『男たちの旅路』で山田太一が描いた普遍的な社会の矛盾と若者、高齢者の価値観
「過去の名作ドラマ」は世代を超えたコミュニケーションツール。懐かしさに駆られて観直すと、意外な発見することがあります。今月鑑賞するの山田太一脚本の『男たちの旅路』。中でも傑作の呼び声高い「シルバー・シート」(第3部第1話)を中心に、ドラマを愛するライター・大山くまおさんが解説します。
脚本を「あて書き」する山田太一
『ふぞろいの林檎たち』シリーズ、『岸辺のアルバム』などの傑作ドラマを送り出してきた脚本家、山田太一のもう一つの代表作が『男たちの旅路』である。
主人公は元特攻隊の整備士だったベテランガードマンの吉岡晋太郎(鶴田浩二)。新たに配属されてきた新人ガードマンの柴田竜夫(森田健作)と杉本陽平(水谷豊)、彼らが警備するビルで自殺騒動を起こした後、自分もガードマンを志願する島津悦子(桃井かおり)らとの世代間の対立を鮮烈に描く。
1976年に第1部として第1話から第3話が放送されると大反響を呼び、以後、同じ形で77年に第2部と第3部、79年に第4部、82年にスペシャル「戦場は遥かになりて」が放送されている。全話70分以上(スペシャルは120分)、いずれも映画のように濃密で緊張感の高いドラマが繰り広げられた。ミッキー吉野によるクールでスピーディーな音楽(演奏はゴダイゴ)もドラマの緊張感を盛り上げている。
山田太一は常に、先にキャストを決めてから脚本を「あて書き」で執筆しているという。今回もそれが存分に生かされていた。
主演の鶴田浩二は、任侠もので絶大な人気を博した映画界のトップスター。特攻隊員を描いた作品に主演したことから、「元特攻隊員」と名乗っていた時期もあったが、実際には特攻隊員を見送る整備士だった。ドラマ出演前には、出演交渉にやってきた山田やドラマのプロデューサーらに自身の特攻隊経験を3時間以上にわたって語ったという。そこから、特攻で散った戦友を思って独身を貫くストイックさを持ち、軽佻浮薄な若者がどうしても許せなくて「俺は若い奴が嫌いだ」と言い放つ吉岡像が出来上がっていった。
森田健作は『おれは男だ!』(71年)に代表される清廉潔白なイメージの青春スター。水谷豊は『傷だらけの天使』(74年)や映画『青春の殺人者』(76年)など、チンピラや陰のある尖った若者を演じさせたら天下一品の若手俳優。アンニュイなイメージの桃井かおりは『前略おふくろ様』(75年)でブレイクした若手女優で、水谷豊とは松田優作を介して私生活でも仲が良かったという。森田が演じた柴田竜夫、水谷が演じる杉本陽平、桃井が演じる島津悦子はそれぞれのイメージがぴったり重なる。特にドラマ全体を軽妙な演技で引っ張る水谷、第3部までのヒロインを務めた桃井の存在感は際立っていた。
「若者に迎合しない」吉岡に心酔
発生する事件を通して、戦争経験者の吉岡と、竜夫、陽平、悦子ら若者たちの価値観がぶつかり合い、火花を散らすのが第1部と第2部の大まかなあらすじである。第1部の第1話「非常階段」では、吉岡が3人を前に特攻隊での経験を涙ながらに語るが、陽平は「付き合いにくいですね」とあっさり返す。戦争経験も特攻隊の経験も若者にはまったく響かない。
第2話「路面電車」では、万引きを繰り返す主婦を吉岡が警察に突き出そうとすると、竜夫が「(万引きは)社会の罪」「単純なんですね」と反発し、陽平、悦子とともにガードマンを辞めてしまう。路面電車の2本のレールのように、異なる価値観はまったく交わらない。
水谷豊は本作について、「司令補(編注:吉岡のこと)も、陽平も決してどちらかが正しいとかで片付く問題ではない。両方間違えていない、それぞれの生き様や主張が真実だったと思います。当時の日本が抱える社会の矛盾を、山田太一さんが見事に描いてくださいました」と振り返っている(NHK人×物×録「水谷豊」)。
劇中の竜夫、陽平、悦子は、吉岡に反発しつつ、徐々に惹かれていく。陽平は厳格な父親を慕うように吉岡につきまとい、悦子は強い恋心(!)を寄せるようになる。
第1部、第2部が放送されると、視聴者にも劇中の若者たちと同じような現象が起こった。中高年層はもちろん、若者世代にも吉岡が圧倒的に支持されるようになったのだ。評論家の佐高信は、放送当時、若い知人が「若者に迎合しない」吉岡に心酔していたエピソードを披露している(ダイモンドオンライン 2016年6月6日)。ドラマは爆発的な反響を呼び、プロデューサーは送られてきた手紙を分厚い冊子2冊の本にまとめてスタッフとキャストに配布した。また、鶴田浩二にも吉岡の人格が憑依したようになり、各地で戦争体験を語る講演会を開くようになっていたという。
老人たちの反乱、傑作「シルバー・シート」
