兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第247回 時間を気にせず外出できる喜び】
57才で若年性認知症を発症した兄(現・65才)と暮らすライターのツガエマナミコさんが綴る連載エッセイ。症状が進んだ兄を在宅で介護することに限界を感じたマナミコさんは、兄の施設入居を決意したものの、なかなか兄を受け入れる施設は見つからず、現在は、3~4日間のショートステイを月に2~3回利用中。兄の様子を気にせず過ごす時間はマナミコさんにとって貴重な自由時間になっているようです。
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兄がいればこその「美味しい自由」?
朝一番、いつものように寝ぼけ眼でトイレのドアを開けましたら、兄が出てきてビックリいたしました。しかも毛布を持ち込んでおり、無残にも半分便器の中につっ込まれておりました。
その日は冷たい雨。洗濯した毛布は、半日ベランダで干して粗熱ならぬ粗水がとれたところで、お風呂場の衣類乾燥をフル回転させて仕上げの乾燥をいたしました。文明のありがたさを思うと同時に、快晴ならあっという間に乾くことを思い、改めてお日様のありがたさ、偉大さを実感いたしました。
ショートステイを頻繁に利用するようになって、だいぶわたくしの自由度が増してまいりました。なにより門限がないことが気持ちにゆとりを与えてくれます。そして急なお誘いにも応えられることが嬉しくてしかたがありません。
先日のショートステイ中には、友人から「子どもがお芝居をやるのでお時間ある人は見に来て」というグループLINEがあり、翌日、一人カラオケでひとしきり熱唱した後に観に行って参りました。
コロナ禍で4年ほど会わないうちに、幼かった子供たちは大人びて、しっかりしたお芝居をしておりました。「子どもは4年あればこんなに成長するのか」と眩しくて眩しくて、それだけで我が子でもないのにウルウル。翻って自分は4年間で衰えるばかり。きっとどこか成長もしているのでしょうが、衰えの方が圧倒的に目立ってしまって、併せてウルウルが止まりませんでした。トホホ。
その帰りには久しぶりに会った数人で横浜みなとみらいに繰り出し、最近できたロープウェイ(乗車5分間で1000円は高い)に乗って横浜の夜景を堪能し、ビアホールに立ち寄り、軽くご飯をして帰ってまいりました。
兄が家にいたらこんなことはできません。時間を気にせず外出できることは至福。ショートステイはそれを叶えてくれる魔法でございます。でも不自由がなければ自由も存在いたしません。わたくしの自由の味をより美味しくしてくれているのは間違いなく兄でございます。兄がいればこその「美味しい自由」。そんな風に考えると兄を施設に入れた後に待っているのは「味気ない自由」な気もしてまいります。
いやいや、すべては自分次第。「雨だろうが、晴れだろうが、そんなことは関係なく、灯りは自分の中から灯すものですよ」と、先日取材した方がおっしゃっていましたっけ。
ショートステイ帰りの兄は、「ほ、ほ~」と部屋を見回し、まるで賃貸物件を見学しに来た人のよう。このマンションに越して来て丸4年になりますが、兄にとっての”我が家”は未だに小学生の頃に住んでいた団地なのかもしれません。
ショートステイで離れてみると、少し優しい気持ちが芽吹いてきて、「こんなサイクルならもう少し在宅介護できそう」と思うのですが、帰ってくると途端にお尿さま攻撃で新芽を摘み取られてしまい「あー、もうやっぱり施設」となる繰り返し。兄の認知症の進行と、自分の気力体力の衰えが、おのずと結論を出してくれそうでございます。
最近、多和田葉子さんの著書「献灯使」を読みました。100歳を過ぎても健康で死ねない体になってしまった老人世代と、それとは真逆に歩くこともままならないほど体力がなく庇護されるひ孫世代が生活する世界がありました。いかにも現代社会がこのまま人間ファーストで突き進んだ先にありそうなディストピア(反理想郷)は、ただの物語、架空の世界と楽観できないほど興味深いものでした。
ひ孫のために献身的に働く老人が、物語の終盤で世の中の不条理を吐露する件(くだり)には、そうだそうだ!とこぶしを挙げてしまいました。思わず文庫本に付箋を付けたほどでございます。何を見ても腹立たしいような心の動きがいちいちど真ん中に突き刺さり、ディストピアの老人とわたくしはあまり変わらないんだなと、浅い感想を抱いたツガエでございました。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性61才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現65才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ
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