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連載

兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第154回 またもやキッチンオシ事件】

 若年性認知症の兄と暮らすライターのツガエマナミコさんが、2人の日常を綴る連載エッセイ。進行している兄の症状。中でもマナミコさんを悩ませているのは排泄のトラブルで、トイレではないところで用を足してしまうこと。前回は、大きい方の話でしたが、今回は“お尿さま”、それもキッチンで…。マナミコさんが怒り、落胆する気持ちを正直に明かします。

 * * *

「忘れる能力」が羨ましい

 また兄にやられてしまいました。

 一瞬の隙をついてのキッチンオシ(キッチンでオシッコ)。不確かなものを含めると、これで通算5回目だと思います。キッチンの流し台でお尿さまをするという暴挙は、どんな慈悲深い菩薩さまでもお許しになりますまい。何が何でも阻止しなければわたくしの精神は崩壊してしまいます。

 でも言葉でどう言っても「記憶力ゼロ」の前には歯が立ちません。やろうとする兄に対して、させない工夫が必要なのです。

 ということで、わたくしは少しの間でも流し台を離れるときは、大小複数の障害物を並べて、キッチンオシできないようにしてまいりました。少なくともここ1か月はこまめに頑張っておりましたのに、今朝、キッチンでお花の水を換えてからうっかりそのまま掃除機をかけはじめてしまったのです。がら空きのゴール、いや、無防備な流し台を兄は決して見逃しませんでした。電光石火のごとくシュート、いや、躊躇なくお尿さまを放出したのです。

 わたくしが掃除機をかけながら自分の部屋から出てくると、兄が流しの前に立って、スエットのズボンを上げているところでした。「やられた!」と思ったわたくしは、にわかに掃除機のスイッチを切り「今、そこでオシッコした?」と尋問いたしました。兄はウエストのゴムをモサモサ整えながら「ん?ちょっとね」とのたまいました。少量ならいいってものではございません。流し台を確認すると、白いふちに明らかにお尿さまを目視できました。

 ここからは第150回のときと寸分たがわぬ再放送でございます。

「ここは台所なの! 食べるものを作るところなの! オシッコするところじゃないの!!!」とわたくしの語気は荒くなるばかり。兄は「はい、すんません、もうしません」の一点張り。不毛な攻防だとわかっていても湧き上がるものは口から出してしまわなければ怒りは納まりません。消毒と朝食の支度をしながら「なんてことしてくれたの」「どうしてわからないの」「ここでオシッコするなんて最低」などなど、愚痴とも叫びともつかない言葉を吐きまくりました。兄はわたくしに背中を向けたいつもの椅子で小さくなって嵐が通りすぎるのを待っているようでした。

→150回を読む

 数分後「どうせもう、何でわたくしが不機嫌なのかもわからない。この状況は”暖簾に腕押し”って言うんだっけ」と冷静さを取り戻し、静かにパンとコーヒーを出したあと、キッチンの流し台周辺に障害物を配置して新聞を取りに玄関を出ました。

 戻ってくるとテレビがついており、兄は「僕は今テレビに夢中です」の空気を放ってパンをかじっていらっしゃいました。

 兄の、この完全なリセット能力を目の当たりにするたびに、わたくしは羨ましくなります。30分もすればすべて忘れられるこの能力があれば、どんな悲しい嫌なことがあっても明るく楽しく生きていける。わたくしは、過去を引きずり過ぎているのでしょう。あんな汚いもの、あんな面倒なこと、こんな理不尽を、あんな屈辱を…と嫌なことを覚え過ぎていて兄のことが嫌いになっているのです。もしも神様がいるなら忘れる能力をわたくしに与えてくださいませ。

 そんなツガエは最近、いろいろなことがどんどん億劫になり、友人とのグループLINEが煩わしかったり、3~4日同じTシャツで過ごしたり、仕事でもたまにスッピンで外出もしてしまいます。会社勤めの友人は仕事が忙しくても毎日メイクをし、エステやネイルに忠実(まめ)に通って身なりを整えることに惜し気がありません。時間とお金をかけて自分を律している姿勢がなにより美しく、わたくしにはまぶしく見えました。年齢を重ねるとそこに美醜の差が生まれてくるのだなぁとつくづく。

 そして思ったのは、この億劫さは認知症の始まりではないかということ。自分のだらしなさを病気のせいにするなと叱られそうですが、ネット記事に認知症の兆候として「連続ドラマを見なくなった」との項目があり、「まさにそれ」と1000%合点がいったツガエでございます。すでに神様はわたくしに「忘れる能力」の種を授けてくださっているのかもしれません。

