ライブハウス「ロフト」経営者が語る 絶景「介護付き高級老人ホーム」を2年で退去の真相
ライブハウス「ロフト」の経営者・平野悠さん(79才)は、77才のときに介護付き高級老人ホームに入居したが2年後に退去した経験を持つ。絶景のロケーションに充実した設備、すべてがそろった環境だったが「自分には合わなかった」という。サブカルチャーシーンで活躍してきた平野さんが、その理由を赤裸々に語ってくれた。
教えてくれた人
1944年東京都出身。1970年代、都内各地にライブハウス「ロフト」を次々とオープンさせた後、1995年、東京・新宿に世界初のトークライブハウス「ロフトプラスワン」を開店。
もし自分の体調が“悪ければ”「最高の施設」だった
「温泉付きでジムも完備、カラオケもできる。トイレに立つ回数が少ないと、提携する病院から安否確認の電話がかかってくるほど健康管理も行き届き、高層階の自室からの眺望は抜群。人生の締めくくりに最高のホームでした」
ライブハウス「ロフト」の創設者で文筆家の平野悠さん(79才)はかつての暮らしをそう回顧する。理想の「終の住処」だったはずの介護付き高級老人ホームで過ごしたのはわずか2年間だった。
「入居を決めたのは2021年、77才のとき。体が弱ってきていたし、妻との折り合いも悪くなり老後が心配になって……。ある程度まとまったお金もあったから、倉本聰さんのドラマ『やすらぎの郷』で描かれたような大人同士の心の交流ができるんじゃないかと思い、入居金6000万円を支払って新しい暮らしを始めました」(平野さん・以下同)
だが実際の生活はドラマとはかけ離れたものだった。
「いちばんの問題は、ぼくがまだまだ元気だったことです。ホームの中は1階から4階がリハビリ病棟で、入居者の3分の2以上は介護が必要な人。外出して路上をバイクで走る体力があるのはぼくだけのうえ、静かな環境も売りのひとつだったので、周囲には映画館も書店もない。しかも入居者は起業家や富裕層ばかりでサブカルチャーの話ができる人はいない。
2年間の高級老人ホーム生活で学んだこと
東京で仕事をしようにも物理的に離れているし、“このままここで過ごすのはあまりにもつらい”と2年で退去を決意し、現在は都内で一時的に離れたことで夫婦関係が修復した妻と再びふたりで暮らしています」
予想外の出来事ばかりだったが、そこで過ごした2年間は平野さんにさまざまな教訓をもたらした。
「ぼくが入居したホームはまだ自由に動けるならベストな選択ではなかった。ライブや映画、友人との飲み会にも足を運べる環境に施設があり、かつ入居者が10~20人程度と小規模なシェアハウス型の施設ならうまくいったかもしれません。施設選びで最も重要なのは本人の健康状態と環境のマッチングだということを痛感しました」
文/池田道大 取材/小山内麗香、平田淳、伏見友里
※女性セブン2024年8月22日・29日号
https://josei7.com/
●有料老人ホームの支払い方法は「前払い」と「月払い」どちらがお得なのか?【社会福祉士&FP解説】