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『鎌倉殿の13人』33話 頼家!善児!修善寺を襲った悲劇を考察、善児はなぜトウを育てたのか

 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』33話。修善寺に幽閉されても「自分こそが鎌倉殿である」と諦めない頼家(金子大地)は、ついに暗殺されてしまう。手を下した善児(梶原善)にも悲劇が襲いかかる「修善寺」(副題)の回を、歴史とドラマに詳しいライター、近藤正高さんが、歴史書を紐解きながら考察します。

主役は善児(梶原善)

『鎌倉殿の13人』の作者・三谷幸喜はいまから40年ほど前、東京サンシャインボーイズという劇団の主宰者兼座付作家として活動をスタートさせた。同劇団から彼とともに世に出た俳優も少なくない。『鎌倉殿』にも劇団員である相島一之・阿南健治・梶原善・小林隆に加え、客演ながらサンシャインボーイズの公演の常連だった野仲イサオが出演している。

 このうち阿南は土肥実平、野仲は二階堂行政を演じる。さらに今回(第33回)、小林演じる三善康信、相島演じる運慶、梶原演じる善児には、それぞれ見せ場が用意されていた。

 三善康信は尼御台の政子(小池栄子)に頼まれ、新たに鎌倉殿に就いた実朝(嶺岸煌桜)の和歌の指南役となるも、その座を京から新たにやって来た源仲章(生田斗真)にあっけなく奪われてしまった。運慶は和田義盛(横田栄司)の館を訪ねた折、たまたま義時(小栗旬)と15年ぶりに再会するや、仏師ならではの眼力で「おまえ、悪い顔になったな」とあけすけに指摘してみせたのが印象深い。

 しかし、何といっても今回の主役は善児である。何しろ、修善寺に幽閉された前将軍・頼家(金子大地)を殺害するつもりが、彼自身が壮絶な最期を遂げることになったのだから。これには三谷が長年の盟友である梶原に花を持たせた感があった。

 とはいえ、善児が修善寺で死ぬとは洒落にしては悪すぎる。いや、そもそも善児は三谷が本作のために創作した人物だから、最初からそうなることを想定したうえでのネーミングだったのかもしれない。もちろん、三谷が当て書きを得意とすることを思えば、善児の名は梶原善から1字取ったことは疑いないし、善児が一時、梶原景時に仕えたのも、彼が演じることを踏まえての設定だったのではないか(梶原善は「かじはら」、梶原景時は「かじわら」と読みは違うが)。

 ついでにいえば、今回のサブタイトルは「修善寺」だったが、この寺の名前は現在「修禅寺」と書く。本来は修善寺で、平安時代に空海により真言宗の寺院として創建されるも、鎌倉時代中期に宋からの渡来僧・蘭渓道隆が来住して臨済宗へ改宗するにあたり、表記も改めたという。ただし、それ以前の文献にも修禅寺と書かれたものがあり、ある時期まではどちらの表記も使われていたようである。ちなみに岡本綺堂の戯曲『修禅寺物語』(1911年)では、現在の表記を採用している。同作は修禅寺に伝わる頼家の仮面をモチーフとしているが、『鎌倉殿』でも今回それと思しき面がちらほら登場した。ちなみに2017年8月に歌舞伎座で『修禅寺物語』が上演された際には、主人公の面作師を坂東彌十郎(『鎌倉殿』の時政!)が演じている。

 さて、善児が最期を迎えるまでの経緯を追って見ていくと、まず冒頭、政子が息子の実朝に、かつて父・頼朝に挙兵を決意させたドクロを託し、父や兄・頼家の意志を継がせようとする。しかし、政子は本心では実朝には鎌倉殿になってほしくなかった。そこで、実朝にはせいぜい好きなことをやってほしいと、先述のとおり三善康信に和歌の指南を依頼したのである。

 だが、これには実朝を育てた乳母の実衣(宮澤エマ)がいい顔をしない。実朝には武士の手本として、人を動かし正しい政を行ってもらうと、政子に真っ向から反発し、実朝の個人教授も康信から源仲章に代えたのだった。もっとも、じつは仲章は、実朝を自分の側に取り込みたい後鳥羽上皇(尾上松也)の命を受けて鎌倉に来ていた。彼が実朝の教授に就いたのは、まさに上皇の思うツボというしかない。

 上皇としてみれば、北条は一介の御家人にすぎず、それが源氏の棟梁を動かすなどもってのほかであり、いずれはつぶさねばならないと考えていた。もっとも、上皇ならずとも鎌倉の御家人たちにとっても、比企氏を滅ぼして幼い実朝を鎌倉殿に据え、事実上の政権トップとなった北条時政は煙たい存在だった。気づけば、息子の義時や時房(瀬戸康史)にも誰も寄りつかなくなっていた。

