『青天を衝け』脚本家の描いた『10年先も君に恋して』の未来像。ステイホームの年末年始にタイムトリップドラマを
「過去の名作ドラマ」は世代を超えたコミュニケーションツール。家族ですらなかなか集まれないお正月に、名作ドラマに通暁するライター・近藤正高さんがおすすめするのは、タイムトリップドラマ『10年先も君に恋して』。2021年2月スタートの大河ドラマ『青天を衝け』の大森美香の脚本作品です。最後に、大森作品のなかから『不機嫌なジーン』も紹介し、早世した竹内結子の名演を偲びます。
「10年先」の未来から
来年2月からスタートするNHKの大河ドラマ『青天を衝け』は、脚本家の大森美香のオリジナル作品となる。その大森の過去の作品に、2020年のうちにぜひ紹介したい1作がある。上戸彩主演の『10年先も君に恋して』がそれだ。
なぜ、今年中に紹介したいと思ったのか? そのヒントはタイトルに隠されている。ドラマのなかでは、上戸演じる主人公の前に、彼女の未来の夫がタイムトリップして現れる。本作が放送されたのは2010年8〜10月で、物語もほぼリアルタイムで進行する。そして夫がやって来る未来は、タイトルにあるとおり「10年先」という設定だった。そう、まさに今年、2020年が本作における未来だったのである。
主人公の小野沢里花は出版社の文芸編集者で、人気恋愛小説家の日高(劇団ひとり)を担当するほか、尊敬するベテラン作家・濱田(渡辺えり)とも最近初めて会い、一緒に仕事をする糸口をつかむ。
仕事には生きがいを感じている里花だが、26歳になっても男運はいまひとつ。ここしばらくはトレンチコートにサングラス姿の怪しい中年男につきまとわれていた。里花は浜田に初めて挨拶した帰りがけ、バスを待っていたところ、その男に声をかけられる。彼は妙に馴れ馴れしい口調で、次のバスには乗らないでほしいと言う。
不審に思いつつも、里花は結局バスには乗らず、一人で歩き出す。あとから来たバスの車内では、一人の男性が小学生ぐらいの子供たちとともに窓から空を眺めていた。里花は歩いている途中、パラシュートに乗ったウサギのぬいぐるみが空から落ちてくるのを拾う。そこへさっきの男性が子供たちと駆け寄ってくる。そのウサギは気球に乗せて、成層圏まで飛ばし、そこからパラシュートで地上まで落ちてきたのだという。内野聖陽演じるこの男性の名前は円山博。彼はエレベーターメーカーに勤めながら、ボランティアで子供たちの夏休みの実験を指導していた。話をするうち打ち解けた2人は、その場で連絡先を交換する。
円山と里花は後日、遊園地でデートをして意気投合する。大学で宇宙工学を学んだ彼が宇宙エレベーター開発の夢を熱っぽく語る姿に、SF小説も好きな彼女はすっかり魅せられたのだ。
じつは本来、2人はバスの車内で出会うはずだった。それが、怪しい男が里花に乗るのを止めたにもかかわらず結局、別の場所で出会ってしまった。男は落胆するが、まだあきらめない。再び里花を呼び止めると、今度はサングラスを取って自分の正体を明かした上、円山とはいずれ結婚するが、けっして幸せにならないから、彼から交際を申し込まれても断るよう忠告した。彼女はまだ不審に感じつつも、男の顔が円山とそっくりなことに気づき、戸惑う——。
タイムスリップは必要だった
もはや言うまでもなく、この中年男こそ、10年後に40歳となった円山(以下、「中年円山」)である。彼は里花と出会った翌年に結婚するも、10年後には夫婦関係は冷え切り、離婚届を突きつけられるまでに陥っていた。そこで、彼女のためにも、自分のためにも人生をやり直すため、自分が開発した装置で過去にタイムトリップしたのだった(意図せずして過去に移動してしまうタイムスリップとは違う)。
……と書くと、「超スケール小さい。未来って言うからさ、もっと大きな世界観を期待していたわけよ。だけど何この話、ただの男女の痴話げんかじゃないの!」と言いたくなるかもしれない。ちなみにこのセリフは、劇中で作家の濱田が、里花から中年円山に言われた話を聞いて、それを小説の題材にしようと話を整理するうちに出たものだ。
たしかにこの作品は、SF的な設定のわりにはスケールが小さい。同じ時間移動を題材にした作品でも、今年、コミックをドラマ化して話題となった『テセウスの船』では、主人公が無実の罪で死刑囚になった父親と家族を救うべく、タイムスリップした30年前の世界で、命懸けで真犯人を突き止めようとしていた。また、やはりコミックが原作のドラマ『JIN-仁-』(こちらでは内野聖陽が坂本龍馬を演じている)も、幕末にタイムスリップした現代の外科医が、自らの知識や技術を可能なかぎり活かして人々の命を救おうとする。
これら作品の主人公たちの志の高さを思えば、中年円山の動機は後ろ向きすぎる。だが、じつは彼にとって過去に戻ることは、自分の成功の陰で夢を犠牲にした妻への償いのようなところがあった。そして、彼が妻と出会ったころにタイムトリップしたことは、当初の目的とは違う結果にはなったとはいえ、彼女と一緒に人生をやり直すためには必要なことだったのだと、最後には思わせる。
