新田恵利さんが明かす母の介護と看取り「フルマラソンを走りきった充実感」後悔しない最期の迎え方
死ぬ瞬間に後悔するのは「家族」のことだ。今際の際に浮かぶ「ああすればよかった」「こうしておけばよかった」という圧倒的な後悔。悔いのない最期を迎えるためにできることは何だろう。母親の介護を経験した新田恵利さんや看取りのプロたちに本人や家族が納得できる最期の過ごし方について聞いた。
教えてくれた人
新田恵利さん/歌手・タレント、柴田久美子さん/日本看取り士会会長、萬田緑平さん/萬田診療所院長、小澤竹俊さん/めぐみ在宅クリニック院長
新田恵利さんが経験した“大切な人の死”と“後悔”
「その瞬間、もちろん悲しみはありましたが、フルマラソンを走り切ったような充実感に包まれました。きちんと母の最期を見送れたことが私と兄の誇りです」
母を看取った瞬間を笑顔で振り返るのは、歌手でタレントの新田恵利さん(55才)。
圧迫骨折を機に歩けなくなった母を、兄とともに6年半、自宅で介護した。
「仕事以外は母の世話を何よりも優先していた」と話す新田を駆り立てたのは、父との唐突な別れに伴う強い後悔の念だった。
おニャン子クラブで華々しくデビューした1985年、17才の新田さんは56才離れた父を突然の病気で失った。
「当時は思春期で年の離れた父とはロクに会話をしてなかったので、急に逝かれて“何もできなかった”という後悔だけが残りました。それ以降、“いつ母が亡くなってもおかしくない”との心構えで生きるようになりました。介護が始まる前にきょうだいの家族全員と母とで、記念に温泉旅行に行ったほどです」(新田・以下同)
人はいつ死ぬかわからない。そんな現実を胸に刻んだ新田は「主役は母なんだ」と心に決め、介護に臨んだ。
「誰しも一日でも長生きしてほしいから介護中は“あれはダメ、これもダメ”となりがちだけど、母の人生の主役は母。太く短くでかまわないので、母の好きなように生きればいいと思った。私たちが後悔しないためにも母の望みはすべて叶えることにして、食べたいものは全部食べさせ、タイにも行ってアジアの『オリエント急行』といわれている『イースタン&オリエンタル・エクスプレス』にも乗りました。ダメと言っても聞かない性格も知ってたから…」
とはいえ介護の負担は大きく、仕事を終えて帰宅するとすぐおむつを替え、ご飯を作る日々。ストレスから言い争いになり、「このクソババア!」と声を荒らげたこともある。それでも経験を積むと「力の抜き方」がわかってきたという。
「ご飯をがんばって手作りしても母が食べなかったら怒り心頭になりますよね。だったら冷凍食品にして自分が楽をして余裕をもった方が母にもプラスになる。そう気づいてから力を抜いて無理をせず、日々のストレスは介護仲間に吐き出し、母とけんかしそうなときはその場を離れるようになりました。兄や夫を介護に巻き込むことでストレスを和らげる術も学びました」
加えて心がけたのは、「何でも思い立ったときにやる」ことだ。
「介護の有無にかかわらず、別れはいつ来るかわからないので何でも先延ばしにせず、思ったとき、感じたときに“これが最後のチャンス”と行動することが重要です。たとえ最後にならなくても、思い出が増えるので後悔しません(笑い)」
後悔のない最期を迎えられた事例