兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし「第38回 まさかの入浴介助」
ライターのツガエマナミコさんが、若年性認知症の兄との暮らしを綴る連載エッセイ。
認知症の症状なのか、3週間ほど入浴をしない兄。脂でペトペトした頭髪を見かねたツガエさんが入浴を促し、「なんなら洗ってあげよか?」と関西オバンチャン風におどけて語りかけたところ、兄がまさかの同意。今回は、ついに全裸の兄と…。さて、その衝撃の展開とは?
「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
戦闘モードで兄と浴室に…
完全に読みが外れ、痛みは事実のようでした。兄がいつまでも左腕をさすっているので最終確認としてバンザイをさせてみると、右腕はまっすぐ上がるのに左腕は肩より上に行きません。
「それが限界?」と何度か念を押し、角度的に頭を洗うのは難しいかもしれないと思ったので、わたくし覚悟を決めて兄の入浴介助をいたしました!思えば、母にもしたことがない介助でございます。大げさに言えば泣きたい気持ちでした。
「全部脱いで、先に入ってお風呂場の中の小さい椅子に座ってて」と言ったのですが、モタモタとしてなかなか脱がないし、脱いだら脱いだで「ここに座ればいいの?」ときいてくる。浴室に椅子は一つしかないのに全裸でうろうろしてなかなか座らないし、その間も「寒い寒い」を連呼し、落ち着きません。
もちろんわたくしはガッツリ服を着ての戦闘モードでございます。広くもない浴室で兄と二人きりになるなど誰が想像したでしょう。
「シャワーはこれをこっちにねじるの」と言いながら、兄の背中側に立ち、お湯を出しっぱなしで髪を洗い、背中を洗い「前は自分で洗って」とナイロンタオルを兄に渡して、「足の裏がまっ黒だったからちゃんと洗ってよ。顔もね」と捨て台詞のように吐き捨てて浴室を出てきました。
『ユマニチュード』(第36回参照)などとんでもないと思いました。『目線を合わせて、身体に優しく触れ、穏やかに声をかけながら介護する…』そんなことはわたくしにはできない。いや、したくないと強くインプットされました。
兄の3週間分の皮脂汚れを足の裏に感じて屈辱感と敗北感しかありません。扉の外から「最後に湯船にゆっくり浸かってね」と言い、人生最悪のミッションが終了致しました。
深夜に自分の足の裏を洗い、お風呂場を洗ったのは言うまでもありません。
おまけに、これには後日談がございます。
本当に左腕が上がらないままなら整形外科に行かなければ…と考え、翌朝兄に「腕、大丈夫?」と言いました、するときょとんとして「なに?腕?別になんでもないよ」と真顔で言い放ったのです。昨夜腕が痛いと言ったことも、入浴介助されたこともまったく記憶にない顔でした。
痛いことを忘れてしまったのかと思い、一応バンザイをさせてみると、みごとに両腕キレイに天高くまっすぐに上がったのです。
「やられたー!」と思いました。「やりやがったな」と内心大苦笑でございます。モノの本によれば、認知症の人はウソをつかないとあります。周りにはウソに思えても本人の中では真実なのだと。そしてもし、この出来事を擁護の立場で申し上げるなら、湯船にゆっくり浸かったことで肩の痛みが解消されたと捉えるべきでしょう。
あれから兄はまた2週間ほどお風呂に入っていません。でももう「洗ってあげよか?」は口が裂けても言わないと心に決めております。そういえば、月1回の散髪をサボっていらっしゃるので、散髪屋のご主人には申し訳ないが、今度は散髪を促してみよう。
夏は頻繁にお風呂に入ってくれるだろうか。夏の2週間無入浴はいろいろきつい。それだけが今心配なことでございます。
つづく…(次回は4月30日公開予定)
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性57才。両親と独身の兄妹が、5年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現61才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。ハローワーク、病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ
●簡単!ハンカチマスクの作り方|マスクが買えない! 縫い物も苦手な人へ…