南こうせつさん(73才)が家を小さくした理由「理想は鴨長明、SDGs的な暮らし」
歌手・南こうせつさんは、半世紀にもわたって田舎暮らしを続けている。そこで辿り着いた、いまの家と理想の住まいについて語ってくれました。これから思い描く夢の暮らしは「歌人・鴨長明のような究極のSDGs的な暮らし方」だという。歳を重ね、少しづつ変化した生活スタイルとは一体どんなものなのだろうか。
富士山の麓から大分・国東半島に移り住む
若い頃は海外のミュージシャンに憧れ、自然の中で自由に広々とした家で暮らすのを夢見ていたという南こうせつ。
「当時の大物ミュージシャンは、ロサンゼルスに豪邸を建てたり、カリブに別荘を持っていたんです。『ポール・マッカートニー(80才)は広大な敷地で羊と暮らしている』などという噂を聞くわけ。そうすると、若気の至りで、負けたくないと思うんですよね。いつかは、自分なりの夢にあふれた家を建てんるだ!と、頑張っていましたね」(南・以下同)
1970年にかぐや姫としてデビューし、『神田川』などヒットを連発。一躍、時代を代表するシンガーソングライターとなった南は、20代後半に、富士山の麓に木の香りが漂うカントリーハウスを建てた。
「畑を作りたくて住んだのですが、そこは寒すぎてね。できる作物が限られていたんです。5年ほど住んでいましたが、もっと暖かくて冬でも収穫できる場所がどこかにないかと探していました。日本地図を見て、南側で海の近い場所がないかと思っていたら、イメージにぴったりのところがあって。それが大分県国東半島の『みかん山』だったんです」
そこに2500坪ほどの土地を購入。
「水道が通ってなかったので井戸を掘って、下水処理の浄化槽を整備して家を建てました。外観は白で、リビング、キッチン、寝室、子供部屋がありました。広さは玄関だけでも学生なら住めるくらいで、ベランダにジャグジーを置いて、家の中に入れば、ゆったりとリビングは50畳くらいありましたね」
そのほか、別棟には仕事をするアトリエがあり、そこで作詞作曲も行っていたという。
「ギターや音響設備もあって、庭は森部門、畑部門、お庭部門と分けて、畑にはいろんな作物を植えていました。いまは妻が育てています」
70才で建て替え、決断が10年遅かった…
それ以降、仕事のときは東京、それ以外は大分で暮らす2拠点生活を続けてきたが、50才を過ぎた頃、「このままでいいのか」と考え始めたという。
「時代が大きく変わっていく中で、試行錯誤しながら人間として自分の人生をもっと豊かに楽しんでいきたい、という思いに辿り着きました。広い家のときは、いろんな人が遊びに来て、まるで民宿状態。それはそれで楽しい思い出がいっぱい。しかし自分があの家で90才になったときによろよろと歩いているところを想像したら、きっとメンテナンスだけで気力も体力も奪われて生き甲斐が消えてしまうでしょう。
そこで、家を小さくして暮らしやすいようにしようと決意しました。うちは3人の子供がいますが、上の2人はすでに独立していて、ちょうど下の子が希望する大学に受かったので、彼が大分の家を離れたタイミングで奥さんと話をして、思い切って建て替えを決意しました。それが70才になる手前。本当は還暦にやるべきだったんでしょうが、10年、決断が遅かったと思いますね」
捨てる基準は、いまの自分に合うかどうか
アトリエと庭はそのままに、居住部分だけ全部建て替えた。
「家の縮小に伴い、これまで持っていたものは思い切って処分しました。洋服は気に入ったもの、まだ着られそうなものは残してあとは捨てる。バブルの頃に買ったブランドもののジャケットもありましたが、いまの自分には合わないと手放しました」
中でも悩んだのは、Tシャツ。その数は300枚以上にも及んだという。
