介護美容研究所 山際聡さんの思い「美容の力で介護を変える」
介護が必要な高齢者にメイクやマッサージ、エステ、ネイルケアな美容のサービスを行うことを「介護美容」「福祉美容」と呼び、いまニーズが高まっている。「介護美容」の分野にいちはやく着目した介護美容研究所・ミライプロジェクトの山際聡さんに話を聞いた。
「介護美容」とは?
高齢者に対して理美容やマッサージ、エステ、ネイルケアなどを行うサービスを「介護美容」「福祉美容」などと呼ぶ。
2012年4月の介護保険法の改正によって、高齢者が住み慣れた地域で医療だけでなく、理美容などの生活支援サービスなどを受けられるよう、地域での体制づくりが進められるようになった。
さらに、2015年の理容師法・美容師法の改正。それまでは結婚式など特別な場合を除き、理美容室など以外での理美容サービスの提供は禁止されてきたが、この規制緩和によって理美容師などによる「訪問理美容」などの“出張サービス”が正式に認められるようになった。
こうした条件が整ったことで、福祉美容サービスに参入する業者が増加。高齢者施設側の受け入れ態勢も整いつつある。美容業界で活躍していた山際さんは、2015年に株式会社ミライプロジェクトを立ち上げ、福祉美容という新たな領域に飛び込んだ。
美容業界のプロが介護の分野へ
「身なりに気をつかって、ヘアスタイルにもずっとこだわってきた女性が、高齢になって体がきかなくなったからといって、施設の中でバリカンで髪を切られるようになってしまう。そんな現状を変えたいと思ったんです」
長年にわたって美容系の広告代理店、美容学校の運営、マーケティングなどに携わり、美容業界のプロフェッショナルとして歩んできた山際さんが、次なる道として志したのが、「介護美容」の分野だった。
美容業界と介護業界…学校や給与の問題点
「美容業界にいて痛感するのが、お客さまの減少。その一番の原因が高齢化です。『足腰が弱って自分で美容室に行けない』、『腰痛などで長時間サロンの椅子に座れない』といった理由で、美容室離れが急速に進んでいるのです。
それなのに、美容室の数は全国で23万7000店舗、理容室は12万6000店舗と、供給過剰に陥っています。
その一方で、介護の世界では今後10年で37.7万人もの人手が不足するといわれています。こうした現状を、これまで美容業界で培ってきた経験を活かして、なんとかしたいと考えたのです」(山際さん、以下「」内同)
山際さんはまず、介護業界で働く人の現状をリサーチした。
「美容業界では、専門学校を卒業してアシスタントになると、給与は額面16万円で社会保障なしなんて、当たり前です。
それに比べて介護職の専門学校を卒業した新卒生の場合、資格手当を含めると初任給は額面で21〜22万円ほど。人材不足の業界ですから、ほとんど正社員で就職できますし、社会保障ばかりか住宅手当がつく会社もある。運営する企業が環境改善につとめているので、想像以上に働きやすい環境であることに驚きました
それでも人材不足なのはやはり、『介護職はキツイ』『待遇が悪い』というイメージがあるからだろう、と。介護の世界に美容を取り入れることで、『高齢者ケアの世界でも発想や技術を活かせる』『クリエイティブでやりがいがある』といったイメージに変えていきたいと思いました」
資格を持つ休眠美容師を介護美容のプロへ
2000年頃の美容ブームだった頃に比べると、美容学校への入学者は減少傾向にはあるものの、いまだに年間約1万8000人はいる。しかし山際さんが注目しているのは、美容師として活躍した経験がありながら、出産や子育てのために離職してしまう“休眠美容師”だ。その数75万人に上るという。
「休眠美容師にアンケートをとると、3分の1が『復帰したい』と答えます。でも、多くの美容室は週6日勤務が原則なので、子育てしながら働くのは、現実的に難しいのです。でも、介護施設への訪問美容なら、メインの時間帯が午前中から夕方までなので、主婦でも無理なく働けるでしょう」
美容師1人1人が介護施設を回って売り込むのはとても大変。施設側も、飛び込み営業では美容師のクオリティや信頼度に不安をもつはず。そこでミライプロジェクトが美容師のエージェントとなり、施設からの依頼を受けて、美容師を派遣する。
また、美容師は美容技術や知識をもっていても、高齢者ケアの知識はない。そこで美容師に対しては、高齢者ケアのテクニックなどを6か月かけて指導し、“福祉美容のプロ”として育成。この2つの事業を両輪に、山際さんは福祉美容の世界で勝負しようとしている。
カリスマ美容師が語る介護美容の仕事とは
福祉美容の第一人者として活躍する美容師の1人に、湯浅一也さんがいる。湯浅さんは原宿の有名美容室で勤務後、20代で独立。そのテクニックを福祉美容の分野で生かそうと、株式会社un.を立ち上げた。彼の元に若手スタイリスト数名が集まり、訪問美容をスタート。
山際さんは今年5月に湯浅さんをゲストに迎えて、介護×美容をテーマとしたイベントを開催し、福祉美容の現場で実感したことなどを話してもらった。その中で湯浅さんはこう話したという。
「一般の人向けの仕事に比べて、介護美容はクリエイティブではないと思われがちだが、けっしてそうではありません。ヘアスタイルにこだわりをもつ人がいるのは、美容室でも高齢者施設でも同じ。
