兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし「第46回 兄のケータイに電話がかかってきました」
若年性認知症を患う61才の兄は、ライター業の妹、ツガエマナミコさんと2人で暮らしている。仕事を辞め、ほぼ1日中自宅のリビングにいる兄と仕事の多くを家でこなす妹は、一つ屋根の下で長時間一緒に過ごしているのだが…。
ツガエさんが2人の日常を綴る連載エッセイ、今回は、兄に幼なじみから電話がかかってきたエピソードだ。
「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
* * *
幼なじみと旧交を温めた兄でしたが…
つい先日、またまたほっぽらかし状態になり充電切れしていた兄のケータイ電話に気づき、「ダメじゃん、充電しなきゃ」と言って充電をはじめると、その30分後、待っていたかのようにケータイが鳴り出したのでびっくりしました。
兄は操作の仕方を忘れているので、モタモタしているうちに音が切れてしまい、しばらくケータイ電話を外側から眺めるあり様。そんな兄からケータイをひったくり、わたくしが着信を調べると、見覚えのあるお名前が出てきました。兄と小、中学校を共にした幼なじみのTさんでございます。
当時は、団地族で、そこら中に友達がおりました。兄は特に仲のいい4~5人とつるんで、家に呼んだり、呼ばれて行ったりしておりましたっけ。
「Tさんからだよ。覚えてる?」と言うと「おお、Tか。なんだろう。昔さ、団地のあっちの方に居たんだよ」と言うので、「折り返すから出てね」と言ってリダイヤルボタンを押し、兄に手渡しました。
数年前まではちゃんと電話帳に登録することができたのに、今はリダイヤルもできないのか…と思いながら、兄がTさんと会話をするのを遠くから聞いておりました。「また訃報かな?」と気にしていましたが、そうではなかったようです。5~6分の世間話で終了し、結局自分の病気のことは言わずじまい。何か約束していても忘れてしまうことが心配でした。
すると翌日、またも兄のケータイ電話が鳴りました。着信をみると今度はSさん。団地族でつるんでいたもう一人の幼なじみさんです。「なんだモテモテやないか」と思い、またリダイヤルボタンを押して兄に手渡し、わたくしは部屋に引っ込みました。引っ込んでも兄の声は聞こえるので、「訃報や同窓会の気配を感じたら出て行こう」とスタンバっておりました。
しかし、終始和やかな雰囲気で、特に時間や場所を聞いている様子もなかったので、Tさんから兄の電話が開通していることを知らされて、Sさんもわざわざお電話をくださったのだと思いました。持つべきものは友…ありがたいお話しです。
しかし、さらにその数日後、Sさんからわたくしのケータイに電話がありました。Sさんとは、Sさんの弟さんとわたくしが同級生というご縁もあり、兄の友人の中では一番近しい存在でございます。父が他界した後、電話でお話しをし、わたくしのケータイ番号もお伝えしてありました。
Sさんからの電話は、案の定、兄についての疑惑でした。
「訊いていいかどうか迷ったんだけど、お兄さんさ…あの…もしかすると」とSさんがとても言いづらそうだったので、「はい、そうなんです。じつは若年性認知症なんですぅ」と病気の経緯をお話ししました。
聞けば、Tさんはずいぶん前から兄にメールを送っていたのに返信がなく、そのうち電源が入っていない状態になって心配していたご様子。やっとつながったと思ったら「なんか会話がおかしい」となって、Sさんと連絡を取り合い、Sさんも電話をくださったという流れでした。
Sさん曰く、先日の兄との電話は「すっとんきょうな返事ばかりだった」とのこと。本人は普通に会話をしたつもりでいるだろうに、やはりバレていましたね、兄上…。
しばし、Sさんや弟さんの近況を聞き、我が家の引っ越した場所などを説明して「では、また」とお電話を切りました。これでわたくしの知り得る兄のご友人の方々には告知ができたので、妹としてはひと仕事終えた気がしております。
「同窓会などあったら兄も呼んでやってください」という兄思いの台詞を忘れずに、抜かりない妹を演ってやりました、ハイ。
つづく…。(次回は6月25日公開予定)
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性57才。両親と独身の兄妹が、6年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現61才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。ハローワーク、病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