ここで山田太一はスッと醒めてしまう。ドラマをやめることを宣言して第3部の執筆に入り、仕上げた第1話が傑作として名高い「シルバー・シート」である。鶴田より一世代上の名優たち――志村喬、笠智衆、殿山泰司、加藤嘉、藤原釜足が登場し、50歳の吉岡と社会全体に「老人世代の価値観」を突きつける物語だった。
ハイジャックを警戒して空港警備をしていた陽平と悦子は、本木(志村喬)という老人と出会う。用もないのに空港のガードマンに誰彼なく話しかける本木は、ガードマンたちに嫌われており、嘲笑の的だった。陽平と悦子もいつしか冷たくあしらうようになるが、突然、本木が空港のロビーで倒れて急逝してしまう。
2人は罪の意識を感じて線香を上げにいくが、本木が住んでいたのは老人ホーム(「養老院」と呼ばれていた)だった。同居していた門前(笠智衆)、辻本(加藤嘉)、曽根(殿山泰司)、須田(藤原釜足)に歓待される2人。彼らはかつて一流の技師や出版人だったが、今は身寄りをなくして老人ホームに住んでいた。陽平は院の規則に縛られて生活する彼らの境遇に同情するが、ある日、事件が起こる。老人たちが車庫に入っていた都電の車両をジャックしてしまったのだ。ハイジャックならぬ「電ジャック」である。
要求を一切明かさない老人たちに困惑する関係者たち。陽平から呼び出された吉岡は、自分が説得すると名乗り出て電車に乗り込む。しかし、門前は吉岡に向かって、恬淡としつつ、きっぱりとこう語る。
「自分を必要としてくれる人がいません」「私は人に愛情を感じる。しかし、私が愛されることはない」「棄てられた人間です」
これだけでも痛切だ。さらに門前と辻本は交互に言葉を続ける。
「いずれ、あんたも使い捨てられるでしょう。しかし、年をとった人間はね、あんたがたが小さい頃、電車を動かしていた人間です」
「踏切を作ったり、学校を作ったり、米を作っていた人間だ。あんたが転んだとき、起こしてくれた人間かもしれない。しかし、もう力がなくなってしまった。じいさんになってしまった。すると、もう誰も敬意を表する者はない」
「あんたが転んだとき……」というくだりで胸が詰まる。辻本は続ける。
「右手の不自由な、役立たずのじいさんに、誰が敬意を表するかと言われるかもしれない。しかし、人間は、してきたことで敬意を表されちゃいけないのかね? 今は耄碌ばあさんでも、立派に何人もの子供を育ててきたことで敬意を表されちゃいけないのかね?」
社会の役に立たない者、金を稼がない者は尊敬されず、いなかったことにされる社会の風潮は今も同じかもしれない(逆に言えば、金を稼ぎさえすれば多少の悪事は見逃されて尊敬される)。吉岡は得意の特攻隊経験を語り、老人たちを「間違っている」「甘えている」と断じるが、老人たちは取り合わない。もとより、彼らは理解してもらえるとは思ってもいなかった。ただ、空港で嫌われながらひとりで死んだ仲間のことを思い、寂しさ、悔しさ、無念さのあまり行動を起こしたのだ。
ドラマ史に類を見ない激しい老人たちの主張
ここまで厳しく、激しい老人たちの主張が展開されたのは、日本のドラマ史上でも他にないのではないだろうか。吉岡の説得は1ミリも通じず、老人たちは堂々と警察に連行される。陽平は無力だった吉岡を大声でなじり、そのままドラマは終わる。老人たちの言葉は、高齢者と向き合うとき、私たちが忘れてはならない気持ちを言い表しているように感じた。
若者世代、中年世代、老人世代、それぞれの価値観が、誰かに肩入れされることなく、それでいて当事者にどこまでも近い視点で語られ、ぶつかり合って火花を散らし、何とも言えない後味を残す。そのことが、このドラマの強烈な味わいにつながっているのだろう。
なお、第3部の最後で、吉岡はストイックさをかなぐり捨てて悦子と恋に落ち、悦子が難病で命を落とすと、何も言わずに失踪してしまう。山田太一は世間が酔いしれていた吉岡を「解体」してしまったのだ。すさまじいクールさである。
その後、NHK側の説得によって再開した第4部だが、実のところ、山田は2年ほど付き合いのあった障がい者の人たちのことを描きたいと思ったことが執筆再開のきっかけになったと打ち明けている。京本政樹、古尾谷雅人、斉藤洋介らが車椅子の障がい者を演じた傑作エピソード「車輪の一歩」は、残念ながらNHKオンデマンドでは配信されていない。ぜひ、配信をしてもらいたいと思うばかりである。
参考:『山田太一エッセイ・コレクション その時あの時の今 私記テレビドラマ50年』(河出文庫)、『映画秘宝Vol.4 男泣きTVランド』(洋泉社)
文/大山くまお(おおやま・くまお)
ライター。「QJWeb」などでドラマ評を執筆。『名言力 人生を変えるためのすごい言葉』(SB新書)、『野原ひろしの名言』(双葉社)など著書多数。名古屋出身の中日ドラゴンズファン。「文春野球ペナントレース」の中日ドラゴンズ監督を務める。