連載

兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし「第45回 若年性認知症の有名人」

 4年前に若年性認知症であることがわかった兄との暮らしをライターのツガエマナミコさんが綴る連載エッセイ。

 仕事を辞めた兄は、ほぼ外出せず、1日中家のリビングでテレビを観ながら過ごしている。兄の通院やハローワークなどたまにあるお出かけには必ず付き添い、家庭でも生活の様々なサポートを続ける妹のツガエさんだが、ある日、とある新聞記事を見つけて、いろいろと思うことが…。

「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。

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 * * *

兄には無理なのか…

 認知症といえばたいていは「親のこと」でございます。「兄弟が若年性認知症になっちまった」という話は、少なくともわたくしの周りではわたくし一人しかおりません。

 心優しき友人たちは、そんなわたくしを不憫に思い、会うたびに「お兄さんどう?」と心配してくださいます。中には若年性認知症の記事やテレビで知った情報を「こんな取り組みがあるみたい」とか「こんな風に楽しそうに仕事している人がいた」と教えてくださる人もいて、ありがたく思っております。わたくしごときの兄が、友人たちの聡明な頭の片隅に米粒ほどでもお邪魔しているのかと思うと心苦しくて仕方がありません。

 ただ、わたくしは「兄にはどうせ無理」と思ってしまう人間なので、聞くだけ聞いて話がまったく広がらない点がたいへん申し訳ないのですが。

 友人たちの言うように、若年性認知症でも立派に社会生活を営んでいる方はいらっしゃいます。その最たる方が、宮城県は仙台市に住む若年性認知症の男性でございます。以前からちょくちょくメディアに取り上げられているので、もはや若年性認知症界隈ではイチロー並みの有名人でございます。

 最近また新聞で何度かお見掛けして、改めてこの方の認知症ライフが理想的で素晴らしいことを認識いたしました。とともに、誰もがこんな風にはなれない現実、特に兄との差を感じずにはいられませんでした。

 新聞記事で知る限り、その方は自動車販売会社の元営業マンで、39歳のときに認知症と診断されて現在46歳。自らが認知症当事者のための相談窓口「おれんじドア」を立ち上げ、代表として活動していらっしゃいます。しかも妻子もいる一家の大黒柱。勤務先の理解があり、社員を継続しつつ、今では認知症に関わる活動や講演を業務として認めていただいているそうでございます。講演か所は広範囲に及び、年間100本を超えているとか。何よりわたくしが驚いたのは、たいてい一人で出かけていらっしゃるという点です。

 認知症は、道に迷いがちでございます。でもその方は「工夫」をし、「失敗」を繰り返し「成功体験」を積み重ねるという努力を忘れていらっしゃいません。

 思わず「これだよ、これっ!こういう姿勢がほしいのよぉ」とわたくしは記事を読みながら膝を叩きまくりました。

 人と比べるのは良くないとわかっております。でも我が兄を見て思うに、兄の辞書にはもう「一人で電車に乗る」という文字はございません。それどころか、薬を忘れずに飲む努力も、散歩に出かける勇気も、新聞受けに新聞を取りに行こうという発想すらも皆無です。片や家族を持って、懸命に社会と関わって生きているというのに、なぜ兄はこんなポンコツなのでございましょう。

 少しでも病気の進行を遅らせたくて、やる気のない兄に「名前を毎日10回書いてみよう」とか「住所ぐらい書けるようになろうよ」とハッパをかけていた時期もあったのですが、最近はわたくしのほうが諦めております。

 きっと仙台の男性が稀なのです。兄は妻子もいないですし、もう61歳の初老。土台がまったく違います。しかも妹に頼って生きていれば楽ちんですから、自分が努力するというよりもなるべく目立たぬようにじっとして、ひたすらわたくしの顔色を窺うことに磨きをかけているのです。

 先ほども、わたくしが洗濯物を干しにベランダに出ようとした際、兄がやおら立ち上がって窓を開け、ベランダのサンダルを揃え、カーテンを持ち上げるようにして「こちらへどうぞ」のポーズをしてくれました。わかりやすいご機嫌取りの手法に「そういうの要らないんだけど」と言いたいところでしたが、むげに断るのもかわいそうなので「あら、ありがとうございます」と言ってやらせてあげました。

 こういう兄の優しさを「優しいなぁ」と素直に喜べる妹だったなら…と思います。

つづく…。(次回は6月18日公開予定)

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文/ツガエマナミコ

職業ライター。女性57才。両親と独身の兄妹が、6年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現61才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。ハローワーク、病院への付き添いは筆者。

イラスト/なとみみわ

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