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兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第108回 認知症になった者が勝ちなのか?】

 若年性認知症を患う兄の症状は進行し、記憶力の減退で日常生活にも支障をきたしています。一緒に暮らす妹でライターのツガエマナミコさんは、そんな兄の様子を冷静に受け止めたいと心がけてはいるものの、気持ちは複雑で…。

「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。

 * * *

理不尽への怒りと達観する気持ちと

 朝、ご飯を食べていたら、兄が急に「羽田は2~3本先?」という謎の暗号を投げかけてまいりました。ちょうどテレビで空港の映像が流れていたからだと思ったのですが、その手振りと口振りから「ウチから道2~3本挟んだところが羽田空港だっけ?」と解読できました。この住宅地にそんなものがあるわけないのに、真顔でおっしゃるおちゃめな兄と2人暮らしのツガエでございます。

 デイケアに週1で通うようになって2か月半が経ちました。目に見えて変わったことは何もございません。

「ワンちゃんのところに行く日だからね」のひと言で「オッケー」とすべてを理解してくれたことに一度は歓喜しましたけれども、その翌週には「ふ~ん。ワンちゃん?」と逆戻りしておりました。なかなか記憶が定着しないのがこの病気。覚える力より忘れる力の方が強いので仕方がありません。一歩進んで二歩さがる~。ナポレオンは「我が辞書に不可能の文字はない」といったそうですが、「兄の辞書には記憶の文字はない」と言えそうです。

 まぁ、歳をとることが衰えではなく、長く成る「成長」だと捉えれば、喜ばしいことですし、その理論を当てはめればボケも喜ばしいことの結果です。兄も急速に成長を遂げてボケているのだと捉えれば、それほど悲観しなくていいのかもしれません。

「認知症は記憶の断捨離」だと思うことがあります。我ながらうまい例えだと思ったりもしますけれども、家具や洋服の断捨離と違うのは、手放したいものも手放したくないものも同時にポイポイ粗大ごみに出してしまう点でございます。

 すでに多くの名詞が兄の頭の中から断捨離されているようです。カーテンと網戸と窓の認識はメチャクチャですし、ズボンとTシャツの違いも微妙。納豆を食べているときに「今食べているの、それ何て言うんだっけ?」と訊いても笑って答えません。

 デイケアでも脳トレの一つとして昔のことを聞いてくれているようですが、スタッフの方の話ではなかなか思い出せていないようです。

 まぁ、物の名前がわからなくても、昔のことが全然思い出せなくても命には何の問題もないので、大騒ぎすることはないのかもしれません。

 少し前に、齢90の宗教学者の先生にインタビューをさせていただきまして、そのとき先生はこうおっしゃいました。

「人は生きていると重荷を背負ってしまうけれど、軽くするにはどうしたらいいものか。物は捨てることができるけれど、身を軽くするのは難しい。でも認知症はある意味、身を軽くすることかもしれない」

 確かに、常識だの、世間体だの、人付き合いだの、哲学だの、宗教すらも捨てられたら、さぞや身軽るでございましょう。でも身軽になるのはご本人で、認知症の場合は周りの者がその分大変でございます。先生もそんなことは重々承知ではいらっしゃいました。さすがに認知症になりたいとはおっしゃいませんでしたが、「身軽になりたい」としきりに語られていたことがとても印象に残りました。ボケずに長生きするのも、なかなか辛いものがあるのかもしれません。

 しかし、50代からの記憶の断捨離は早すぎでございます。兄に妻子がいなくて本当によかったと思います。それとも妻子がいれば兄は認知症にならなかったのでしょうか。

 友人には「マナミコがいて、お兄さんは本当によかったよね」と言われます。そのたびに「こっちは最悪だけどね」と毒づいております。

「結局、認知症になった者が勝ちで、認知症にならなかった者が負けなのよ」と思い、その理不尽さに怒りが止まらないときがございます。でも、何事もない人生などないことがだんだんわかってまいりました。健康があれば病気があって、誰かが困っていれば、誰かが助ける。それを犠牲だとか損だとかと考えずに、たんたんと日々を繰り返していれば、必ず終わりが来るから心配するな、と今日のツガエは達観しております。ただし、こういう善いツガエは長続きいたしません。来週は何を書くやら。

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文/ツガエマナミコ

職業ライター。女性58才。両親と独身の兄妹が、7年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現62才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。

イラスト/なとみみわ

●つちやかおり認知症の母と向き合う葛藤と『認知症ケア指導管理士』資格取得を告白 

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この記事へのみんなのコメント

  • 八月も終わるなあ

    妻子がいても認知症になるときはなりますし、妻子がいたからって必ずしも世話をしてくれるとは限らないですからねえ。 まさかあの人が…という人が罹ったりするのもこの病の不可解で理不尽なところです。お世話をする人はもちろんですが やはり当事者はつらいと思います。 認知症初期のうちは、慣れない職場で右往左往して、あげくに意地悪な先輩や同僚から言われたはずがない指示を「あんたが聴いてなかった、私は言いました」と理不尽に責められ、毎日気を遣いボロボロで、来客にお茶をひっくりかえす等思わぬ失敗を繰り返す、しかしなぜか永遠に仕事は上達しない…質問したくても怖くて出来ない、そのうち頭や心が壊れていくような…という感じなのかなと思ったりしています。 いや、もっと厳しいのかもしれませんね。 そう思うと周囲の思いやりが大切ですが、生身のにんげんなのでイラッとすることもありますよね。だから抱え込まずいろんな人に助けて貰う必要があるのかもしれません。本当に、人間の脳にも記憶を補う後付けハードディスクがあればいいのになあと思います。お前さんが食ってる旨い糸引きマメは納豆っていうんでい、と教えてくれたらいいなあ。

  • みかん

    認知症介護、きれいごとでは済まないのが実情だと思います。 私の場合、イライラしたり毒づいたりする時もありながら、たま〜に優しい気持ちになる、の繰り返しでした。(前者の方が圧倒的に多かったです^_^;) 認知症、自分が壊れていくようで苦しまれる方もいらっしゃるようですが、義父もお兄様に似て、明るく穏やかにボケていくタイプでした。 亡くなった義母のことも忘れ、お金の管理や 色んな面倒なことを忘れ、のほほんと生きている義父を見ると、ここまで歳を取ったら、逆に 様々な煩わしいことを忘れていく認知症という病気は、本人には気楽でいいかもしれないと思ったものです。 ただ、義父は高齢だったので、お兄様の場合は複雑な気持ちになられると思います お友達が仰るように、ツガエさんのような妹さんがいて、お兄様は幸せ者ですね。 最近はどんどん症状が進行しておられる様子、、だけど本当によくやっておられると思います。 若いと進行が早いのでしょうか? 一緒に住んでいる家族は大変だとお察しします。 どうぞ、無理をされませんように、、 これからも応援しております。

  • あこ

    投稿を拝見するのが週一の楽しみです。 本日のマナミコさんは最高です! 同じ認知症介護者としてどれほど心が軽くなることか まるで精神安定剤です。 善いマナミコさんも毒づくマナミコさんも大好きです。 来週はどんなマナミコさんかな? 楽しみにしています。

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