人気ゲーム作家が効率重視の現代で山田太一脚本・田宮二郎主演のドラマに心を掴まれた理由
「過去の名作ドラマ」は世代を超えたコミュニケーションツール。懐かしさに駆られて観直すと、意外な発見することがあります。今月はゲーム作家の米光一成さんが田宮二郎主演『高原へいらっしゃい』(1976年 TBS/Paraviで配信中)を鑑賞。ロッキード事件に日本列島が揺れていた年、山田太一脚本が描き出した市井のひとびとの顔、贅沢なドラマの時間に浸ります。
由美かおるを追いかける田宮二郎
山田太一脚本の『高原へいらっしゃい』は、異様なドラマだ。
冒頭で、次々と若者に声をかけるトレンチコートの怪しい男、面川清次が主人公だ。演じるのは田宮二郎。
ウェイトレスのアルバイトを終えた北上冬子(由美かおる)を後ろから追いかけて声をかけようする。そりゃ冬子も怖がって逃げる。その怪しい男に三万円を渡されて、高原のホテルで働かないかと誘われて集まった若者たち。
指定された場所に着くが、そこにあるのはホテルというよりも壊れた小屋。ボロボロで「お化け屋敷だなぁ」と言わざるを得ない。中に入ると、サングラスをしている怖そうな男(徳川龍峰)。さらに出てきたのは老人(益田喜頓)。コックだと言う。面川はいない。どうなってるんだと憤慨していると、キィィィィと完全にお化け屋敷モードの扉のきしむ音が響き渡る。
ここまで演出が、ホラーのノリ。
二階から現れるのが、蝶ネクタイの正装をした面川清次:田宮二郎だ。田宮二郎のカリスマっぷりが炸裂する。
「面川です。みなさんようこそ。驚いたでしょう。こんなところで」
当然である。綺麗で繁盛しているホテルで働けると思っていたら、お化け屋敷だ。
「はじめから本当のことを話せばよかったでしょう」
でも、話せばみなさんは来なかった。どうしても、ここを見てほしかった、と流暢に語る。
潰れて、見捨てられたホテル。面川は社長に見込まれて、ここを300万円でリゾートホテルとして蘇らせることにチャレンジする、と。唖然として口が挟めないみんなに向けて、「悪条件があんまりそろってるから引き受けた」なんてことも言う。
ようやく鳥居ミツ(池波志乃)が「騙したのね」と反撃すると、「手段を選ばなかった」と答える。だが、いまはすべてさらけだしていると言う。実はこれも嘘なのだが……。
「いくらで働けっていうの?」に対しては、「働け、じゃない。一緒に働こうって言ってるんだ」と返す。だが、給料はたったの三万円だ。
「いやなら帰りたまえ」
完全に詐欺師だ。田宮二郎のカリスマ性がさらに詐欺師っぽさを生み出している。これなら騙されてしまうかも、と思わせる魅力がある。しかも追い打ちをかける。
「排気ガスと満員電車とコンクリートの東京に帰りたまえ。星も見えない東京に帰りたまえ。帰りたいなら、そこに生きがいがあるというなら、帰りたまえ」
この大演説で、みんな残ることにするのだ。そう、集まったメンバーは、みんな東京にいられない、いたくない理由を抱えている者たちだ。
この始まり方でグッと掴まれる。それぞれに隠し事を抱えて集まったメンバー。ダメな人間たちに見えるが、面川が見込んだ「この人だと思った」人物を集めている。『七人の侍』『荒野の七人』の高原ホテル・バージョンだ。
北林谷栄がキュート!
