《母親は若年性アルツハイマー》20年以上介護を続けるフリーアナ・岩佐まりが語る両親との向き合い方 「明日行く」と約束した父からの最後の電話…「お母さんをよろしくね」の言葉に今も残る後悔
29歳で若年性アルツハイマーの母親の介護を父親から引き継いだフリーアナウンサーの岩佐まりさん(42歳)。当初は心身ともに限界寸前まで追い詰められたが、介護を学び資格を取得することで、母親との関係を改善、20年以上在宅介護を続けている。一方、離れて暮らしていた父親の最期に駆けつけられなかった後悔などを語った。【全3回の第2回】
介護や認知症を学ぶことで、母親との関係が改善した
――大阪で若年性アルツハイマーの母親の介護をしていた父親がギブアップ。東京で1人暮らしをしていた岩佐さんとバトンタッチしたのが、母親が64歳、岩佐さんが29歳のときでした。
岩佐さん:父は介護と仕事と家事で疲弊しきり、夫婦ゲンカが増えていたので、私が引き取りました。私と暮らすようになった母に笑顔が戻りましたが、それも束の間、BPSD(認知症の行動・心理症状)が強く出るようになりました。ここが自分の家だと理解できずに「帰る」と外へ出ようとしたり、徘徊で警察に捜索願を出すことになったりと、困難な日々が続きました。
母との向き合い方が分からなくて、私も母とぶつかることもありました。先行きが不安になっているとき、母への接し方が上手な介護職の方々を見て、介護や認知症を理解すれば母との関係がよくなるかもしれないと考えました。それで、母をデイサービスに送ってから学校に通うことを1か月ほど続けて、介護職員初任者研修という資格を取りました。
そこでは介護の基礎を学ぶのですが、資格を取ることで、私はもう素人じゃないと自信がつきました。認知症のことや、動けない人のサポートの仕方も覚えるので、将来的に母が寝たきりになっても介護を続けられるという安心感につながりました。その心の余裕から母との関係もよくなって、母のBPSDもかなり落ち着きました。
思い返すと、それまでの私は母の自尊心を傷つけるような言い方をしていたんです。例えば、「なんでこんなことができないの?」「夜だから外に行っちゃだめだよ」とか、否定的な言葉をかけていた。
本人は昼も夜も分からない状況で、昼だと思って外に行こうとしているんです。それで「夜だから」と私が叱るとケンカになる。それなら、「一緒に散歩しよう」と誘って、夜中でも付き合ってあげればよかった。当時の私にはそうした発想ができませんでした。
この病気と向き合うには知識が必要だと痛感し、勉強を重ねるうちに、社会福祉士、全身性ガイドヘルパー、認知症介助士、認知症ライフパートナー2級などの資格を取得するに至りました。
母親の介護に後悔はない。一方、離れて暮らす父親は……
――20年以上介護を続けられて、一番つらかったことは?
岩佐さん:今お話しした、母と暮らし始めた初期ですね。私は仕事もしているので、介護と仕事で、寝不足と疲労で心身の限界がきました。そんな私を見て、ケアマネジャーさんから「介護から離れて、ご自身の時間を作ってください」と助言されたんです。それから毎週土日、1泊2日のショートステイを利用するようになると、体が随分と楽になりました。あのアドバイスがなかったら、私は母と共倒れになっていたかもしれません。
介護に忙しくて誘いを断っているうちに友人が減りましたが、「お母さんと一緒でいいから」と家に来てくれた友人は、今でも親しくしています。深く付き合える人だけが残ったので、むしろよかったのかもしれません(笑い)。
――老人ホームのような施設の入居は検討しなかったのですか?
岩佐さん:アルツハイマーと診断されたあたりに家族で話し合いましたが、老人ホームは母が泣くほど嫌がったんです。当時はまだ60歳ですから、親くらい年の離れた方が入居している施設に入りたくないという気持ちはよくわかりました。父はもう母の介護ができないと言うし、このタイミングで私が母を東京に呼ぶことにしたんです。
――現在、母親は77歳でほぼ寝たきり、岩佐さんを娘だと認識できなくなっているそうですね。岩佐さんは第2子を妊娠中で、2歳のお子さんを育児しているダブルケアラー。改めて施設という選択肢はない?
岩佐さん:母は要介護5、喀痰(かくたん)吸引は多い時には1時間に1回必要で、胃ろうもしています。それだけ医療的な依存度が高くなっていると、看護師が24時間いる施設が条件になってきて、受け入れ先が少ないんです。少なくとも近くにはありません。ここまできたら、最期までそばにいたいという思いもあります。
――長い介護生活を振り返って、こうしておけばよかったという後悔はありますか?
岩佐さん:母については、基本的に後悔はありません。もちろん、細かいことはあるんですよ。例えば、母はおととしの3月に「胃ろう」にしましたが、きっかけは新型コロナに感染して嚥下機能が急激に落ちたことでした。その頃は母のコレステロールを気にして、甘いものを控えていたんです。こんなに早く経口摂取できなくなるなら、大好きなパフェやケーキをもっと食べさせてあげたらよかった。
母については一緒に暮らして、ずっと近くで寄り添っているのですが、3年前に亡くなった父に関しては、後悔があります。私が母を引き取ってから、父は大阪で1人暮らしをしていました。脳梗塞を起こして歩行が困難になり、買い物や調理は毎日ヘルパーさんにしてもらっていました。
忘れられない、父との最後の会話
岩佐さん:結婚を機に、今では私も同じ大阪に住んでいるので、たまに父の様子を見に行って、病院に連れて行くこともあったのですが、母にも通院があります。どうしても母の介護が優先になり、父のことはヘルパーさんにお任せしがちでした。父は意識もはっきりしていましたし、どこかで安心していたんです。
けれども、父の体調もどんどん悪くなっていました。ある日、「体がしんどいから、俺はもう死ぬんだ」と電話がかかってきたんです。父は体調が悪いと「もう死ぬ」とよく言うので、「いつもの」くらいに軽く考えてしまったんです。昨日会ったばかりだったので、「明日行く」と約束して、ヘルパーさんにも状況を伝えました。同じ大阪といっても距離があって、しかも私は臨月で身軽に動けませんでした。
――翌日、ヘルパーさんが訪問した時には、父親は冷たくなっていたんですね。
岩佐さん:あの電話が父との最後の会話になりました。「今までありがとうね」と言われたことを、よく覚えています。「お母さんをよろしくね。今までありがとうね」って、その想いを私に伝えたかったのだと感じました。
父は自分の死を受け入れて、満足した人生だったと思うんです。自分のやりたいように生きて、最期まで自宅で過ごしました。おそらく、父には後悔はないんです。ただ、私はあの時どうして駆けつけなかったんだろう、すぐに向かっていたら異変に気付いて救急車を呼べたかもしれない、助かった命だったのかもしれない。そう思うと、悔やみきれません。
◆フリーアナウンサー、社会福祉士・岩佐まり
いわさ・まり/1983年9月27日、大阪府生まれ。ケーブルテレビなどで司会・キャスターとして活躍。55歳で若年性アルツハイマー型認知症を発症した母を、20歳から20年以上介護。介護の日々を綴ったブログ『若年性アルツハイマーの母と生きる』は月間総アクセス数300万PVを超える人気ブログに。認知症ケアに関する講演を全国で実施。著書に『若年性アルツハイマーの母と生きる』(KADOKAWA)などがある。
取材・文/小山内麗香
