連載

【連載エッセイ】介護という旅の途中に「第16回 母、施設入所へ」

 写真家でハーバリストとしても活躍する飯田裕子さんによるフォトエッセイ。

 長年、2人暮らしで老老介護だった父母の実家に通いながらサポート続けてきた飯田さんだったが、父が他界し、一人暮らしになった母には認知症の症状も出始めた。そこで、母を自宅に呼び寄せ母娘の二人暮らしを始めた飯田さんだったが…。仕事を抱えながら、親の介護に直面したとき、どうすればいいのか…。揺れる想いをありのままに綴ります。

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 * * *

久しぶりの一人の時間

 春分の日も過ぎ、田んぼには早くも水が張られた。

 久しぶりに一人、自分の部屋で窓の外から聞こえるカエルの寝ぼけた声を聴きながらパソコンを開く。

 部屋の中にはストックのいい香りが漂っている。

 大ぶりの花瓶に無造作に活けたストックは、先日千倉のお花畑で母と摘んできたものだ。

 母は数日前、かねてからショートステイでお世話になっていた施設に正式に入所した。

 それで私は今、一人で部屋にいるのだった。

 昨年の秋から数か月の同居だったが、やはり母の気配がなく、ガランとした部屋は心なしか寂しい。

 家から歩いて10分足らず、岩井海岸近くにある施設は全国的に施設運営を展開している会社のもので、職員の教育もリハビリ設備も充実していた。

 4階の部屋の大きなガラス窓からは海が望め、日々、刻々と変化する海と空の様子に心を動かされた母は入所を決意した。

「東京湾に入ってゆくタンカーを見ながら、若い頃に、貿易船の貨物内容を英文タイプで打っていたことを思い出しながら、ああ、あのコンテナには何か積まれているのかな?どこの国から来たのかな?ってね。見ていて飽きないのよ…」と話す。

 そして、毎日違う海の表情や夕陽の荘厳さに言葉を失うともいう。

「でもね、他の人はなんだか知らん顔してるの。子供の頃から見てるから当たり前なんだね」

 母は老いて、認知症的の症状はあるが、感動するセンスを持ち合わせている人だと常々思う。そんな彼女がここがヨシ!と決めたのだから、私は何も言うことはない。

「東京生まれのお友達ができたのよ、一人は世田谷生まれ、もう一人は台東区、私は神田、ってね…」

 施設スタッフの配慮で出会えたようで、そのことも母の背中を押した。

 入所前に、ショートステイをしたときのこと。

 施設から戻ると「お友達にね、コースターを作ってあげたくて」と、部屋の窓辺に座り、日がな一日レースを編み続けていた。

 施設で出会った同年代の友達とはお喋りが尽きないらしい。

「かといって、別に皆それぞれの人生に事情があるから、深い詮索はしないのよ」

 それも年の功。何やら母の表情を見ていると、女学校時代の寄宿舎を彷彿とさせるが、やはり人生の経験を積んできた者同士、人生の最終章で出会った縁の不思議こそ喜ぶべきことなのだ。

一度キャンセルした施設入所

 ケアマネジャーさんに勧められ、実は、ひと月前に入所をするはずだった。しかし、当日行ってみると条件の部屋ではなく個室になっていた。やはりたった一人だと不安になるのかもしれない…と心配になった。高齢になると視野も狭くなるという。幼い頃の子供が頼る人を見つけてホッとするように、母も人がいる場所にいた方が安心するようだと私は感じていた。

 その時、個室にいる母を訪ねると、母の手が小刻みに震えていた。

 母は口では「大丈夫よ」と言っていたが、私は、準備してくださったスタッフの配慮を気にかけつつも、入所予定をキャンセルさせてもらうことに決めた。

 多くの人が入所を待っているのはどの施設も同じで、「次はいつ空くかわかりませんが、それでもいいですか?」と念を押されたが、母の震えた手を見て、私は切なさを感じずにはいられなかった。今はまだ入所の時ではない、焦らずにいようと心の中で思い家に連れ帰ったのだ。

 もちろん、私自身にも暮らしや仕事があり、100%母のために時間を割くことは無理だ。

「後悔しないようにね」
「お母様とお二人でいいですね」

 私を案じて言葉をかけてくれる人がいる。

 そんな時、私はふと、なんとも言えない複雑な気分になってしまう時がある。例えば、子育てをしている人に「後悔しないようにね」と声をかけるだろうか?と。

 今、自分が介護者の立場になってようやく、介護をすることは複雑な心境であり、境遇もまた一筋縄ではいかないという現実に直面し、介護者にどんな声かけが一番良いのだろう、と自問する。

お花畑で思うこと

 入所する1週間ほど前のこと、お彼岸に入ったので母と連れ立って、千倉にある永代供養堂に父のお参りをし、その足で満開のお花畑を訪ねた。紺碧の海から緩やかに吹いてくる潮風に、花の香りが混ざり合う海辺のお花畑に母は一歩足を踏み入れると

「ああ、いい匂いね~。こんな所がこの世にあるなんてねえ…」と感嘆のため息を漏らした。

「来らっしぇ~よ。おまけしときますよ」と花農家のおばさんが小さな小屋から顔を出した。

 昨年秋の台風で打撃を受けた房総半島。花の苗を植え直した人も多かったという。そしてようやく花が開花した途端、今度は新型コロナウイルスで観光バスツアーはキャンセルに…。