 それでも時政は執権として権勢を振るう。西国の御家人たちを押さえるべく起請文を出させようと画策し、さらに比企が武蔵に有した所領を我が物にしようと、武蔵守に任じてもらうべく二階堂行政に朝廷への交渉を頼む。それは妻のりく(宮沢りえ)の望みでもあった。時政とりくは、御台所となる実朝の正室も京から迎え入れるべく、娘婿の平賀朝雅(山中崇)を上洛させて朝廷への工作にあたらせていた。

頼家(金子大地)と善児の最期

 他方、修善寺に幽閉された頼家は、いまだ鎌倉殿は自分だと主張し、鎌倉に書状を送っては無理難題を申しつけていた。時政はもちろんこれを拒否し、三浦義村(山本耕史)を遣いに出す。しかし、頼家に言わせると、要求が聞き入れられないのはもとより承知のうえで、あくまで自分の存在を知らしめるためにすぎないという。彼は義村にそう打ち明けると、北条を討つため協力を求めた。これに対し義村は断りつつも、挙兵自体には反対せず、このまま猿楽くらいしか慰めもないまま暮らすのなら、華々しく散るのもいいかもしれないと、「おやりなさい」とけしかける。

 鎌倉に戻った義村から頼家に謀反の企みありと知らされ、宿老たちは警戒する。とはいえ、頼家のもとに兵が集まる可能性は低い。義時はしばらく様子を見ようと、当面は警固を増やすだけにとどめ、そのうえで不審な動きがあったときには覚悟を決めることにした。

 やがて、その覚悟を決めるときが訪れる。頼家が、訪ねて来た畠山重忠(中川大志)や足立遠元(大野泰広)に対し、北条が彼らの本拠でもある武蔵を狙っていると吹き込み、挙兵をそそのかしたのだ。さらに八田知家(市原隼人)が修善寺に出入りしていた猿楽師を捕えたところ、頼家が扇を書状代わりに上皇へ北条追討の院宣を求めていたことも発覚する。

 こうして義時は頼家を討つべく動き出す。例によって息子の泰時(坂口健太郎)は反対するが、「甘い!」と突っぱねた。しかし、そのあと泰時が頼家を守るべく修善寺へ向かったにもかかわらず、義時は止めなかった。それというのも、彼は泰時のなかにかつての自分を見ていたからだ。

 修善寺に赴いた泰時は、頼家と猿楽を観ていたところ、紙の仮面で顔を隠して笛を吹く猿楽師のなかにひとりだけ偽者がいることに気づく。それは義時の命を受けた善児だった。泰時は太刀を抜いて善児に近づくが、すぐにひねり倒されてしまう。善児は「あんたは殺すなと言われてる」と告げると、ターゲットである頼家に向かっていった。泰時は同行した幼馴染の鶴丸(きづき)とともにそれを止めようとするが、善児の弟子のトウ(山本千尋)に気絶させられてしまう。

 善児は別室に逃げ込んだ頼家を追いかけ、一騎打ちとなる。このとき善児の目に、ふいに「一幡」と書かれた札が映る。それは頼家が死んだ息子の位牌替わりに供えたものだった。一瞬、動揺して手を止めた善児の隙を突き、頼家が致命傷を負わせた。庭にうずくまった善児に、頼家はとどめを刺そうとするも、そこへ駆けつけたトウに斬りつけられ、崩れ落ちる。泰時が目を覚ますと、絶命した頼家が横たわっていた。頼家を救えず、泰時は慟哭する。善児がトウに両親の仇として討たれたのは、この直後であった――。

 史料に伝えられる頼家の殺害は陰惨極まりない。『吾妻鏡』でこそ、殺害の翌日の元久元年(1204)7月19日条に、伊豆の飛脚から鎌倉にその訃報が伝えられたとあっさり記されるにとどまるが、慈円(劇中では山寺宏一が演じる)の手になる『愚管抄』の記述では、下手人が頼家を急には厳しく攻めつけることができなかったので、首に紐をつけ、陰嚢を取るなどして刺し殺したとあり、妙に生々しい。それを『鎌倉殿』では、善児を絡めることで悲しくもドラマチックなものとして描いていた。

トウ(山本千尋)を育てた理由

 善児が死にいたるまでには、ひとつ疑問も浮かんだ。それは、善児がかつて義時の兄・宗時(片岡愛之助)を殺したときに盗み取った巾着袋(緑色の石がくくりつけられていた)の扱いである。

 義時は、頼家殺害を依頼するため善児の家を訪ねた折、この巾着袋を見つけ、兄が善児に殺された事実をついに知ってしまう。しかし義時は、同行した時房が善児は自分が斬ると申し出たにもかかわらず、「あれは必要な男だ」「私に善児が責められようか」と言って止めた。

