86才、一人暮らし。ああ、快適なり【第40回 映画館へ行こう】
ジャーナリストで作家の矢崎泰久さんは、現在86才。あえて家族と離れ、一人で暮らす。
一世を風靡したカルチャー誌『話の特集』を創刊し、30年にわたり編集長を務めてきた矢崎氏は、文壇のみならず、アート、エンターテインメントの世界でも幅広い人脈をもち、自らもテレビや舞台のプロデューサーとしても活躍してきた。
独自の生き方を貫く矢崎氏の来し方、暮らしぶり、信条などを連載で執筆いただくシリーズ、今回のテーマは映画だ。
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熱狂的な映画少年だった
中学・高校の時代と言うと、今から遥か70年以上も前である。
戦後からの数年間に当たるが、当時私は、熱狂的な映画少年だった。
中学3年生の時には、「映画研究会」というサークルを作って、学校に近い下北沢・渋谷・新宿を中心に、無料または割引券で入れる映画館を20ほど獲得することに成功した。
我ながら大した腕前だ。
GHQにはCIEという組織があって、映写機(技師も)を無料で貸し出してくれた。
アメリカのPR映画(短篇)の他に劇映画も上映してくれる。それに眼をつけた我がサークルは、同級生にフランス映画の輸入をやっている家の子がいたことから、ヨーロッパ系の名画をタダで借り受け、学校の講堂で入場料を取って毎月1回上映していた。
生徒だけではなく、町の人にもチケットを売って、サークルの活動資金を作った。
機関紙を毎週発行して、そこに映画館の広告もチャッカリ掲載して、入場無料のチケットを大量に入手したりしていた。
私には、つまり、そういう過去があるということをお伝えした上で本題に入る。
大学を出て新聞社に入ってからは、超多忙で、滅多に映画館に行くチャンスはなかったが、フリーになってからは時間を見つけて映画館通いが復活した。
ところがである。80才を超える頃から異変が起きた。
青春時代は女の子を誘うことも稀にあったが、私は一人で映画を観ることが原則だった。
好きな時間に、好きな映画を楽しむには、一人に限るからだ。つまらなかったら途中で出ることも出来たし、面白かったら何回も(今はそれがほとんど出来なくなったが…)居続けて、徹底的に観たものである。
昨今では、チケットを買うのも、窓口ではなく自動販売機だし、席まで指定しなくてはならない。しかも同じビルの中に幾つもの上映場所があって、辿り着くのにウロウロさせられる。
本篇が上映されるまでに、CMやら案内やらが流れ、その上、予告篇が延々と映る。つまり、私は次第に睡魔に襲われ、映画が始まる頃には眠りについてしまう。
ストーリーもわからない上に、ラスト・シーン近くの高いボリュームの音楽によって、ようやく目覚める。そのままは次は観られないシステムだから、結局は映画館で昼寝して帰宅するハメになる。
これを何回か繰り返して、私は主義を変えることにした。
誰と映画を観るべきか…
声をかければ付き合ってくれそうなガールフレンドに片っ端から電話をかける。
「いいわよ」と、言ってくれる女性(異性の方がいいに決まっている)が見つかったら、こちらの主張は最小限に控えて、日時・映画の種類・場所などを約束する。とにかく、ここは我慢だ。時には、ランチやディナーの要求も受け入れなくてはならない。
寝たら起こしてもらうというのが目的だから、たいていのことには耐える。なるべくなら若い美女を望みたいところだが、贅沢を言っている場合ではない。もちろん相手の都合も尊重する。
終わって薄暗い会場を後にする時には、転ばぬ介護もして下さる人がいい。うんと年齢が離れてしまうと、私も気を使ってしまう。この辺りがなかなか難しい。
世代の断絶もあるし、趣味が違い過ぎても困る。予想以上にパートナーを選ぶのは大変なのである。
少しずつ誘うコツがわかってきて、手帖のリストも年代別に独身・既婚など整備されてきた。問題は連れがいる場合の当方の心の準備である。
費用は私が負担する。時間があれば、映画を鑑賞した後に軽くデート。ほとんど労って下さるから、送迎には気は使わないが、なるべく楽しい雰囲気としたい。
その為の配慮は、昔取った杵柄(きねづか)なるものが、私には豊富にある。
ま、恐らく誰にも負けないだろう。肉体的には、現実に人畜無害の身であるが、手練手管は熟知している。相手なりに喜ばせる自信はある。
実は、何よりも案外これが大切なのだ。
「また、映画に連れて行って!」と、言ってもらえることが必要なのだ。
最近、試写会で観た傑作ドキュメンタリーを紹介しておきたい。
『作兵衛さんと日本を掘る』(熊谷博子監督作品)。5月25日(土)から全国でロードショウが始まる。
日本という国の本質が見える傑作だ。
老いを脱出するために、映画館へ行こう!
矢崎泰久(やざきやすひさ)
1933年、東京生まれ。フリージャーナリスト。新聞
記者を経て『話の特集』を創刊。30年にわたり編集長を務める。テレビ、ラジオの世界でもプロデューサーとしても活躍。永六輔氏、中山千夏らと開講した「学校ごっこ」も話題に。現在も『週刊金曜日』などで雑誌に連載をもつ傍ら、「ジャーナリズムの歴史を考える」をテーマにした「泰久塾」を開き、若手編集者などに教えている。著書に『永六輔の伝言 僕が愛した「芸と反骨」 』『「話の特集」と仲間たち』『口きかん―わが心の菊池寛』『句々快々―「話の特集句会」交遊録』『人生は喜劇だ』『あの人がいた』最新刊に中山千夏さんとの共著『いりにこち』(琉球新報)など。
撮影:小山茜(こやまあかね)
写真家。国内外で幅広く活躍。海外では、『芸術創造賞』『造形芸術文化賞』(いずれもモナコ文化庁授与)など多数の賞を受賞。「常識にとらわれないやり方」をモットーに多岐にわたる撮影活動を行っている。