『鎌倉殿の13人』32話 次に消えるのは誰?ぶらんこを壊す善児(梶原善)が辛すぎた三谷脚本
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』32話。危篤状態だった頼家(金子大地)がまさかの回復、その間に比企一族が滅ぼされたこと、新しい鎌倉殿として弟の千幡(嶺岸煌桜)を擁立しようとしていることなど、頼家には伝えられない事実を義時(小栗旬)たちがごまかし続ける苦しい展開。「災いの種」(副題)の回を、歴史とドラマに詳しいライター、近藤正高さんが、歴史書を紐解きながら考察します。
慈円と山寺宏一の接点
前回(第31回)の比企氏滅亡にいたるまでの経緯は、歴史書『愚管抄』の記述をおおむねなぞりながら描かれた。……と思っていたら、今回、劇中にその『愚管抄』を書いた僧侶・慈円が出てきた。演じるのは、声優の山寺宏一。トレードマークの眼鏡はもちろんかけず、パーマ頭も頭巾で隠しての登場だが、声を聞けばすぐに彼だとわかる。
『鎌倉殿』ではこれまでにも木村昴、関智一、緒方賢一と声優がたびたび出演してきたが、なかでも山寺はドラマ『合い言葉は勇気』(2000年)や映画『みんなのいえ』(2001年)など三谷幸喜の作品に何度も出演し、三谷とは縁が深い。ドラマや映画に顔を出して出演する契機となった『合い言葉は勇気』では放送作家の役で、役所広司演じる主人公の俳優のブレーン的な役割を担った。その点は、後鳥羽上皇(尾上松也)の側近として助言を与える慈円と重なる。ちなみに『みんなのいえ』で山寺と共演したココリコの田中直樹は、『鎌倉殿』では公卿の九条兼実を演じたが、慈円はその兼実の弟である。
慈円が登場したのは、危篤となった頼家(金子大地)に代わってその弟・千幡(嶺岸煌桜)の征夷大将軍任命を求める書状が鎌倉から後鳥羽上皇のもとに届いたシーンであった。このとき上皇に助言を求められた慈円は、過日、夢のなかに壇ノ浦で沈んだ三種の神器が出てきたと述べ、この夢は、神器のうち失われた宝剣の代わりは武家の棟梁である鎌倉の将軍と言っているのだと解釈してみせる。そのうえで上皇に対し、新将軍を大事にするよう進言した。思えば、後鳥羽上皇は、平家が幼い安徳天皇とともに三種の神器を持って都落ちしたあと、本来なら皇位継承に必要な神器がないまま天皇となっただけに、鎌倉の将軍を神器の代わりにせよという慈円の進言は、なかなかに意味深長である。
ともあれ、上皇は慈円の助言を受け、千幡の将軍就任を認める。さらに千幡が同時に元服するというので、新たに「実朝」という名前を与えた。上皇いわく「実」とは板をつなぎ合わせるための突起のことで、新将軍・実朝にも鎌倉と朝廷をつなぐ役割を期待する。
比奈(堀田真由)との別れ
さて、頼家の危篤が上皇に伝えられたころ、当の頼家は病から急速に快復しつつあった。しかし、彼の後見人であった比企能員は、その娘で頼家の妻のせつを含め一族もろとも北条によって滅ぼされていた。当事者である北条時政(坂東彌十郎)と時房(瀬戸康史)父子は、頼家からせつや息子の一幡(相澤壮太)に会いたいと言われて必死にごまかすが、バレるのは時間の問題だった。義時は義時で、千幡を鎌倉殿にするのはすでに既定路線であり、頼家が生還したからといって流れを戻すわけにはいかなかった。「ここは頼家様が息を吹き返される前に戻す。それしか道はない」と、少し前のぺこぱのギャグのようなことを言う。
千幡が鎌倉殿となれば事実上、権力の頂点に立つ北条家だが、その内部はどこかギスギスしていた。実衣(宮澤エマ)は比企の者がまだ残っていると、義時が妻の比奈(堀田真由)をそのままにしているのを非難する。実衣は夫の阿野全成を比企能員の差し金で殺されているゆえ、ひときわ比企への恨みが深かった。
