がんとともにどう生きるか?患者が直面する「ロコモ」解決で治療成績向上も
2人に1人が生涯のうちにがんと診断される時代(※1)。がんの新規罹患率は2016年に年間101万人を超え、「がんは誰もがかかる病気」はもはや常識となった。
しかし悪いニュースばかりではない。医療の進歩によってがんの治療成績は改善しており、2006~2008年には5年生存率(全がん)が62.1%にまで向上。がんにかかっても6割以上は生き延びられるようになった。
「がんをどう生き延びるか」に加え、これからは「がんとともにどう生きるか」という問題にきちんと向き合うべき時代がきたと言える。
知っていますか?「がんロコモ」
がん患者の生活の質を大きく左右するのが「ロコモ」の存在だ。
ロコモ(ロコモティブシンドロームの略称)とは、2007年に日本整形外科学会が提唱した言葉。骨や関節、筋肉、神経など「運動器」の障害によって体に痛みが出たり、歩きにくくなったりするなど、移動機能が低下した状態を指す。提唱から10年以上が経った今、この言葉は50%近くの人に認知され、60代女性では7割以上、70歳以上女性では約8割がロコモを知るようになった。
「運動器がしっかりしていて体を動かすことができれば、がんをもちながらも質の高い日常生活を送れますし、がんの治療成績向上にも役立ちます。そこで私たち日本整形外科学会は、がん自体、がん治療、がんと併存する運動器疾患より、移動機能が低下した状態を『がんロコモ』と名付け、その解決に取り組んでいこうと考えています」
金沢大学整形外科教授の土屋弘行先生は、日本整形外科学会が開催した記者説明会(2018年9月6日)でこう発表した。
土屋先生は骨軟部腫瘍のエキスパートとしてがん治療に携わるなかで、実感していることがある。
「がんが骨に転移すると、骨がもろくなって折れやすくなったり、体が麻痺するために『ベッド上で動かず、安静にしていてください』と指示されることがあります。しかしそれでは徐々に筋肉が衰えてきますし、体が動かせないとがんの治療に積極的に取り組めなくなる恐れもある。整形外科として、このような現状にずっと疑問を抱いてきました」(土屋先生。以下、「」内同じ)
がんに対して治療を行えるかどうかは、『パフォーマンス・ステータス(以下PS)』という指標で判断される。PSは0から4の5段階に分かれていて、積極的に治療ができるのは0か1、よくて2まで。PSが3や4の寝たきりに近い患者は『治療適応外』とされて、十分な治療ができないことがある。つまり運動器の状態は、がん治療の方針を決めるうえで重要な基準のひとつなのだ。
※パフォーマンス・ステータス(がん治療適応の指標)
全身状態の指標の一つで、患者の日常生活の制限の程度を示す。
【0 】まったく問題なく活動できる。発症前と同じ日常生活が制限なく行える。
【1】 肉体的に激しい活動は制限されるが、歩行可能で、軽い家事、事務作業などの軽作業や座っての作業は行うことができる。
【2】 歩行可能で、自分の身のまわりのことはすべて可能だが、作業はできない。日中の50%以上はベッド外で過ごす。
【3】 限られた自分の身のまわりのことしかできない。日中の50%以上をベッドか椅子で過ごす。
【4 】まったく動けない。自分の身のまわりのことはまったくできない。完全にベッドか椅子で過ごす。
意外に知らない「がんとロコモ」の深い関係
がんはどのようにロコモと関わるのだろうか。それには次の3つのパターンが考えられる。
【1】がん自体が運動器に影響する場合。まれに骨や筋肉そのものにがんが起きることもあるが、それより多いのは「がんの骨転移(こつてんい)」だ。骨転移が起きると痛みや麻痺によって体を動かせなくなり、ロコモになりやすい。
【2】治療によってロコモになる場合。例えばがん治療中に寝たきりになり、筋力が低下する、ホルモン治療やステロイド剤、抗がん剤の副作用で骨や神経に悪影響が起きてロコモになるなどのケースが考えられる。
【3】「がんの痛みだと思っていたら、ロコモの痛みだった」など、がんとロコモが同時に起こる場合。
「いずれの場合も、整形外科医が適切なアドバイスや治療を行うことで、治療成績の向上につながりますし、患者さんの生活をよりよいものにすることに貢献できます」
では、この3つのパターンについて整形外科医がどのように関わるのか。土屋先生に具体的な例をあげながら教えてもらった。
「がんでも動ける体に」で治療成績がアップ
骨転移とは、体のさまざまなところに起きたがんが血管に入り込み、血流にのって骨にとび、そこで増殖することをいう。
骨転移を起こすがんは多いが、とくに割合が高いのは前立腺がん、乳がん(いずれも65~75%)、甲状腺がん(40~60%)、膀胱がん(40%)、肺がん(30~40%)、悪性黒色腫(14~45%)などだ(※2)。
骨転移が起きやすいのは体の中心部に近い部分。背骨が一番多く、ほかには骨盤、股関節の周辺、肩関節の周辺などに起きやすい。新しくがんと診断される人は年間約101万人だが、骨転移は年間10~15万人のがん患者に発生すると推定されている(※3)。