『高原へいらっしゃい』は、ロッキード事件で政界が揺れ田中角栄が逮捕された1976年の作品。1976年3月から全17回、TBSで放送された。
主題歌・挿入歌の作詞は谷川俊太郎、作曲は小室等。音楽、小室等、ムーンライダーズ。演出、 高橋一郎、福田新一、田沢正稔。プロデューサー、高橋一郎。
1976年は山田太一にとって重要な年だ。
大反響を呼ぶ『男たちの旅路』(全3回)が放送される。これは脚本家オリジナルのシリーズとして企画され、山田太一の名を知らしめた。さらに、久世光彦演出の『さくらの唄』も1976年だ。久世光彦の影響が大きいのだろうが、山田太一脚本にはめずらしく「あったかい家族」の物語だ。
NHK『銀河テレビ小説』ふるさとシリーズの『夏の故郷』(全10回)も、1976年の作品。そして翌年の『男たちの旅路 第2部、第3部』『岸辺のアルバム』につながっていく。
面川が東京から連れてきたメンバー以外にも、地元の青年・杉山七郎(尾藤イサオ)、地元のおばあちゃん有馬フク江(北林谷栄)、お目付け役として出向してきた大貫徹夫(前田吟)が加わる。
どのメンバーも魅力的で活き活きと描かれるのだが、その中でも、おばあちゃん有馬フク江は、回が進むにつれて「大好き」になっていくキュートさ。
演じる北林谷栄は、30代から老け役を演じてきた「日本一のおばあちゃん女優」。『大誘拐 RAINBOW KIDS』で、日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞を、『阿弥陀堂だより』で日本アカデミー賞・最優秀助演女優賞を受賞。受賞経歴を書き始めるときりがない。宮崎駿監督『となりのトトロ』で、カンタのおばあちゃん役を担当。1975年には、山田太一脚本のオリジナルドラマ『終りの一日』で主演している。
人嫌いで、「みんなに紹介する」と言っても拒絶して、ホテルの中にも入らずに力仕事を黙々とやっていた「おばやん」が、じょじょにみんなの輪の中に入っていき、入っていくけど、すぐ「いやいや」と言いだす。ツンデレっぷりが可愛くてしょうがない。
面川も、そうだ。最初は、見栄を張り、隠し事もあり、みんなを引っ張っていくというリキミのせいか、自分だけで物事を抱え込もうとする。何にでも反対する慎重派の大貫徹夫(前田吟)と喧々諤々やり合って、どちらの意見が正しかったか点数をつけ始め、そのゲーム的な競争をしていくうちに、いくつもの失敗を認め、大貫と喧嘩しながらも意見を交換し、どんどん仮面が剥がれていく。
カリスマ性がありすぎて詐欺師に見えてしまうほどの立派さから、どんどんダメ男っぷりが露見していくところが、本作の見どころといってもいいだろう。
面川が東京の大場社長に増資を懇願に行く第12話では、面川のダメっぷりの連続で、観ながら、思わず「ああああ! だめだめー」と声をあげてしまった。
身勝手すぎやしないか
異様なドラマだと冒頭で書いた。過去に傷があり東京に居られなくなったメンバーが、大きな挫折をした面川の元にあつまり、悪条件のなか力を寄せ合ってホテルを成功させる。ドラマらしい設定でありながら、『高原へいらっしゃい』は、そのドラマらしさを完遂しないのだ。
ほとんどのメンバーの過去の傷は、明確には語られない。「実はこうでした」というわかりやすい伏線回収をしないのだ。恋愛に失敗したんだろうな、とか、何かを匂わせることはあるのだが、そのことを具体的に語ったり、回想したりする場面はない。回想シーンがあるのは面川ぐらいだ。
面川清次は、ホテルマンとして失敗して職を失ったときに酒に溺れ、酷い生活に堕落した。妻の祐子(三田佳子)は離婚を決意し、別居した。つまり、面川清次が思い描いている物語はこうだ。悪条件のホテル再建に成功し、蘇ったホテルに妻を呼んで、ホテルマンとして蘇った自分を妻に見せる。そして、妻とよりを戻す。
ところが、ドラマ中盤で、妻の祐子は、「どうして待ってなきゃいけないの?」と、ドラマ的予定調和を壊しにかかる。男が勝手に落ちぶれて、いくら助けようとしてもそれを拒絶し、離婚を決意したのだ。その妻を放っておいて、自分勝手にホテル再建に挑戦して成功したら待っていた妻が元のさやにもどるという物語は身勝手すぎやしないかというもっともな反撃を企てるのだ。
このドラマ的な予定調和を壊しながら、人間を描く手腕こそ、山田太一の真骨頂!と嬉しくなって、どうなるかドキドキしながら観るのだが、最終話、予想外の展開が訪れる。
あれ、中盤の祐子の決意はどうしたの?って展開になってしまう。上出来なコントのように面白い場面の連続で、実際声に出して笑いながら観た(面川が風呂場のドア越しに告白する場面!)けれど、予定調和をどう超えていくかという期待は見事に外されてしまう。
不格好なドラマなのだが、それでも魅力的なのだ。たっぷりと贅沢な時間を使って人間を描いたドラマだ。チャンネルを変えられないように、次々と事件が起こり、次はどうなるどうなる?とサスペンスを維持することを目指していない。
モタモタとする場面があり、コミカルになったり、シリアスになったり、無駄に思えるような細部が描かれたりする。物語のテンポの良さや、効率的な展開の運びや、緻密な伏線の回収とは、まったく違ったものを目指しているドラマだ。
効率を追い求められる都会から逃れたい人が高原のホテルでゆっくりするように、効率の良いドラマに飽きた人は『高原にいらっしゃい』で贅沢な時間を堪能すると良いだろう。
文/米光一成(よねみつ・かずなり)
ゲーム作家。代表作「ぷよぷよ」「BAROQUE」「はぁって言うゲーム」「記憶交換ノ儀式」等。デジタルハリウッド大学教授。池袋コミュニティ・カレッジ「表現道場」の道場主。