みそ汁も風呂もお熱いのがお好き「90代のグループホーム入居者の想いをどこまで叶えるべき?」現役介護職員で作家の畑江ちか子さんの戸惑い
認知症グループホームで働く作家の畑江ちか子さんは、介護職4年目。「入居者と家族に寄り添いたい」と奮闘する日々。食事や入浴に関してこだわりの強い入居者さんとどう向き合うべきか。入浴介助中に直面した「入居者の想い」と「安全面」の狭間で揺れる介護職員の想いとは。
執筆者/作家・畑江ちか子さん
1990年生まれ。大好きだった祖父が認知症を患いグループホームに入所、看取りまでお世話になった経験から介護業界に興味を抱き、転職。介護職員として働きながら書きためたエピソードが編集者の目にとまり、書籍『気がつけば認知症介護の沼にいた もしくは推し活ヲトメの極私的物語』(古書みつけ)を出版。趣味は乙女ゲーム。
※記事中の人物は仮名。実例を元に一部設定を変更しています。
熱々がお好き♪90代の入居者を巡るエピソード
「くぉんな水みたいなもんが飲めるかぁぁぁぁぁあああッ!!!!」
私が働いているグループホームの入居者さんには、ちょっとでもぬるいみそ汁を出すと、建物が揺れるレベルの声量で怒鳴り散らかす男性がいます。
山本清さんは、昭和一桁生まれ。夕方のカラオケレクリエーションでは軍歌や戦時歌謡をMCなしで4、5曲ほどブッ続けで歌われ、他の利用者が1曲歌っている最中にお茶で口を湿し、再び4、5曲全力で歌い上げられるという、とても強靭な喉をお持ちの男性です。
ちなみに、彼のすごいところはノーマイクという点です。それでいて、オケを圧倒するレベルの爆声を轟かせることができるのです。
まだ新人だったころ、私はこの山本清リサイタルに圧倒されていました。業務を終え施設を出るころには、いつも聴覚がぼんやりとしていたのです。そう、まるで「ロックバンドのライブで、席がスピーカーの真ん前だったときの帰り道」のように…。
そんな山本さんには、ひとつ気をつけなければならないことがありました。
それは「飲み物や汁物はアツアツで提供すること」です。やはりあの声量を維持するためには、日頃から喉を温めておく必要があるのか、と一瞬納得しかけましたが、すぐに安全面について気になりました。
当時指導についてくれた先輩に「やけどの心配はないのですか?」と質問すると「あるけど、アツアツじゃないと怒りまくって大変なことになるから…。その点はご家族様とも話し合って、この方向になっているから」とのことでした。
私としてはとても心配でしたが、注意して見守っていると、彼はご自身でしっかりと冷ましながら、おいしそうにお茶やみそ汁を味わっていました。
そして「たしかに、これまでの90年近い人生、いつもアツアツのものを楽しんでいたのに、施設に入ってから急にぬるいものだけを飲めなんて、無理があるよな」と思ったものでした。介護職とは、“その人が歩んできた人生”に寄り添うことが求められる職業なんだ、と実感した瞬間でもありました。
しかし、その“寄り添いたい”という気持ちと“安全面”の間で、非常に悩ましく、揺れる問題がありました。
それは、お風呂です。
入浴介助中の困った問題
山本さんの入浴スタイルは、まずシャワーで軽く体を流し、40℃近いお湯に15分ほど浸かられます。それから、シャンプーを10分ほどされ、体も10分ほど入念に洗われ、時間をかけてご自身で髭剃りもされます。最後に、また10分ほどシャワーに打たれて、ようやく終了となります。
着替えなど諸々含め、トータル1時間ほど。私も長風呂なので、週2日しかない入浴日を存分に楽しみたい山本さんの気持ちはとてもよくわかります。
しかし山本さんは高血圧。訪問診療の医師からは「血圧が150以上のときは入浴を中止してください」と指示があり、入浴時の身体的な負担を極力避けるよう言われていました。なので、私はいつも山本さんが湯船に浸かってから10分経たないうちに声をかけるようにしていました。
「じゃあ、山本さん。そろそろ体を洗いましょうか」
「へーい」(30秒経過)
「山本さん、そろそろ上がりましょう」
「風呂がぬるいから体がまだあったまらないんだよ」
「おでこにいっぱい汗かいてるから、体はあったまってるはずですよ。一旦上がって、汗を流しましょう」
「ヒゲまでよーくあっためなくちゃ」
「ね、ヒゲもあったまって剃りごろですよ。湯船から出て髭剃りしましょうよ」
「こんな水みたいな風呂じゃ全然あったまらない!!」
