兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第154回 またもやキッチンオシ事件】
若年性認知症の兄と暮らすライターのツガエマナミコさんが、2人の日常を綴る連載エッセイ。進行している兄の症状。中でもマナミコさんを悩ませているのは排泄のトラブルで、トイレではないところで用を足してしまうこと。前回は、大きい方の話でしたが、今回は“お尿さま”、それもキッチンで…。マナミコさんが怒り、落胆する気持ちを正直に明かします。
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「忘れる能力」が羨ましい
また兄にやられてしまいました。
一瞬の隙をついてのキッチンオシ(キッチンでオシッコ)。不確かなものを含めると、これで通算5回目だと思います。キッチンの流し台でお尿さまをするという暴挙は、どんな慈悲深い菩薩さまでもお許しになりますまい。何が何でも阻止しなければわたくしの精神は崩壊してしまいます。
でも言葉でどう言っても「記憶力ゼロ」の前には歯が立ちません。やろうとする兄に対して、させない工夫が必要なのです。
ということで、わたくしは少しの間でも流し台を離れるときは、大小複数の障害物を並べて、キッチンオシできないようにしてまいりました。少なくともここ1か月はこまめに頑張っておりましたのに、今朝、キッチンでお花の水を換えてからうっかりそのまま掃除機をかけはじめてしまったのです。がら空きのゴール、いや、無防備な流し台を兄は決して見逃しませんでした。電光石火のごとくシュート、いや、躊躇なくお尿さまを放出したのです。
わたくしが掃除機をかけながら自分の部屋から出てくると、兄が流しの前に立って、スエットのズボンを上げているところでした。「やられた!」と思ったわたくしは、にわかに掃除機のスイッチを切り「今、そこでオシッコした?」と尋問いたしました。兄はウエストのゴムをモサモサ整えながら「ん?ちょっとね」とのたまいました。少量ならいいってものではございません。流し台を確認すると、白いふちに明らかにお尿さまを目視できました。
ここからは第150回のときと寸分たがわぬ再放送でございます。
「ここは台所なの! 食べるものを作るところなの! オシッコするところじゃないの!!!」とわたくしの語気は荒くなるばかり。兄は「はい、すんません、もうしません」の一点張り。不毛な攻防だとわかっていても湧き上がるものは口から出してしまわなければ怒りは納まりません。消毒と朝食の支度をしながら「なんてことしてくれたの」「どうしてわからないの」「ここでオシッコするなんて最低」などなど、愚痴とも叫びともつかない言葉を吐きまくりました。兄はわたくしに背中を向けたいつもの椅子で小さくなって嵐が通りすぎるのを待っているようでした。
数分後「どうせもう、何でわたくしが不機嫌なのかもわからない。この状況は”暖簾に腕押し”って言うんだっけ」と冷静さを取り戻し、静かにパンとコーヒーを出したあと、キッチンの流し台周辺に障害物を配置して新聞を取りに玄関を出ました。
戻ってくるとテレビがついており、兄は「僕は今テレビに夢中です」の空気を放ってパンをかじっていらっしゃいました。
兄の、この完全なリセット能力を目の当たりにするたびに、わたくしは羨ましくなります。30分もすればすべて忘れられるこの能力があれば、どんな悲しい嫌なことがあっても明るく楽しく生きていける。わたくしは、過去を引きずり過ぎているのでしょう。あんな汚いもの、あんな面倒なこと、こんな理不尽を、あんな屈辱を…と嫌なことを覚え過ぎていて兄のことが嫌いになっているのです。もしも神様がいるなら忘れる能力をわたくしに与えてくださいませ。
そんなツガエは最近、いろいろなことがどんどん億劫になり、友人とのグループLINEが煩わしかったり、3~4日同じTシャツで過ごしたり、仕事でもたまにスッピンで外出もしてしまいます。会社勤めの友人は仕事が忙しくても毎日メイクをし、エステやネイルに忠実(まめ)に通って身なりを整えることに惜し気がありません。時間とお金をかけて自分を律している姿勢がなにより美しく、わたくしにはまぶしく見えました。年齢を重ねるとそこに美醜の差が生まれてくるのだなぁとつくづく。
そして思ったのは、この億劫さは認知症の始まりではないかということ。自分のだらしなさを病気のせいにするなと叱られそうですが、ネット記事に認知症の兆候として「連続ドラマを見なくなった」との項目があり、「まさにそれ」と1000%合点がいったツガエでございます。すでに神様はわたくしに「忘れる能力」の種を授けてくださっているのかもしれません。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性59才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現63才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