がんといかに哲学的につきあうか、笑いの絶えぬ講座
朗読【1】「天寿がん」の時代に向けて 名詞の世界から形容詞の世界へ(『がん哲学』P14-15) 「がんは一人ひとり、その性質が全部違う。遺伝子の変化でもしかりである。がんは個別的、個性的であって、「良いがん」もあれば、「悪いがん」もある。「良いがん」は治療によく反応して治るが、「悪いがん」になると、治療に抵抗するようになる。「がん」という「名詞」ではなく、「良い」「悪い」という「形容詞」の世界で見ると、がんでも人でも、見る目に幅が出てくるはずである」(一部)
●受講者と樋野先生の対話
Q:「天寿」とは何でしょうか?
A:「天寿」というのは、「何歳」というものではないんですね。40歳の人いれば、90歳の人もいる。相対的なものなんです。いまは平均寿命が80歳くらいだから、そのくらいだと考える人が多いかもしれませんが、年齢ではないんですね。
Q:「ある確率でDNAに傷がつく。よって、生きるということが、がん化への道でもある」と本にありますが、どういう場合に傷がつき、どういう場合につかないのでしょうか?
A:がん化するような遺伝子に傷がついた場合です。人間は2万から3万の遺伝子を持っていますが、そのなかでがんを起こす遺伝子は100とか200くらい。多くの遺伝子はがんと関係ないのです。関係のある遺伝子が異常になったら、人はがんになるわけです。
Q:がん細胞と免疫の関係について教えてください。 A がんが大きくなるのは免疫の影響だけではありません。がんがある程度大きくなったら免疫の影響はかなり出てきますが、小さいときは、むしろ正常細胞とがん細胞とのコミュニケーションによって、がんが大きくなったり、反対に大きくならなかったりするんですね。
──僕がいつも言っているのは、「がん細胞に起こることは人間社会にも起こる、人間社会に起こることはがん細胞にも起こる」ということです。がん細胞は、いわば不良息子と同じです。不良息子を大人しくさせること、あるいは、巨大化させないことがまずは大事なんですね。「何もしないほうがいいと言い切るのは純度が低い知識」
「何もしないほうがいいと言い切るのは純度が低い知識」
Q:「がんの性質は、境遇によって(外からいろいろな方法で〈適時〉に〈的確〉に介入することによって)変えられる時代になってきた」と先生の本にはありますが、「何もしないほうがいい」と仰る先生もいます。先生のお考えを教えてください。
A:今はいろんなことを仰る先生がいますし、いろんな本が出版されていますが、何もしないほうがいいと言い切るのは純度が低い知識だと思います。我々から見ても何が正しいかわからない部分はあります。その場合、曖昧なことは曖昧だと答えるのが科学的な態度です。つまり純度の高い専門家は「わかりません」と言う。そういう先生には「愛」があると思います。だから最後まで患者と寄り添います。
ただ、自然治癒がないわけではないんです。特殊なタイプのがんには起こります。ですから自然治癒を否定はしないけれど、やはり、常識的に考えなければいけないと思いますね。本に書いた〈適時〉というのは「できるだけ早く」ということ、〈的確〉は、「正しい方法で対処・治療する」こと、これが大事ですね。
Q:「名詞」ではなく「形容詞」でものを見る、ということの意味を、もう少し具体的に教えていただけますか。
A:不良息子のことを、たとえば「茶髪」だと言ったとき、この「茶髪」は名詞ですね。でも茶髪にも「良い」茶髪と「悪い」茶髪がいるんです。そういう見方をするんですね。名詞に善・悪はない。形容詞に善・悪がつく。ですから形容詞でものを見ることが大事なんです。
たとえば我々の「顔」で考えると、「顔立ち」は「名詞」で、「顔つき」は「形容詞」です。顔立ちは生まれもったものなので変えることはできません。一方、顔つきは日々の心がけで変えられます。いつもニコニコしている人の顔つきはどんどん良くなりますよね。ですから、名詞に一喜一憂すると、人生、疲れるんです(笑)。変えられないものは受け止めなければならない。変えられるものに、人は全力を尽くしてほしいと思いますね。 なぜ知らせは最初に羊飼いに来たのか