 いつもなら大勢の人でにぎわいを見せているお花畑のはずが、人気もまばらだ。母は花切りハサミを手にして花畑の畝(うね)を歩く。杖をつかずに歩いていられるのが自慢の母。

 色とりどりのストックを切って持ち帰った。調べてみると、ストックの花言葉は「愛の絆」「豊かな愛」だった。

ショートステイで活気を取り戻した母

 母が入所することが決まり、勝浦の家もそのままにしておくこともできず、父の遺品や、母の荷物もまだあるものを整理しなくてはならない。

 母の住民票はまだ勝浦にあり、入所前には介護認定のための調査員が勝浦市から内房まで来てくださった。昨年から要介護1となった母は、認知症のテストを受けたが、昨年よりやや進んでいる程度であった。

 数回のショートステイを終えて家に戻ると、母の様子が活性化しているように私は感じていたので、面会に行った折、施設での暮らしぶりを覗かせてもらった。

 食事前には、スタッフの優しい指示で皆で声を出してメニューの読み上げをし、椅子に座りながら音楽に合わせて軽い体の運動と咀嚼運動、唾液の分泌を促すツボ押しがされた。

 食事はそれぞれの体調に合わせての分量が運ばれ、母は残さずに「美味しいのよ」と食べていた。そして食後には口腔ケアの歯磨きが促される。母は入れ歯も拒否して数年来、家で私が口腔ケアを勧めても一向に実践しなかったが、団体行動となるとお行儀良く皆に倣っているようだった。

 そして、食後にはまた編み物に精を出す。すると、周りの人やスタッフたちが「飯田さん、器用ですね~。素敵なものですね」と製作物が評価される。母もそんな周りの反応に嬉しそうに答えている。

 午後になるとリハビリ専任のトレーナーが母を迎えに来てトレーニング室へ同伴する。

「はい、足をあげて、下げて、飯田さん本当によくできてますね」

 褒められると人は成長する。それは高齢になっても同じなのだった!母の顔つきが、施設から戻ると凛としているのがよくわかった。やはりプロの介護は違う。

 ショートステイに行き出してからは人目もあるので、服装にも気をつけるようになった。家では面倒がったお風呂も、施設では海が見える快適なお昼のお風呂が気に入っているようだ。周りの人に配慮もする協調性も出てきた。

 勝浦に一人でいた時に母が感じていた自然の中の自由気ままさも喜んでいたが、その裏返しにある寂しさがあったことは否めなかった。

「もしパパが生きてて、私が施設に入ったと聞たら驚くかしらね…ふふふ!これもね、私は若い頃に会社で働いた経験があるから順応できてるのね」と、思わぬコメントも出た。

 私が知る限りの母は、人といるより一人でいることを好む人だった。89歳になって、隠れた自分の性質や才能に気づき、母自らが驚き、そんな自分は結構イケているのではないか、と自己肯定しているのだ。人はいくつになっても、心根さえ柔らかにしておけば、自分を変えることができるのだ。

 母を見ていると、老いてゆく中にも、自分次第で無限の可能性がある、と教えてもらっている気がしてくる。

ウイルス感染拡大の中で決めた入所

 今回の入所はとりあえず3か月の契約とした。

 本当はどんな形が母の介護と自分の仕事の兼ね合いに一番良いのかまだ考える余地があるようにも思っている。

 新型コロナウイスルの感染拡大が世界を席巻し、私自身も4月に予定されていたオーストラリアへの取材旅が保留になったのと同じタイミングで施設から入所の準備ができたと知らせが来た。

 どうすべきなのか迷ったが、この数か月、やはり母の日常的なことから目が離せずに、心身が摩耗している自分でもあった。前回、一度入所から引き返してきたこともあり、今回は踏み切った。

「私は施設に行くわ。お友達もできたしね」

 母も心を決めてくれた。

 母との面会も当分できない。世間では時間が間延びしたと感じている人も多いだろう。社会活動がストップし、経済の不安も募る。

 やみくもに恐れず、そして正確な情報を元に行動し、免疫を下げないような暮らしを心がける。

 海辺や緑の中を散歩しながら、思い切りマイナスイオンを味わう。人生という有限な時間を、誰と、どんな時として過ごすか…。

 母は私の年齢の時、働く父を支えながら家事をしていた。私は母とは違う人生を歩んでいる。

 今年、還暦で人生の一巡りの自分。久しぶりに一人の時間で、感覚に焦点を合わせて過ごしてみるのもいいかもしれない。

(つづく)

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写真・文/飯田裕子(いいだ・ゆうこ)

写真家・ハーバリスト。1960年東京生まれ、船橋育ち。現在は南房総を拠点に複数の地で暮らす。雑誌の取材などで、全国、世界各地を撮影して巡る。写真展「楽園創生」(京都ロンドクレアント)、「Bula Fiji」(フジフイルムフォトサロン)などを開催。近年は撮影と並行し、ハーバリストとしても活動中。Gardenstudio.jp(https://www.facebook.com/gardenstudiojp/?pnref=lhc)代表。

 

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この記事へのみんなのコメント

  • 田村美樹

    女性の目線の柔らかな空気の漂う記事にほっと致しました。 いろいろな介護がある中で、悲愴感漂う記事しか読んだことがなかったので、このような介護もあるのだなと安心出来ました。 もちろん大変な事が多いということはわかりますが、その合間にこのような気持ちを持てるときがある事を教えて頂けました。

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