尼御台の政子(小池栄子)もまた、北条が比企を攻める前に一幡だけは助けるよう義時に約束させたにもかかわらず、一幡が死んだと知って憤怒し、義時の頬を思わずはたいてしまう。頼家に対しても、義時が説明すると言うのを引き止め、それは自分の役目だとして母親である彼女から直接打ち明けた。もっとも、北条がやったとは当然言えず、比企の者たちは、頼家がもう目を覚まさないと悟って、館に火を放ち自害したのだと説明したが、信じてもらえるわけもない。北条がやったのだと直感した頼家は、政子に向かって「北条をわしは絶対に許さん。おまえもだ!」と言い放ち、泣き崩れる。
頼家はこのあと、和田義盛(横田栄司)と仁田忠常(高岸宏行)を呼んで真相を聞き出す。いずれも北条の比企討伐にかかわった当事者だが、義盛はそのことは黙って、能員が時政に館へ呼び出されて殺されたという事実のみ述べる。それを聞いて頼家は2人に北条を討伐するよう命じた。
義盛はこのことをすぐに同じ一門の三浦義村(山本耕史)と畠山重忠(中川大志)に相談し、いま北条と事を起こすのは得策ではないと示し合わせる。義盛はさらに時政にも知らせた。一方の忠常は、頼家と北条のあいだで板挟みとなり、悩みに悩んでいた。時政はそうとは知らず、忠常が何も言ってこないので、まさか攻めてくるのではないかと不信感がぬぐえない。結局、忠常は義時に相談しようとするも、あとにしてほしいと言われ、完全に孤立してしまう。
比奈もまた悩んでいた。義時は結婚するにあたり、比奈とはけっして別れないと神仏に誓う起請文をしたためていただけに、彼のほうから離縁を切り出させるわけにはいかない。比奈は考えた末に、自分から義時に別れてほしいと申し出た。このとき、義時に背中から抱きしめられた比奈は、彼と急接近するきっかけとなった富士の巻狩りのときと同じだと言って、名残を惜しむ。そして最後は、外出する義時をいつもどおり「行ってらっしゃいませ」と見送って、夫婦関係にピリオドを打ったのだった。清々しくもせつない別れであった。
なお、長澤まさみのナレーションでも説明されていたとおり、「姫の前」として歴史に名を刻む比奈はこのあと上洛し、4年後の建永2年(1207)に亡くなった(まさかのナレ死であった)。京では歌人の源具親と再婚し、男子を儲けたことが、同じく歌人の藤原定家の日記『明月記』などに記されている。
善児(梶原善)の涙
ここしばらく、やるせない展開が続く『鎌倉殿』だが、今回はとくにそう感じさせた。それは、比奈しかり登場人物の行動がことごとく、本心ではそんなことはしたくないのに、そうせざるを得ない状況に追い込まれてのものだったからだろう。
殺し屋の善児(梶原善)とその弟子のトウ(山本千尋)もまた、やむにやまれず、ある行動におよぶ。一幡の殺害だ。一幡について義時は、事前に命じたとおり息子の泰時(坂口健太郎)が殺したものと思い込んでいた。しかし、じつは泰時は比企の館を襲撃した際、一幡だけは救い出し、妻の初(福地桃子)とともに善児に頼んで匿っていたのである。泰時は助命を訴えるも、義時は聞き入れず、自ら善児の家に赴く。
かつては頼朝と八重の子・千鶴丸を事もなげに溺死させた善児だが、一幡に懐かれ、殺すことができなくなっていた。庭にぶらんこまでつくって遊ばせていたところを見ると、よっぽど情が移ったのだろう(余談ながら、あの遊具をぶらんこと一般に呼ぶようになったのは江戸時代で、古くは「ゆさはり」「鞦韆(しゅうせん)」などと呼ばれていた。平安初期には宮中でも盛んに行われていたという)。
そもそも弟子のトウからして、善児が源範頼を世話していた百姓夫婦ともども殺害したとき、夫婦の娘である彼女だけは殺せず、自ら引き取って育てたものと推察される。そのトウもまた一幡をまるで我が子のようにかわいがっていた。これまでの彼女の冷徹な殺し屋ぶりを思えば、ちょっと意外だった。