 その巾着袋は、善児がかつて仕えた梶原景時が一時預かっていたらしく、景時が鎌倉を追放されるにあたり、義時を介して善児に返却されていた(29話)。このとき巾着袋は大きな袋に入れられていたので、義時にはバレずに済んだ。不思議なのは、善児が、義時に仕えるようになってからもなぜこの巾着袋を処分せずに所持し、そのうえ、家のなかでも人目につくような場所に置いていたのか、ということである。

 この謎を解く鍵はおそらく、善児が巾着袋を返してもらったときに口にした「あのお方(景時)も人が悪い」「試されたのですよ、わしの天運を」という言葉にある。あのとき、義時が兄を殺したのが善児だと気づいていれば、その時点で善児の天運は尽きていた可能性が高い。それがバレずに済んだため、善児はその後も自分の運を試そうとしたのではないか。

 運を試すという意味では、善児が自分の殺した百姓夫婦の娘であるトウを引き取って、殺し屋として育てあげたこともそうだったのかもしれない。あれほど慎重で、自身も世話になった伊東祐親を殺している善児だけに、それがどれほど危険なことかわかっていたはずである。それでもトウを育てるうちに情が移り、やがて、たとえいつか彼女に刃を向けられても、それも運命として受け入れようと覚悟を決めたのではないか。

 思えば、トウが善児に命を救われながらも、両親を殺された恨みはずっと抱き続け、最終的に本懐を遂げるという流れは、頼朝が平家を滅ぼす過程とそっくり重なる。頼朝の場合、そうした自らの経験から、自分を滅ぼす可能性のある者はあらかじめ消しておかねばならないと常に考え、行動をとってきた。義時もその考えを引き継いだ。しかし、彼には頼朝やトウのように親を殺された経験はない。だからこそ、本心ではいまなお自分の行動に疑いを捨てきれず、反発する泰時にかつての自分を見出すことで、かろうじて心の平安を保っているのだろう。

運慶(相島一之)はなぜ鎌倉にいたのか

 最後に、今回久々に登場した運慶にも触れておきたい。運慶は、頼家が死ぬ前年、建仁3年(1203)には、鎌倉彫刻の代表作中の代表作である東大寺・南大門の金剛力士像を、複数の仏師と手分けして完成させている。その年11月の東大寺総供養では仏師として最高位の法印にまで昇りつめた。こうした史実を踏まえると、功成り名遂げた彼がこの時期、なぜわざわざ鎌倉にやって来たのかと疑問が湧く。

 直接の目的は、劇中で描かれていたように旧知の仲である和田義盛と会うためだったのだろう。義盛はすでにその15年近くも前、北条時政が伊豆に願成就院を建てたのと同じく文治5年(1189)に浄楽寺(神奈川県横須賀市)を創建するにともない、運慶に仏像(阿弥陀三尊・不動明王・毘沙門天の各像)の制作を依頼していた。その後もつきあいが続いていたとしてもおかしくはない。ただ、運慶が都からはるばる鎌倉にやって来たのには、別の理由もあったような気もする。そう思って、関連書をあたっていたら、ヒントになりそうな記述を見つけた。

 東大寺には「東大寺上院修中過去帳」という創建以来の同寺にゆかりの深い人々の名が列記された過去帳がある。そこには、平氏によって焼かれた東大寺の再興の一環として大仏殿内の巨像6体(現存せず)を造立した仏師たちの名も記されているのだが、どういうわけか、仏師のなかでも主導的立場にあったはずの運慶の名前だけがないという。これを不自然と見て、運慶と東大寺のあいだに何らかのトラブルがあったのではないかと推察する研究者もいるようだ(塩澤寛樹『大仏師運慶』講談社選書メチエ)。

 もし仮に天下の東大寺とトラブルが生じたとすれば、京にいては悪評がつきまとっただろう。ひょっとすると劇中の運慶もそれから逃れるべく、一時的に鎌倉に滞在していたのではないか。そう考えると、彼が義時に「おまえ、悪い顔になったな」と言ったあとで口にした「だが、まだ救いはある」「おまえの顔は悩んでいる顔だ。己の生き方に迷いがある。その迷いが救いなのさ」との言葉にも説得力が増す。もちろん、これはあくまで筆者の妄想であり、三谷幸喜が本当にそんな設定であの場面に運慶を出したのかはわからないが。なお、劇中でも少しほのめかされていたように、運慶はその後、義時にも仏像をつくることになるのだが……それまでに義時の顔はどうなっているのだろうか。

→『鎌倉殿の13人』他の回のレビューを読む

文/近藤正高 (こんどう・ まさたか)

ライター。1976年生まれ。ドラマを見ながら物語の背景などを深読みするのが大好き。著書に『タモリと戦後ニッポン』『ビートたけしと北野武』(いずれも講談社現代新書)などがある

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この記事へのみんなのコメント

  • たく

    とても面白い分析です。 ドラマに一層興味がもてます。

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