「『これはあのときのライブで着たものだ』とか、1枚1枚手に取ると、思い出がよみがえって悩みましたね。でも、ここは思い切りが必要。そうでないと、せっかく住まいをコンパクトにしても、家の中にものがあふれてしまったら元も子もないですからね。だから『これは、いまのおれには合わないんだ』と自分を洗脳しながら、思い切ってどんどん捨てました。ものを処分するときって、いまの自分に合うかどうかで線を引くとうまくいくんです。ぼくの場合は、ギターを持ってジーパンはいて、ダンガリーのシャツを着て、草原で歌っている姿を思い浮かべる。そのイメージに合わないと感じられれば、潔く処分することができるんです」
荷物を処分し、住み慣れた家を壊すとき、なんとも言えない感情を抱いたという。
「前の家は当時流行りのコンクリートむき出しのデザインでしたので、大きな重機を使って壊しました。家の基礎から壊れていくのを見たときの、“やったー!”というサナギから脱皮していくような身軽な気持ちが、不思議と心地よかったですね」
新しく建て替えた家は2LDKの平屋に。リビングとキッチン、寝室、子供部屋が1つ。家の中はすべてバリアフリーだ。
「将来、万が一のときのことを考えて、床はすべて車椅子でも入れるようにバリアフリーにしました。扉はほぼ引き戸で、バスルームやトイレのスペースには手すりをつけました。これはすべて“老人になって使うはず”でしたが、住み始めてからは“わあ、便利だ”って言いながら重宝しています」
収納スペースとゴミ置き場は必須!
建て替えるにあたって、強くこだわったのは収納スペースだ。
「収納スペースだけは確保しておくといいですね。たとえば、キッチンとは別に3畳ほどの部屋を作り、棚を作って食材や常備薬、乾電池、電球などをストックしています。寝室の横にも同じくらいのスペースを作り、シーツや毛布、旅行カバン、スーツケースも収納できるようにしました。あと、ゴミは回収日まで家に置かなければならないですよね。玄関の隅にちょっとしたスペースを作ってゴミ専用置き場にしたんです。そのほか、生ゴミなんかは全部、自宅で肥料にしています」
理想は鴨長明のスタイル「SDGs的な暮らし方」
いまでも、夢の中での理想の暮らしは、平安時代末期から鎌倉時代にかけて活躍した歌人・鴨長明のようなスタイルだ。
「鴨長明は、京都の日野の家でひっそり暮らしながら、『ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず』で有名な『方丈記』を書いたわけですが、住まいは5畳半ほどのスペースにいろりがあって、荷物は書き物をする小さな机と布団程度。しかも、その土地が気に入らなければ分解してほかの場所に運べる移動式だったんです。これって、究極のミニマリストですよね!
いわば、いまでいうSDGs的な暮らし方だと思うんです。それがぼくの憧れの暮らし方。いずれは、いま持っている30本ほどのギターも後輩のミュージシャンに譲って、2~3本で歌うようになるかもしれません。最低限のものと暮らす中で、鳥の声に耳を傾けたり、季節の移ろいと自然を楽しむ。あの世に持っていけるのは思い出だけですからね」
【小さくしたポイント】
●90才まで生きたときにどうありたいかを考える
●車椅子での生活を想定し、すべてバリアフリーに
●自分の歌う姿を思い浮かべ、処分するかしないか決める
●夫婦で家の中をどうしたいか話し合う
●1~3畳一間の収納スペースを確保
教えてくれた人
歌手 南こうせつ
1949年大分県生まれ。1970年にデビューし、その直後、『かぐや姫』を結成。『神田川』『赤ちょうちん』『妹』などが大ヒット。ソロとしても『夏の少女』『夢一夜』などヒット曲を次々と発表。現在、全国ツアー『南こうせつコンサートツアー2022~夜明けの風~』を開催中。
取材・文/廉屋友美乃 イラスト/オオノマサフミ *写真はすべてご本人より提供。
※女性セブン2022年8月4日号
https://josei7.com/
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