しかし、義時が乗り込んできては2人も従わざるをえなかった。善児は小刀を持って一幡に近づくも、彼が笑顔で手を振ってくるのを見て躊躇してしまう。見かねた義時は自ら一幡に忍び寄り、腰の太刀に手をかけた。それに気づいたトウが、すぐさま一幡に「水遊びをいたしましょう」と言って連れ出す。このとき一幡が「善児、何で泣いていたの?」と何も知らずに訊ねていたのが、その後のことを想像するだにつらかった。一幡が去ったあと、善児は涙ぐみながらぶらんこを壊し、未練を断ち切ろうとする。
忠常(高岸宏行)の死
事を済ませ、義時が館に戻ると、新たな悲劇が待ち受けていた。仁田忠常が思い悩んだ末に御所で自害したのだ。忠常の最期について、『吾妻鏡』や『愚管抄』には誅殺されたと記されており、そのまま描かれたらつらいなと思っていた筆者は、彼が自ら命を絶ったことについ安堵してしまった。もちろん、そんなふうに思わせてしまう状況がおかしいのだが。
なお、『愚管抄』では忠常は義時と戦って討たれたとある。これに対し『吾妻鏡』では、忠常が時政の館に呼び出されたのを彼の弟たちが案じ、義時を襲撃したため、忠常は「命を捨てる」と言って御所に参じたところ、加藤景廉という御家人に誅殺されたと記されている。いずれにせよ、比企能員を討ち取って北条に貢献した張本人が、その直後、ほかならぬ北条と争う形で命を落としたというのがやるせない。
劇中では、義時が忠常の死について頼家に伝えるにあたり、「頼家様の軽々しい一言が忠義にあつい、まことの坂東武者をこの世から消してしまわれたのです」とその責任を追及した。そして、これをひとつの契機として、ほかの御家人たちとも話し合い、彼には伊豆の修善寺に隠遁してもらうことにする。当の頼家はもちろん抵抗するが、もはや床に突っ伏して泣きじゃくるほかになすすべはなかった。
こうして頼家が鎌倉を離れるのと入れ替わるように、実朝の元服の儀式が盛大に行われる。ときに建仁3年(1203)10月8日。外祖父の時政が「これより我ら御家人一同、身命を賭してお仕える所存にございます」と恭しく挨拶すると、まだ幼い実朝(当時数え年で12歳)は「よろしく頼む」と応えた。その様子を乳母の実衣が感慨深げに見つめる。
北条を許してはなりませぬ
その裏で早くも実朝と北条の運命の歯車が回り出していた。頼家とつつじ(北香那)の息子である善哉(のちの公暁/長尾翼)の前に、ぼろをまとった比企尼(草笛光子)が現れたかと思うと、「北条を許してはなりませぬぞ。あなたの父(頼家)を追いやり、あなたの兄(一幡)を殺した北条を」「あなたこそが次の鎌倉殿になるべきお方。それを阻んだのは北条時政、義時……そして政子。あの者たちをけっして許してはなりませぬぞ。北条を許してはなりませぬ」と吹き込んだのだ。
つつじが善哉を呼んだとき、すでに比企尼は姿を消していた。あれは果たして尼の生身の姿だったのか、それとも亡霊だったのか。いずれにせよ、鎌倉に新たな災いの種が撒かれたことは間違いない。今回はそればかりでなく、新たに登場した時政の娘婿・平賀朝雅(山中崇)も何やら油断ならない雰囲気を漂わせていた。
義時もまた、一幡が生きていることを頼家に伝えたのかと訊いてきた泰時に対し、「一幡様は比企の館が焼け落ちたとき、お亡くなりになった。おかしなことを申すな」と強弁したあげく、一幡は殺されたと察した泰時がなおも反発するのでその頬を強くはたくという具合に、無情さに拍車がかかる。
『鎌倉殿』ではいまや毎回、誰かが消えていく。次に消えるのは誰か。次回のサブタイトルは「修善寺」なので、もはや言わずもがなではあるが、今回の忠常の最期などを見ると、三谷幸喜がどう脚色するのか、やはり気にならずにはいられない。
文/近藤正高 (こんどう・ まさたか)
ライター。1976年生まれ。ドラマを見ながら物語の背景などを深読みするのが大好き。著書に『タモリと戦後ニッポン』『ビートたけしと北野武』(いずれも講談社現代新書)などがある