それに、紫色のカラーリングのように、白髪になった高齢者だからこそ似合うスタイルもあります。高齢者ならではの色やスタイルを研究し、その人の美しさを引き出すという仕事は創作性を掻き立てられるし、やりがいがある」
介護と美容の人材コンサル企業、始動へ
ミライプロジェクトが介護美容の事業を本格的にスタートさせるのは来春以降(※取材は2017年時点)。実は起業してからの2年間、山際さんたちは介護業界を熟知するために、まずは介護スタッフの人材紹介と派遣業をメインに事業を展開してきた。
また、山際さんや広報スタッフの中野路子さんらは機会を見つけては高齢者施設でボランティアとして働き、介護の現場を体験している。
認知症の人がヘアメイクで記憶が…
「認知症で、家族の名前も忘れていた女性にごく簡単なヘアメイクをしたら、その後4時間ほどは記憶が蘇って、以前のような会話ができたことがありました。
長年美容業界にいたせいでつい忘れがちですが、こういう経験をすると、やはり美容はすごい、人を幸せにできる技術なのだということを、あらためて実感させてもらいました」
施設の「お出かけの日」でも、気分が乗らないなどの理由で外出を断る高齢者は多い。しかし、理美容やメイクなどのサービスを受けた後は、「外出したい」という希望が増える。そのため、一部の施設では、理美容サービスとお出かけをセットにしてケアプランを組んでいるという。
ネイルケアのサービスでマニキュアを塗ると、自分の指先を嬉しそうに何度も見たり、落ちてしまうまで大切にしたりする女性は多い。フットケアで角質を取り除いた後は「足の裏で地面を感じられる」と、自分から積極的に歩き出すケースもある。
その一方で、まだ訪問美容を活用できていない施設も少なくない。そうした施設では、介護ヘルパーがバリカンで高齢者のヘアカットをすることがある。
「理美容師免許を持っていない人がはさみで髪を切ることは禁止されているため、バリカンを使うしかないのです。しかし、致し方ないとはいえ、これまでおしゃれで、お気に入りの美容室に通っていた女性が、体が不自由になったためにバリカンで髪を刈られるのはショックでしょう。
そこに単に美容師を送り込むのではなく、高齢者ケアがきちんとできて、施設側にも信頼してもらえる人材を派遣するのが、僕らのプロジェクトの要です」
例えば高齢者は、同じ話を何度も繰り返してしまうことがある。こうした場合もどのように対応すればよいのか、美容師がわきまえていればお互いにリラックスして会話を弾ませることができる。また、体が不自由な人は、寝かせたままで髪を切るケースも出てくる。このように、福祉美容ならではのテクニックを身につけることが、高齢者だけでなく、施設側や美容師の安心や幸せに直結するのだ。
介護美容研究所…気になる学費は?
編集部追記(2020年9月18日):2017年の取材当時、ミライプロジェクトとして始まった山際さんの活動は、現在『介護美容研究所』としてスクールを開講。現在、東京・原宿、大阪・心斎橋、福岡・博多の3カ所で、介護美容の専門スクールとして注目を集めている。
・美容師・理容師向けの『訪問美容コース』
・介護士・看護師・美容専門職向けの『ケアビューティーコース』
上記2つのコースが用意されている。
気になる学費は、当サイトのQ&Aによると、「分割払いも対応しており、月々1~2万円程度からご通学が可能」となっている。
【データ】
介護美容研究所:https://academybc.jp/
高齢者を美容サービスで健康へ導く
資生堂が2014年7月から6か月間、4か所の高齢者施設で計120回、404人の高齢者に独自の「化粧サービス」を行い、そのうち234人から有効な回答を得て、結果を分析した。その結果、化粧サービスを利用することで健康だと感じる人が増え、不健康と感じる人は減少。さらに気分が落ち込むなどの抑うつ傾向が改善されたことがわかった。また、このサービスによる介護費用削減効果を試算したところ、年間約1万4220円の効果があるという結果となった。
ほかにも、美容サービスによって脳の認知機能が維持されるなど、さまざまな研究データがある。高齢者の生活費のなかで、美容費は後回しにされてしまいがちだが、ここにお金をかけることが高齢者の健康、ひいては医療費削減につながるかもしれない。
「福祉美容を通して変わってほしいと思うのは、実はご家族の考え方です。おしゃれだったご両親が、体がきかなくなったからといって、いきなりお遊戯をするのは不自然だと思いませんか? 歳をとったら子どもに戻るわけではない。身なりを整え、いつまでもきれいでいたい一人の女性、男性であるという考えを、ご家族に受け入れてほしいのです。
そのために美容サービスをもっと積極的に活用していただきたい。それが高齢者の尊厳を保ち、人生のフィナーレを美しく飾ることにつながるのではないでしょうか」
【データ】
株式会社ミライプロジェクト http://www.mirapro.net/
訪問美容サロン trip salon un. http://c-b-un.com/
撮影/津野貴生 取材・文/市原淳子
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