「骨転移が起きると骨が溶けるか硬くなり、痛み、麻痺、しびれ、骨折、高カルシウム血症によるだるさ、吐き気などによって生活の質が著しく低下します。 そこで整形外科はおもに2つの方法で治療をします。
1つはコルセットなどの装具によって体を支え、骨折を予防すること。このようにサポートしたことで積極的な治療が受けられるようになり、がん治療開始から1ヶ月で歩けるようになった例があります。
2つ目は手術です。骨転移したがんを取り除くとともに、代わりに金属の棒などを入れて運動機能を回復させ、痛みをとるのです」
土屋先生が治療にあたった59歳の肺がん患者は背骨への骨転移があり、脚が麻痺していたためPS3と判断され、がんの治療ができなかった。そこで土屋先生たちのチームが背骨を全摘出し、代わりに金属を入れて体を支えられるようにしたところ、麻痺や痛みがなくなったためがん治療が受けられる状態に。術後半年を経過して、がんの病巣がなくなったという。
「骨転移が起きるとがんはステージⅣ、つまり重度だと診断されて、がんの治療ができないケースがあります。しかしこの症例のように、骨転移の治療を進めることで、大元のがんの治療にも好影響を与えられることから、最近は我々の手術の価値が見直されるようになっています」
リハビリできる体を取り戻す
がん患者に限らず、1日寝たきりになると2%の筋肉が失われる。手術や抗がん剤治療によって安静を余儀なくされたがん患者が、仮に2週間寝たきりになれば、30%の筋力が低下する。
「筋力の低下を防ぐには、なるべく早くリハビリをするのが最善策です。 ある患者さんは痛みが強く、寝たきりの状態でしたが、がん治療と並行して整形外科医が痛みのケアとリハビリを行った結果、退院後3ヶ月で歩けるようになったという事例があります」
がん治療のためにホルモン療法やステロイドを使用し、その副作用として骨粗鬆症が急速に進行する場合もある。さらに、近年では抗がん剤の使用により、末梢神経に障害が起きて手足がうまく使えなくなるケースが増えている。
こうした場合も整形外科医が骨や神経の専門家として治療に参加することで、骨の維持や症状の改善、痛みの緩和に貢献できるという。
がん患者の痛みの正体を見分ける
がんとロコモはいずれも高齢になるほど起きやすいもの。体のどこかに痛みが発生した場合、その原因ががんかロコモかを正確に見極めることは、患者の生活の質を左右するだけでなく、がん治療の方向性の決定にも大きく関わってくる。
「82歳の乳がんの患者さんで、太ももの痛みを訴える方がいました。最初はがんによる痛みと考えられて、それを緩和するために医療用の麻薬を処方されていたのですが、整形外科が診察したところ、その原因がロコモの一種『脊柱管狭窄症』にあることがわかりました。そこで脊柱管狭窄症の治療をしたところ、痛みが明らかに改善されました。
幸い、骨転移がなかったので放射線治療は取りやめとなり、医療用麻薬の量も減らすことができました」
似たような症例はほかにもある。
ステージⅣの肺がんで首の骨に転移があるとされた81歳男性患者が整形外科を受診したところ、首の痛みの原因はやはりロコモ(変形性頚椎症)。その治療をしたところステージⅡに変更になり、積極的治療が開始された。
もともと股関節に痛みのあった65歳乳がん患者は、がんの発見によって股関節の治療が後回しにされたが、がん治療の目処が着いたタイミングで股関節の手術をしたところ、痛みなくスタスタ歩けるようになり、がん治療に積極的に取り組めるようになった。
「こうした例は枚挙にいとまがありません。通常、がん治療が始まるとそのほかの治療は延期か中止になりやすいものです。しかし、整形外科医ががんの痛みか、それ以外の運動器の痛みかを正確に識別することで、治療が大きく前進する可能性があるのです」
整形外科医を「キャンサーボード」へ
整形外科医がより積極的にがん治療に取り組むためには、「キャンサーボード」に参加するのが望ましいと土屋先生は考えている。
「キャンサーボード」とは、医師や看護師、薬剤師、緩和ケアチームなど多職種が集まってがん患者の症状や治療方針などを話し合うカンファレンス(検討会)のこと。全国401か所のがん診療連携拠点病院、36か所の地域がん診療病院では、キャンサーボードの設置が必須となっている。
「がん診療連携拠点病院等の6割では、キャンサーボードに整形外科医が参加していますが、それ以外の病院ではまだ4割弱と、参加率が低いのが現状です。
しかし、私たち整形外科医が骨や神経のスペシャリストとしてがん治療に参加できれば、がん治療の選択肢は確実に増えるはずです。また、がんとともに生きる患者さんによりよい生活を提供することにもつながると確信しています」
がんからの回復は何より大切だが、がんが治った後に寝たきり生活が待っているのではあまりに味気ない。がんとともに生きる時代となった今、よりよい治療と暮らしを実現するために整形外科の力を借りることには大きな意味がありそうだ。
※1 国立がんセンターがん対策情報センター「年齢階級別がん罹患率(2013年)」より。
※2 「骨転移診療ガイドライン」などより。
※3 「全国骨腫瘍患者登録」より。
取材・文/市原淳子
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