兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第268回 入所前、最後の日】
57才で若年性認知症を発症した兄を一緒に暮らしながらサポートし続けて早8年。妹でライターのツガエマナミコさんのその長く、つらい日々もいよいよ本日が最後となりました。明日、兄は特別養護老人ホームへ入所するのです。“つらい”と書きましたが、もちろんそれだけではなかった兄妹の生活、さまざまな思いが去来する胸中をマナミコさんが綴ります。
* * *
滞りなく入所できることを願う
明日の今ごろは施設に到着している、という時間になりました。
兄とこの家で過ごせるのもあと24時間足らず。今朝は先行でタンスや衣類を送り出し、残るはこまごまとした生活道具をまとめておくだけ。明日の朝には介護タクシーが車いすとともに迎えにきてくださり、わたくしは手ぶらで帰ってくるという段取りでございます。
乱暴極まりなかった兄は、なぜかここのところ大人しく、オムツ交換の際のキックやパンチはほぼなくなりました。「なにすんだよ~」と大声は出しますが…。
推測するに、ショートステイで下剤を使ってくださったのが怒りの原因だったのではないかと思っております。お便さまが出ないので処方していただいた下剤ですが、はじめのうちは全く効かず、看護師さまに摘便をしていただいておりました。その頃は、抵抗はしても「コノヤローバカヤロー帰れ」といった乱暴さはなかったのでございます。でも、下剤を使ってお便さまが出るようになった数日は、常に反応が暗く、ご飯のときでも怪訝な表情になっており、オムツ交換では大暴れでした。薬のせいでお腹が痛かったのかもしれません。
それが、ここ3日ぐらいは排便がなく、それと比例するように穏やかな兄に戻ってくれました。オムツの中にゆるいお便さまが溜まる状況は、わたくしだって不快でございます。だからオムツ交換するのですが、それを嫌がる気持ちもわかります。
「わたくしだったら恥ずかしいの極致」。かといってこれから一生摘便というのもどうかと思いますし、むにゅっとしつつコロンとした頃合いの良いお便さまが出てくれると、すこし救われるのですが、そう都合よくいかないのが世の常でございます。
今日は最後の訪問看護師さまの日。摘便でたっぷり出していただきました。1週間前は触るだけでキレてしまうナイフのような兄で、看護師さまもバイタルを測るのがやっとでございましたので、今日の兄を見てほっとしていらっしゃいました。
「やっぱり下剤で、予期せぬタイミングで出てしまうことが嫌だったのかもしれませんね」と”凶暴化は下剤のせい説”に賛同してくださいました。あくまで推測ですが…。
ちょっと悔しいのは、あと1日だというのに紙オムツと尿取りパッドがちょうどなくなってしまったこと。4~5枚入りがあればいいのに、結局大量に余ってしまうのに買うしかございませんでした。家に置いておくのはかさばるし、かといってそのまま捨てるにはあまりにもったいない。紙オムツの前に使っていた紙パンツや紙パンツ用の尿取りパッドも買い置きしていたのに突然倒れてしまったが故に大量に余っているのでございます。非常時のトイレに使えるとはいえ、わたくし一人にしては備蓄しすぎなので、特別養護老人ホームに寄付できないものか、聞いてみようと思います。
そうこうしているうちに夜がやってまいりました。
「夕飯を食べさせるのもこれが最後か」と感傷的な気分で食事介助させていただきました。あと12時間もすれば朝が来て、最後のヘルパーさまがいらっしゃる。明日も強い抵抗がないことを祈りつつ、大雨の天気予報が外れることを期待して、滞りなく入所できることを願う今宵でございます。
そしてレンタルしている介護ベッドや車いすを返却してしまえば、リビングは広々を通り越して伽藍洞になることでしょう。思い切って模様替えすることもこれからは自由。お尿さまやお便さまで汚されることのない生活が待っているのでございます。
そんなわたくしの事情を知ってか知らずか、お仕事の依頼が入り、さっそく忙しくなりそうな秋でございます。今までは「兄の介護が大変で…」を言い訳にできましたが、これからはその手が使えないのが一番辛ろうございます。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性61才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現65才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