連載

【連載エッセイ】介護という旅の途中に「第17回 コロナ禍で…」

 写真家でハーバリストとしても活躍する飯田裕子さんによるフォトエッセイ。

 父亡き後、一人暮らしになった母は認知症の症状が出始めた。通いで介護を続けてきた飯田さんだったが、同居を決意し、飯田さんのマンションで母娘の暮らしが始まった。しかし、仕事を続けながら在宅介護を続けることは、母のためにも厳しいと母の施設入居を決断。そんな中、世は新型コロナウイルスが流行始め・・・。春からこれまでの飯田家の近況を綴っていただいた。

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 * * *

施設入居と同時期に母が風邪をひいた

 月日が過ぎるのは早いものだ。猛暑、残暑と言っていたがもう千葉では新米の刈入れが始まり、夜には虫の音も聞こえるようになった。

 日本だけでなく世界を席巻する新型コロナウイルスは、房総半島の先の小さな田舎町では、感染者を少数に留めているものの、介護施設においては油断できない緊張感に包まれている。

 新型コロナウイルスの正体がはっきりしなかった3月初め、母は私の自宅から近い施設に入所したばかりだったが、風邪をひき、発熱した。

 施設の医師が診察し薬を処方したものの、咳は止まらず、施設内でも部屋を隔離されていた。

 その報告を受けた私の心は動揺した。

 全国でもまだ感染者が少ない時期ではあったが、海外からの渡航者もまだ制限がかかっていなかった頃だ。本来なら私もオーストラリアへのロケで出かけているはずだったのだが、そのロケは急遽延期という知らせのメールが入ったところだった。

“風邪をひいた母をそのまま施設に置いておけば、施設はクローズとなり面会も一時帰宅もできなくなる”
“今の私には、仕事が延期になったおかげで「時間」ができた”
“せっかく入所ができたとえいえ、世界的に広まる疫病の猛威が今後どうなるか想像もできない不安もある”
“もしこのまま母を施設に預けていたら、一生後悔するのではないか….?”

 そんな想いが心にわき上がってきた。本当に勝手な話かもしれない。施設に入所してまだ2週間しか経っていないのに、だ。

 自己満足のための対処ではないか、問答したし、弟や友人からはこんな時こそ施設にいた方がいいのでは?とのアドバイスもあった。

母を自宅に連れ戻す

 でも、やはり母が不安な時は、家にいた方が良いに決まっている。

 母のベッドを整え、施設に連絡を入れ、母を迎えに行った。玄関先に車椅子で送られたきた母を車に乗せ、自宅へ。

 母はやはり安堵の表情で、「ひとりぼっちで寝ていて、夜中に廊下を歩いてみたら誰もいなかったの」と言った。

 実際は、そんなはずはなく、ちゃんと医師も看護師もいたはずだ。きっと母の不安がそんな解釈を作っているのかもしれなかった。

 まずは不安要素を無くしてみようと思った。

 かかりつけ医師を訪ね、診察してもらうと発熱は下がってきたが、咳や痰がひどく抗生物質の投与となった。さらに、点滴も入れることになった。母にとっては初めての体験。今まで、病気もせず、入院もしたことがない母が点滴を受けている姿に心が痛んだ。

 その後、熱はおさまり、食欲も出てきた。

 毎朝テレビをつけると、話題は新型コロナウイルスのことばかりだ。国会中継でも皆マスクを着用している。

新型コロナウイルスのことを理解できない母

 母は「風邪ひいてる人がテレビに出てて、おかしな世の中になったね。昔はこんなに皆が風邪ひいたくらいでニュースならなかったのに」とコメントした。

「風邪じゃなくて、ウイルスだよ。」
「?」
「ペストって疫病が世界で流行ったり、結核で人がたくさん死んだでしょう?そんな感じの治せる薬がない新しい病気が今、世界で流行って、日本にも入ってきたんだよ」
「???」

 こんな話が1日に何度も繰り返された。自分が90歳近くになり、新しい疫病に対応しろと言われたら・・・と想像したりした。

 病だけではなく、高齢になった時、自分にとって大切なこと以外の新しい情報や新しい形式の生活道具などに翻弄されず、マイペースでいられたら・・・、きっとそれが理想的な老後なのかもしれないが、人間社会ではそうも言ってはいられない、

