兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第108回 認知症になった者が勝ちなのか?】
若年性認知症を患う兄の症状は進行し、記憶力の減退で日常生活にも支障をきたしています。一緒に暮らす妹でライターのツガエマナミコさんは、そんな兄の様子を冷静に受け止めたいと心がけてはいるものの、気持ちは複雑で…。
「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
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理不尽への怒りと達観する気持ちと
朝、ご飯を食べていたら、兄が急に「羽田は2~3本先?」という謎の暗号を投げかけてまいりました。ちょうどテレビで空港の映像が流れていたからだと思ったのですが、その手振りと口振りから「ウチから道2~3本挟んだところが羽田空港だっけ?」と解読できました。この住宅地にそんなものがあるわけないのに、真顔でおっしゃるおちゃめな兄と2人暮らしのツガエでございます。
デイケアに週1で通うようになって2か月半が経ちました。目に見えて変わったことは何もございません。
「ワンちゃんのところに行く日だからね」のひと言で「オッケー」とすべてを理解してくれたことに一度は歓喜しましたけれども、その翌週には「ふ~ん。ワンちゃん?」と逆戻りしておりました。なかなか記憶が定着しないのがこの病気。覚える力より忘れる力の方が強いので仕方がありません。一歩進んで二歩さがる~。ナポレオンは「我が辞書に不可能の文字はない」といったそうですが、「兄の辞書には記憶の文字はない」と言えそうです。
まぁ、歳をとることが衰えではなく、長く成る「成長」だと捉えれば、喜ばしいことですし、その理論を当てはめればボケも喜ばしいことの結果です。兄も急速に成長を遂げてボケているのだと捉えれば、それほど悲観しなくていいのかもしれません。
「認知症は記憶の断捨離」だと思うことがあります。我ながらうまい例えだと思ったりもしますけれども、家具や洋服の断捨離と違うのは、手放したいものも手放したくないものも同時にポイポイ粗大ごみに出してしまう点でございます。
すでに多くの名詞が兄の頭の中から断捨離されているようです。カーテンと網戸と窓の認識はメチャクチャですし、ズボンとTシャツの違いも微妙。納豆を食べているときに「今食べているの、それ何て言うんだっけ?」と訊いても笑って答えません。
デイケアでも脳トレの一つとして昔のことを聞いてくれているようですが、スタッフの方の話ではなかなか思い出せていないようです。
まぁ、物の名前がわからなくても、昔のことが全然思い出せなくても命には何の問題もないので、大騒ぎすることはないのかもしれません。
少し前に、齢90の宗教学者の先生にインタビューをさせていただきまして、そのとき先生はこうおっしゃいました。
「人は生きていると重荷を背負ってしまうけれど、軽くするにはどうしたらいいものか。物は捨てることができるけれど、身を軽くするのは難しい。でも認知症はある意味、身を軽くすることかもしれない」
確かに、常識だの、世間体だの、人付き合いだの、哲学だの、宗教すらも捨てられたら、さぞや身軽るでございましょう。でも身軽になるのはご本人で、認知症の場合は周りの者がその分大変でございます。先生もそんなことは重々承知ではいらっしゃいました。さすがに認知症になりたいとはおっしゃいませんでしたが、「身軽になりたい」としきりに語られていたことがとても印象に残りました。ボケずに長生きするのも、なかなか辛いものがあるのかもしれません。
しかし、50代からの記憶の断捨離は早すぎでございます。兄に妻子がいなくて本当によかったと思います。それとも妻子がいれば兄は認知症にならなかったのでしょうか。
友人には「マナミコがいて、お兄さんは本当によかったよね」と言われます。そのたびに「こっちは最悪だけどね」と毒づいております。
「結局、認知症になった者が勝ちで、認知症にならなかった者が負けなのよ」と思い、その理不尽さに怒りが止まらないときがございます。でも、何事もない人生などないことがだんだんわかってまいりました。健康があれば病気があって、誰かが困っていれば、誰かが助ける。それを犠牲だとか損だとかと考えずに、たんたんと日々を繰り返していれば、必ず終わりが来るから心配するな、と今日のツガエは達観しております。ただし、こういう善いツガエは長続きいたしません。来週は何を書くやら。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性58才。両親と独身の兄妹が、7年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現62才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