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文/ツガエマナミコ

職業ライター。女性59才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現63才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。

イラスト/なとみみわ

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この記事へのみんなのコメント

  • ひげ

    ツガエさんの頑張りには、勇気をいただいています。 私の場合、家族が特別擁護老人施設にお世話になっています。入居時、インターネット経由でのビデオ通話機器を設置、日々、触れ合うことで、当初、落ち込んでいたものの、今では「自宅にいるみたい」と安心感を取り戻したようです。 ビデオ通話を設置することで、見えなかった不思議なことが見えてきました。 1. 声かけ口調の乱暴な介護士さんがいる。本人に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。 2. 命綱であるナースコールボタンが届かないところに置かれていることが頻発し、その都度、こちらで発見し、電話にて位置修正を依頼しています。食事、おやつ、トイレなど、何度も介護士さんが訪れるのに、気づいてもらえない怖さを感じました。 3. ナースコールで来られた介護士さんへビデオ通話越しに本人の介護要望事項を補助して伝えることに対して、問題事例や理由が明確に説明されることもなく施設から強い抵抗と禁止を言い渡された。排除されている感じで、もやもやが止まりません。 4. ナースコールボタンすらバリアであることを理解してもらえない。 詳細には、ナースコールボタンを押すことで鳴るチャイム。これが鳴り止むことで呼び出しが受け付けられたことを本人が認識できず、無視されたと思い、ボタンを再度、押したり、大声で呼んだりとパニックを起こします。このバリアについて施設に伝えると、施設は「そんなことされたら、たまんない」と言ったり、終いには「どこの施設でも同じことを言われますよ。お宅にばかり介護士の時間を使えないので、不満であれば、自宅介護されることを検討されては」とまで言われる始末。まるでパワーハラスメントともとれる発言を受け、幸せな老後をと思っていたのに、ショックです。 介護施設の運営には社会的常識では計り知れない不条理があり、弱者としてなにも言えずに葬られていることがたくさんあるようにも思えます。入居時、家庭で暮らすように温かく過ごしていただく施設です、と言われたことと大きな落差があるようにも思います。 入居する家族に差別、退去依頼、暴力、ハラスメントなどのリスクを考えると、今は、堪え、自分を抑えて頑張らないといけない時期だと考えています。 都度、落ち込みますが、ツガエさんの頑張りを思い起こし、心を起こしています。

  • ゆま

    はじめまして かわいいイラストに目をひかれてポチッとな、ツガエさんの壮絶介護生活にぐいぐい引き込まれてしまいました。ユーモラスな文ながらもお兄さまの下の世話、心配、下のお世話… ツガエさんが心配です。何か美味しいものでもせめて召し上がって下さい。気分転換の機会を積極的に取るようにしてください。 将来父母をみとるのは独身の私だろうとなんとなく思ってはいます。予習の意味で介護の記事をいくつか読んでいます。でも、ぼーっと生きてきた私に立ち向かえるのか、不安です。 これからも応援、拝読させていただきます。

  • マキマキ

    ツガエさんの頑張りには、本当に頭が下がります。 でも、お兄様との同居はもう限界なんじゃないでしょうか? 色々な事情もお有りでしょうが、早急にお兄様を何処かの施設に入居させて別居しないと、ツガエさん自身が壊れてしまうのではと心配です。 どうぞご自分を大切にして下さい。

  • つれづれ

    ひとつ前の記事にもコメントさせていただき、しつこいのを承知で失礼いたしますが お兄様のお部屋にポータブルトイレを設置されるほうがよろしいかと思います。 して欲しくない行為をブロックするより、 手前で出しやすい正解に誘導する方法です。 (認知症は、ご本人に間違ったことをしてるという意識がないので) くわえて、ほかの若年性認知症のご家族とお話しされる機会をもたれてはいかがでしょう ご苦労がわかちあえますし、お困りごとご解決のヒントがいただけるかもしれません。 こちらは介護の専門サイトですし、ご紹介いただけるのでは。

  • みみこ

    私も同じ認知症の始まった親と暮してます。 私もしだいに、おしゃれに構わなくなり、付き合いが減り、気づくとぼーっとすることも多くなりました。 認知症の家族と暮らすと、安らぐべき家でまともな暮しできないため、からだの疲れが増していきます。そのうえ、次々に起きる変な行動への防御策を考えることに頭がいっぱいで、身にかまったり、友人の近況とかまでは頭が回らないです。 せいぜい、自分のぶんだけ丁寧にコーヒー淹れて、コンビニスイーツを食べることで気晴らししています。 ツガエさんにも、おいしいコーヒー届けたいぐらいです。

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