母の生い立ち

 もう母は、一人で自立して生きてはいられない。

 思い起こせば、母は、70歳の半ばでもう日々の暮らしの管理を一切父に任せ、大船に乗った気持ちで船橋の家で過ごしていた。

 母に以前聞いたことがあった。

「ママは一人になったらどこに住んで、どうしていたいと思っていたの?」
「うーん・・・。考えたことなかった」

 かなり楽天家である。口癖のように「船橋にはいたくない、この家は嫌よ」、「パパが先に死んだら、楽しいことをしたいわ」と言う。

「楽しいこと」というのは、若い頃に持っていた夢、布仕事、針仕事であろう。

 確かに、娘の私から見ても、母の審美眼は高かかった。それは祖母や祖父から受け継いだものかもしれない。昭和一桁の神田生まれの経緯は、近江商人の繊維関連会社に勤めていた祖父が東京支社へ赴任したことだ。

 神田生まれとはいえ、家の中は完全に近江風であっただろう。祖父と同郷の祖母も、神田の家からタクシーで日本橋の百貨店に商品券を持って出かけ戦前の良い時代の東京を謳歌した。幼かった母はデパートの食堂でアイスクリームとホットケーキを食べさせてもらうのが常だったらしい。いっときの平和な時間だったのだ。

 神田淡路小学校の4年生の時、戦争が激化し、母は両親の故郷滋賀県に疎開することとなった。いきなりの田舎暮らし。保守的な小さな町の小学校へ都会から転校した少女は好奇の眼に晒され、多少のいじめの対象にもなったらしい。

 滋賀県で女学校、戦後を迎え京都で服飾デザインを学んだものの、すぐに東京に一家で戻ることとなりタイピストとして10年働いた。父と出会い結婚、出産。結婚は人生の墓場というのが母の本心で、今も昔話は全て結婚までの体験談に限られている。

「本当なら、服飾デザインの道へ進みたかった」

 そんな夢の続きがまだ母の魂の底にくすぶっているようなのだ。

 そして、話の最後は必ず「販売して儲けたいのよ!売って稼ぎたい!」と野心満々だった。

 17歳で終戦を迎えた母の青春は戦争一色だったと、その悔しさもこのところよく口にする。こんな話を繰り返し何度となく聞いた。

「授業なんてなくて、だから勉強どころではなかったのよ。田んぼに入ってヒルが足について血が流れて・・・、ああ思い出すだけでも嫌だった」

 私が高校生だった70年代後半、ファッションでカーキ色が流行ったことがあった

「お願い、軍服の色なんて絶対に着ないでよ!」と、母に一喝され苦笑したこともあった。

コロナ禍での2人暮らしに限界が・・・

 現実的なことだが、私のマンションの部屋の間取りは、リゾートマンションという肩書の通り、仕切りこそはあるが、ほぼ個室のないワンルーム。そんな中での数か月の母との暮らしは、良いことばかりではなかった。濃密すぎたのかもしれない。

 細かいことだが、部屋の中のものが予想もつかぬ場所に移動してる、窓の近くの棚の上は布の展示場になっているなどなど・・・。

 はじめは母のしたいようにするのが良いと見ないフリをしていたが、だんだん私も不満が募ってきた。

 悪気はないとわかっていても、移動されては困るものもある。

 私が母に「やめてほしい」と伝えると、「その時は、そんなことをしていない」というような表情。しかし、説明をすると「わかった」と言う。が、一人で留守番をしているとやはり忘れてしまい手が動く。

 そのうち、私も疎ましさを隠せなくなってきた。何しろほぼワンルームに近い部屋だ。すると母は、なんと、マンションの管理人さんや他の住人の方に「施設に戻りたいのだけど、連れて行ってくれないか?」と懇願し、なだめられて部屋に連れ帰ってきたりするようになった…。

「イイダさんのところ、いったいお母様とどうなさってるのかしら?」

 そんな噂がマンションでたつようになった。

 もう母は正常な状態の母ではない。

 少し冷たい判断かもしれないが、と、幾ばくかの罪悪感を覚えながら私は迷った。

再び施設入居を検討し始める

「あの施設に戻りたいのよ!」
「ママわかった。でもね、あそこはママよりももっと介護度合いが高い人優先だから今はいっぱいで入れないのよ。別の場所を探しているからちょっと待って」