内野聖陽の演技力
このドラマでは、現代と未来における人物の変化を、上戸彩と内野聖陽が表現している点も見逃せない。
上戸彩は出演当時、里花より1歳若い25歳。働く等身大の女性の役がハマってきたころだ。2014年の主演ドラマ『昼顔』では、斎藤工演じる高校の生物教師と不倫に落ちる役で話題を呼んだが、どうも理系の男に振り回される運命にあるらしい(あくまで役の上での話だが)。
『10年先も君に恋して』の2020年の場面では、主人公の里花が仕事に希望を見出していた10年前とは一転、すっかり人生に疲れ果て、けだるい雰囲気を醸し出していた。現実の2020年の上戸がすでに2人の子供を儲けつつ、10年前と変わらず若々しさを保っているのとはかなり違う未来だが。
里花と円山は2020年までにそれぞれ25歳から35歳へ、30歳から40歳へと年を重ねるが、この期間では見た目は急激に変わらない(個人差はあるだろうが)。したがって、役柄を現在と未来で演じ分けるには、むしろ内面や立ち振る舞い方における変化を表現する必要がある。
その意味で内野聖陽の演技には驚かされる。2010年には純朴で女性にもおくてだった円山が、10年後には富も名誉も得て、すっかり世間ずれした上、しゃべりも達者になり、テレビでコメンテーターとして引っ張りだことなっている。
まるで人が変わったようだが、あくまで同一人物なのだから、現在と未来の円山に共通するところも示さないといけない。たとえば、疑り深くて、里花の浮気を疑って追及するところなどは、その後の片鱗を感じさせる。そんなふうに内野が演じ分けるのを見ていると、演技力とはこういうことを言うのかと感服してしまう。まったくの余談ながら、内野聖陽の下の名前は、このドラマの放送当時、「まさあき」と読んだが、2013年に「せいよう」と改めている。
竹内結子の早世が惜しまれる
『10年先も君に恋して』は、大森美香の作品のなかでは、2005年にフジテレビで放送された竹内結子主演の『不機嫌なジーン』の系譜に位置づけられる。内野聖陽はこちらでも主人公の相手役で出ていて、南原という女ったらしの科学者を演じた。
『不機嫌なジーン』はタイムトリップものではないが、劇中では2002年を中心にかなり長い時間幅のなかで物語が展開される。
第1話では、放送時点では2年先の未来だった2007年、主人公・蒼井仁子(読みは「よしこ」だが「じんこ」「ジーン」などと呼ばれている)が学会でロンドンにいるシーンで始まったかと思うと、5年前の2002年、仁子の大学院の修士課程在籍時へとさかのぼる。そこでは、彼女のかつての恋人の南原が国際的な権威のある賞を受賞して帰国し、彼女の在籍する大学に客員教授として赴任してきた。彼女が元カレと心ならずも再会したあと、場面はさらにその2年前に飛び、学部生だった彼女のロンドン留学中における南原との馴れ初めが描かれた。
第1話ではさらに一瞬ながら、学生時代(1990年)の南原も登場する。これだけ時間を行ったり来たりしても、視聴者を混乱させず、物語のあらましを理解させるのは、脚本の大森の構成力のなせるわざだ。また、それぞれの時代のなかでの主人公を演じ分けている竹内結子の演技力にもうならされる。それだけに、つくづく彼女の早世が惜しまれてならない。
『10年先も君に恋して』には、10年後の未来を描きながらも、未来予測的な要素は少ない。せいぜい、未来で千円紙幣が千円硬貨に取って代わられているぐらいだ。前出のとおり宇宙エレベーターのほか、放送当時、建設中だった東京スカイツリーも出てくるとはいえ、それは予測ではなく未来への希望を象徴するものとして登場する。それは作者の大森が、未来を予測するなんて土台無理な話で、せいぜい希望をもって進むしかないと考えたからではないか。実際、この放送から半年後には震災と原発事故が発生しているが、当時それを予測できた人などいなかっただろう。
ドラマの終盤、中年円山は過去で再会した大学の恩師の三田村(藤竜也)から「過去は変えられない。だからこそ時間が尊いんだ。でもね、未来はいくらでも変えられるよ」と諭されていた。この言葉は、現実に2020年を経て、コロナ禍のなかでまた新しい年を迎えようとしている私たちの心にも重く響く。
『10年先も君に恋して』は「NHKオンデマンド」で視聴可能(有料)
文/近藤正高 (こんどう・ まさたか)
ライター。1976年生まれ。ドラマを見ながら物語の背景などを深読みするのが大好き。著書に『タモリと戦後ニッポン』『ビートたけしと北野武』(いずれも講談社現代新書)などがある。
●大河ドラマ『太平記』の偉業。『麒麟がくる』の脚本家がタブーを超えて挑んだ南北朝時代
●『北の国から』は父の視点、子の視点、母の視点…あらゆる視点を内包する傑作である