織田信長が徳川家康に振る舞った祝い飯「天正十年安土御献立」を再現!アレンジレシピも公開
織田信長が戦勝祝いに徳川家康に振る舞ったとされる『天正十年安土御献立』を復刻! 家康が勝利に酔いしれ、どんなものを食べていたのか見ていこう。また、そのなかの4品の再現レシピも紹介します。家康が食べた祝い飯を作ってみませんか。
※写真は当時の献立の一部を再現したイメージです。
織田信長が家康に振る舞った『天正十年安土御献立』とは
本能寺の変が起きる直前、織田信長は武田勝頼を討ち滅ぼした労いとして、家康を歓待した。そのときの状況を食文化史研究家の永山久夫さんは次のように話す。
「1582年5月15日と16日の2日間に渡って宴が行われたそうです。このとき出された食事は、『天正十年安土御献立』と呼ばれ、品数は30品目以上にもなります。かなり贅を尽くした内容で、あわび、鯛の焼き物などいまでも高級食材とされるものが使われていました。ご飯も麦飯ではなく、白飯が振る舞われたようです」(永山さん・以下同)
とりわけ料理に多く使われていたのが、鶏肉だ。鶏はもちろん、鴨、鶴、白鳥、ひばり、しぎなどが使われていた。
「家康は戦国武将の中でも鶏肉を最も多く食べた武将といわれています。好物だったのでしょうが、鶏肉にはカルノシンという疲労回復物質があり、食べると元気になることを家康はわかっていたとも考えられます。それを知っていた信長が家康を労うためにも、鶏肉料理を振る舞ったのかもしれません」
●本膳
・鯛の焼き物/ヒレを立派に立てて盛りつけるのが礼儀とされた。
・たこの刺身/ゆでて吸盤を取ったもの。
・香の物/大根のみそ漬け。
・焼き鳥
・白米/家康は玄米食を貫いたが、祝いの席では白米を食べた。
・あつめ汁/青菜を入れた菜汁が出されることも。
●二膳
・あわび/不老不死の縁起物。貝つきのまま出された
・数の子/にしんの卵巣。「二親(にしん)からたくさんの子どもが生まれる」とされ、子孫繁栄の縁起物。
・ふな寿司/独特の発酵臭が特徴のなれ寿司。近江の名産。
・はも/この頃から流通が盛んになった。
●三膳
・かまぼこ/白身の魚は高価なため、当時はご馳走だった。
・削り昆布/6~7cm縦に切り込みを入れ、火で炙る。
・枝豆
・うるか/あゆの塩辛。
・ガザミ(わたりがに)/室町後半から安土桃山時代の祝いの膳によく出された。
・まながつおの刺身/身を薄く切り刺身にした。
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