注射も受けようと思っております。
コロナといえば、デルタ株で食らいました嗅覚障害が地味に尾を引いております。日常生活にはまったく問題ございませんが、嗜好としての香りに変化を感じております。「最高にいい香り」と思って使用していた香水がなんだか違うのです。はじめは「まだ治ってないから」と考えましたけれども、1年経って「ああ、これ以上は無理なのか」と改善の限界を感じております。ツガエにしては大金を払った香水だったのでがっかりです。
好きなシャンプーやリンスも今や「うッ」となる香りになってしまいまして、先日は生のパイナップルに若干の不快臭を感じました。食べるとおいしいので不思議なのですけれど、感覚的には2%ぐらいの嗅覚神経が戻っていないような気がしております。それでも100%匂いがなかった時期を思えば、よくぞここまで回復できたと、自分をほめてあげるべきでしょう。
自分をほめるといえば、先日はじめて「抗原検査」デビューいたしました。病気療養中の友人宅に行くので、薬局で抗原検査キットを購入したのです。はじめは、薬局で無料検査が受けられるという噂を聞いて行ったのですが「人手不足で今はやっていない」と言われ、検査キットも売り切れでした。別の薬局に行っても「売り切れ」の張り紙があったので、うなだれて「もう売り切れなんですよねぇ」とつぶやくと、「いや、さっき届いたから今は山ほどありますよ」と幸運の薬剤師さまがご降臨。ものは言ってみるものです。
購入した検査キッドは鼻の奥に綿棒を差し入れて検体を採取するタイプ。唾液で検査できる方が簡単そうですが、贅沢は言っていられません。
検査手順は薬剤師さまが懇切丁寧に教えてくださいましたし、説明書も入っていたのでなんとか自力でできました。頭の悪いわたくしにしては上出来でございます。
大事なのは、鼻の奥まで綿棒をしっかり入れてクリクリ回して鼻水をたっぷり綿に染みこませることだと心得ました。それが足りなくて検査無効となるのが一番もったいないですからね。思ったよりも楽しく、理科の実験をするような感覚で楽しめました。
「これで陰性の結果が出ても100%感染してないとは言い切れない」と言われますけれど、なにもしないよりは安心な気持ちで友人宅に行くことができました。キットは5個入りを購入したので残り4個は冷蔵庫に保管中でございます。
今年もどこにも遠出をしない夏が終わりました。コロナがなくてもそれは変わらなかったと思いますが、1週間ぐらい兄から解放されたいという野望・欲求は高まっております。「まずはお試しの1泊ショートステイ!」そういいながらコロナを言い訳に足踏みばかり。未だにリハビリパンツを穿かせることすらできずにいるツガエでございました。トホホ。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性59才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現63才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