兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第264回 要介護5になりました】
認知症の症状が一気に進行し寝たきりになった兄の介護を続けるライターのツガエマナミコさん。兄は、特別養護老人ホームへの入所が決まり、先日要介護度の区分変更の申請もされました。もうすぐ入所…なのですが、その日までは、入所準備と日々のサポートは、変わらずマナミコさんが担っています。
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嬉しいのに寂しい
今や世間の8割がマイナカードを持ち、6割がマイナ保険証を持っているらしいですが、わたくしも兄もマイナ保険証はおろか、マイナカードさえ作っておりません。兄が歩けるうちに作りに行こうと思っていたら歩けなくなってしまって、バタバタしていたら病院の貼り紙に「2024年の年末で現在の保険証は使えなくなります」的なことが書いてあってびっくり仰天したところでございます。本人が受け取りに行くのが原則で、代理人による受取にはひと手間もふた手間もかかると読んで、ますますやる気が失せてしまった。やるべきことは次から次へと増えていくので、今すぐじゃなくてもいいことはついつい先送り。結果、いつも「ああ、アレやらなきゃ」と課題を引きずって生きているツガエでございます。
先日、福祉保健センターから「要介護5」のお知らせが届きました。要介護3からの飛び級でございます。ベッドに寝た切りで食事も介助が必須となるとそうなりますか。
ただ痙攣を起こして倒れた直後は、どうなることかと思いましたが、近頃はベッドでよく動いており、ときに脚を振り下ろす反動で起き上がる、なんてこともやってのけるようになりました。今のところベッドから降りようとはしないのですが、ふと歩けるつもりでベッドを降りたら危ないので注意しております。
母を介護していたときには言われなかったのですが、最近はベッドの柵を全て取り付けてしまうのは「虐待」となるそうで、よほどのことがないかぎり、どこか一カ所でも柵を外すのが介護施設などでは基本のようでございます。我が家でも柵を一部外しておりますのでベッドの高さは常にいちばん低くし、万が一落ちても怪我はしないようにしております。
ところで、入居の日取りですが、じつはまだ決まっておりません。だいたいあとひと月ぐらいという目途は立っていますが、「急いでいない」と言ったせいか、施設側ものんびりしているようでございます。
こののんびりした間に健康診断を済ませ、入居に必要なものを揃えなければなりません。例えばタオル類。持ち物の目安には、バスタオル5枚、浴用タオル5枚、ハンドタオル10枚と書いてあり、家の中のタオルでは賄いきれず、購入いたしました。ほかにもマグカップ2つ、ハブラシ2~3本、パジャマ3セット、Tシャツとズボン5セット、靴下など。名前付けもフルネーム、すべての持ち物に付けなければなりません。洋服を入れる箪笥(引き出し)は必須ですし、テレビも購入してあげようと思っております。
まるで娘を嫁に出す親のような心境。嬉しいのに寂しいし、望んでいたことなのに手放しで喜べない。「入居施設が決まったの?よかったね」と言われるとどこか複雑でございます。
もっと後ろめたいのは、兄に何も言っていないこと。もちろん施設職員の方が面談に来て、兄の前でいろいろ話しているのは聞いているのですが、改まって「施設に入居してね」と話したことはないので、兄にしたらある日突然知らない施設に連れて行かれて、それきりそこが終の棲家になってしまう。兄は何も思わないかもしれなけれど、もしかすると「家に帰りたい」と思うかもしれない。でも在宅介護に戻すことはもう考えられない。わたくしの気持ちは「気ままな一人暮らし」にすでに片足を突っ込んでいるのですから…。兄には申し訳ないけれど、わたくしツガエは、いつか罰が当たってもいいという覚悟で突き進んでいく所存でございます。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性61才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現65才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