兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第174回 「ショートステイ」やってみました!】
若年性認知症を患う兄の「にぃさんぽ」(兄の予期せぬお出かけ)事件では、肝を冷やした妹のツガエマナミコさんでしたが、無事に帰宅した兄の回復の様子を見てひと安心です。今回はついに兄のショートステイが実現したときのお話です。さて、兄不在の27時間はどうだったのでしょうか?
兄の不在を満喫しました
ついに、ついに、ついに念願の「ショートステイ」にトライいたしました!
兄が認知症と診断されてから7年目、秋晴れの澄み渡る空の下でございます。
午前12時30分に兄を施設にお預けしてから、翌日の午後3時30分に家に送り届けられるまでの27時間が、わたくしの自由時間でございました。
お友達と夜遊びするか? 話題のスポット巡りか? はたまた高尚なる美術鑑賞か? 紅葉狩り? 夜景? 食べ歩き? スパでマッサージと温泉三昧? やりたいことはいくらでもありましたが、初ショートステイということもあり、万が一、施設から呼ばれたらすぐに行けるところにいるべきだと思い、一人ぼっちの一夜を過ごしました。それはそれで快適すぎるくらい快適で、つくづくわたくしは1人が好きなのだと実感いたした次第です。
送り届けたその足で向かったのは、かつて1人暮らしをしていたアパートでございました。ショートステイ施設と目と鼻の先のところだったのです。
16年も住んだ大好きなアパート。ボロくて砂壁で和式トイレでコテコテの昭和建築でしたけれども眺めがよく、居心地のいい2K。できることなら今でもあそこに帰りたいと思うくらい愛おしい思い出の場所でございます。
しか~し! あれから10年も経っていたのです。ボロくて砂壁で和式トイレの昭和建築は跡形もなく消えて、真新しい今風の戸建てになっておりました。寂れていた八百屋さまは処方箋薬局に代わり、当時新しかったお花屋さまはボロボロの廃墟のよう。帰る場所がなくなったようなさみしさはありましたけれども、「時は容赦なく町を変える…」と感傷に浸れたのもある意味心地よい時間でございました。
兄のいない1泊2日、1つだけ決めていたのは1人前2600円のランチ鮨を食らうことでございます。テレビで紹介されていたマイナーチェーン店が沿線沿いにあったので、一度は食らわねばとチャンスを狙っておりました。まぁ、食らってみれば「2600円ならこのくらいは当然でしょ」(なに様?)というお味で、たいへんおいしゅうございました。
食後はショッピングセンターをぶらつき、夜は冷蔵庫の残り物を食べ、仕事をしたり、こまごまとした片付けをしたり、急にベランダで月を眺めたり……。思いついたことを思いついたときにやれる幸せ、誰にも干渉されないストレスのなさを満喫いたしました。翌朝10時には美容院さま、昼には賞味期限が迫るカップ麺を食べ、早めに夕食の買い物を済ませ、ずっと懸案だった古い羽毛布団の仕立て直しを近所のふとん店さまにお願いしに行くと、もうそろそろタイムリミット。27時間はじつにあっという間でございました。毎月こんな日があればいいなと思ったツガエでございます。
思えば、ケアマネさまにショートステイの予約をお願いしたのは「にぃさんぽ」の騒ぎが起こる33日も前のこと。平日の1泊2日ならいつでも取れるだろうと高を括っておりましたが、希望する日程はことごとく満室で、取れたのは40日も先の日程でございました。
初回はお迎えの車で家族も同行し、事務手続きをしなければならないため、わたくしの仕事の日を避け、デイケアの日を避けした結果ではございますが……。もしもこの先、出張の仕事など入っても容易に予約が取れないことを思い、気が重くなったことは言うまでもございません。
そして、10日後にはショートステイだというタイミングで起こった「にぃさんぽ」事件。兄の様子次第ではキャンセルもやむなしと覚悟しましたが、爆速で回復してくれたので予定通り行っていただいた次第です。
最難関だったのは、兄へのショートステイ告知でございました。
つづく……。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性59才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現64才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