このやり取りが長引くときは、20分ほど続くときもあります。とにかくしつこく、間を置かずに声をかけまくりますが、山本さんを湯船の外へ出すのは至難の業なのです。
本人の想いに反する葛藤
私も、湯船では汗をびっしょりかくのが好きです。お湯に浸かっているあいだは、本を読んだりスマホをいじったりして過ごしています。だから山本さんにも、のんびりタイムを楽しんでほしい。介護施設としては、これまでの生活歴や好みにも寄り添ってあげたい。けれど、それは彼の命があってこそ。心苦しいですが、介護職としては半ば強めに言ってでも、湯船から出てもらうしかないのです。
現に、過去このやりとりが長引いてしまったせいでのぼせてしまい、救急搬送されてしまったこともあったそうです。ご家族様は「家にいたころも長風呂だったので」とおっしゃっていたそうですが、かといって「じゃあ好きなだけ浸かってもらえばいいか」ということにはできません。
また、高齢者は皮膚感覚が低下して熱さを感じにくくなるケースがあることも、留意しなければならない点です。加えて、長時間の入浴は肌の乾燥も招くことも心配です。山本さんも全身が乾燥していましたが、これは長風呂のせいもあるのではないか、と。
長風呂問題、万策尽きて…
山本さんの長風呂問題については、職員間で何度も会議が行われました。
タイマーを使用して「時間が来ました」と自覚をしていただく、お孫さんに「長風呂はしないように」とお手紙を書いていただく、娘様のお名前を出すなど、実力行使に訴えない範囲のことはやり尽くしてきました。しかしながら、そのどれもがうまくいきませんでした。
入浴に対する不満感や思い通りにならなかったという苛立ちは、後々の施設生活にも響いてくる可能性があります。職員に不信感を持った状態では穏やかな毎日を送れないでしょうし、介護拒否にまで発展すれば、彼の健康や清潔を保持してゆくのも難しくなってしまいます。
しかし人生の終盤、安全面ばかり優先して、「本当にここにいてよかった」と思ってもらえるのだろうか?入居者の願いを全部叶えてあげることは難しくても、医療チームと家族と相談しながら、施設でできるギリギリを攻めることはできないか――。頭を悩ませる日々でした。
3年目、山本さんの容体が!
山本さんの長風呂問題に頭を抱えながら業務にあたり3年が経ったころ、彼は急に体調を崩されました。手足にむくみが目立ち始め、「だるい」「起きたくない」とおっしゃるようになり、部屋で横になっていることが多くなっていきました。
そして徐々に食事量が低下し、痰が絡むようになり、定期的な痰吸引が必要になったため、医療スタッフが常駐していない当グループホームではケアが難しくなり、別の施設に移ることになったのです。
体調を崩されてから退所になるまで、1か月弱。私は、そのあまりのスピードに、ただただ「信じられない」と思うばかりでした。
年齢を考えれば、いつなにがあってもおかしくない。とはいえ、毎日元気にリサイタルを開き、熱々のみそ汁やお茶を楽しまれ、長風呂のあとにスポーツドリンクをグビグビ飲んでいた山本さんを見ていると、もしかすると永遠にお元気なんじゃないか、と思うこともありました。
当時の私は「明日は山本さんのお風呂か、疲れるだろうな」と憂鬱に思う日が来なくなるということを、リアルに想像できていなかったのです。
こだわりが強い入居者さんへの対処法
山本さんがいなくなってから、彼ほどこだわりが強く、自己主張が激しい利用者にはまだ出会っていません。こちらに気を遣っているのか、年齢やもともとの性格なのか、「これが好き!」「あれがやりたい!」を、思いっきりぶつけてくるかたはそう多くはいません。なので今入居されている皆さんに対しては、「なにがやりたいのか?」「どうしたいのか?」をこちらから探って想像し、実践しては成功と失敗を繰り返すトライ&エラーの繰り返しです。
もしも今後、入居者さんからの「私(俺)はこうしたい!」という主張を思いっきりぶつけられる瞬間が訪れたら、私はおそらく山本さんと過ごした日々のことを思い出すでしょう。
熱々がお好きな山本さんのように、その人の「こだわり」と「安全面」の間で揺れることがあったら――そのときはまた頭を抱えることになるんだと思います。
→前回の記事を読む「父の排泄介助を職員に任せることに罪悪感」を抱えるグループホーム入居者の娘を笑顔にした言葉と行動|現役介護職員で作家の畑江ちか子さんが綴る奮闘記

畑江のつぶやき
「入居者の願いを叶えてあげたい」けれど「命の安全を優先させなければならない」その狭間で揺れる日々です
イラスト/たばやん。