 こんな会話を、壊れたテープのように1日に何度もした。

 いったん施設から戻り、風邪が治り、コロナ禍を4か月一緒に過ごし、今、再び施設に入る道を模索することになった。

 あまりに向き合いすぎた結果だったかもしれない。そんな悩みを抱えていながら私自身も体に不調が現れていた。

 動画の編集で毎日PCと睨めっこしていたため、スマホ首にもなっていた。以前から弱点であった左の首から背中にかけて筋肉が凝り固まり、神経を圧迫、左手が指先まで痺れてしまったのだ。

 再び施設へ入所する道を模索する。コロナも終息していないが、このままでは共倒れになりかねない。

 ケアマネジャーに相談してみるが、わがままを言って風邪の母を退所させた経緯もあるし、こちらの都合で「はい、では明日からのご入所ですね」とホテルのようにはいかない。ふと、昨年まだ勝浦にいた時に、友人から勧められ、母と視察に行った施設のことを思い出した。

 切羽詰まった私の心身を察してくれたのか、

「なんとかお役に立てるようにします。ちょうど、同じ系列の施設で部屋が一つ開いているのですが、そちらでどうでしょう?お母様と一緒に見学にいらしてください」。

 再見の施設は、介護付き有料老人ホームだ。費用はやや嵩むが、館山の個人病院の敷地内にあり安心かもしれない。

 母と見学、面接に行き、入所が決まった。

(つづく)

【バックナンバーを読む】

写真・文/飯田裕子(いいだ・ゆうこ)

写真家・ハーバリスト。1960年東京生まれ、船橋育ち。現在は南房総を拠点に複数の地で暮らす。雑誌の取材などで、全国、世界各地を撮影して巡る。写真展「楽園創生」(京都ロンドクレアント)、「Bula Fiji」(フジフイルムフォトサロン)などを開催。近年は撮影と並行し、ハーバリストとしても活動中。Gardenstudio.jp(https://www.facebook.com/gardenstudiojp/?pnref=lhc)代表。

●介護施設の種類・選び方【最適施設がわかるチャート付】費用・親の状態で施設を見つける

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この記事へのみんなのコメント

  • まさみつ

    直近から遡ってここまで読まさせて頂きました。 大変失礼致しました。最近の投稿だけしか見ていなく、その様子からはお母様、非常にしっかりされている方かと思い。 老いと向かい合うことは大変ですよね。 後ほど、更に、バックナンバーも読まさせて頂きたいと思います。

  • ma

    飯田さん バックナンバーもすべて読ませていただきました。 お父様のこと、お母様のこと頑張ってこられた様子がよくわかります。 またご自分の感情を冷静に書き綴られていることにも飯田さんのお人柄を感じました。 私も30半ばから17年間介護とともに働いてきた経験があるので、自分のことを思い返しております。まわりの友人には介護をしている人はいなかったので、当初はとても孤独でしたが、介護をすることが生活の一部になってからは気持ちの変化もあったように思います。 まだ介護保険制度が始まる前でしたので、最初は試行錯誤の連続でした。当時に比べれば制度は充実しているかもしれませんが、介護は一人ひとり望むものが違うので簡単ではないですよね。 まわりの手を借りながら、お母様といい時間を過ごすことができますように。

  • tv

    飯田さんの記事、感慨深く読ませて頂きました。何が正解で、何が間違いかというのは、介護に限ってはないものですね。その時々で、これがベストと思って皆さんやられてると思います。ただ、自分の考えが主体になってしまい、相手のことを想う想像力が欠けてしまうこともあります。お母様は感じたんだと思います。娘が辛い状態なのを。私の場合は主人ですが、要介護5でコミュニケーションも難しい中、8か月在宅介護しましたがお互いに無理だと気づきました。今は施設に入って一年半が経ちますが、コロナ禍の中、週に一回だけ顔を見ることができます。(ガラス越し)やるだけやって限界を知る、どんなに頑張っても無理なものもあるということがわかれば、心が決まるものです。

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