兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第158回 不寛容という名の病】
若年性認知症の兄と暮らすライターのツガエマナミコさんが2人の日々を綴る連載エッセイ、今回は久しぶりに定期診療に行ったお話です。『白い巨塔』に登場する冷徹な医師・財前五郎と雰囲気が似ている担当医・財前先生(仮)の対応に、毎回モヤモヤした気持ちになるマナミコさんですが、今回もやはり…。そんなこともあって、ちょっとイラっとしてしまいがちな昨今の心境を明かします。
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2か月に1回の診察はたった1~2分で終了
兄が携帯電話を使えなくなって3年以上経ったでしょうか。もちろんガラパゴス携帯でございます。埃をかぶっている兄のそれを見るたびに「もう解約してもいいかな」と思い続け、ついに先日店舗に予約を取って解約してまいりました。
「ご本人様が来てください」とのことだったので病院の帰り、兄を連れて店舗に寄り、使用していた電話番号を告げました。するとパソコンでデータを確認されて「もうそちらの通信サービスは終了しております」とアッサリ。そうです、auガラパゴス携帯(3G回線)のサービスは今年3月末で終わっていたのです。
「無駄足だった」という思いと、予約時にガラパゴス携帯であることを言わなかった後悔で疲れが倍増いたしました。
なにはともあれ、毎月1700円ほどの無駄がなくなり、わたくしのささやかな自己満足は達成されました。
この日は、2か月に1回の受診日でございました。特別変わったことのない2か月だったので、先生にご報告することもなく、診察時間はたったの1~2分。次の受診日を確認するためだけに通院しているようなものです。
前回の通院で「たまにですけど、深夜家の中をウロウロして朝方トイレじゃないところでオシッコやウンチをします」とお話しすると「では、睡眠導入剤を出しましょうか。最初なので通常の4分の1量にしましょう。寝る前に飲ませてください。ふらつきが出るかもしれないので注意してください」と得意げにお薬を処方してくださり、ご満悦のご様子でした。
新しいお薬の処方箋をパソコンに打ち込むと、そそくさと「じゃ、次はまた9週間後で」と〆のセリフ。「財前先生(仮)、今日はお薬を増やせてよかったですね~」と嫌味を言いたくなるくらいでございました。
でも、結局この2か月で兄に睡眠導入剤を飲ませることは一度もありませんでした。身の危険を感じるような深夜のうろつきがなくなったことと、わたくしの感覚として薬が増えることに漠然とした不安があるからでございます。飲ませ始めたら飲ませ続けなければならない気がして、年々強い薬になるのも怖いではないですか。
調剤薬局で座っていると、とんでもない量の薬を持ち帰るおじいさんやおばあさんをお見かけします。もはやスーパーで食料を買い込んだような荷物…。「あんなに飲んだら体に悪いだろう」と素人ながら思ってしまいます。
看護師の友人も嘆いていましたが、大学病院のようなところは、診療科ごとにお薬が出るので整形外科だ、呼吸器科だ、血液内科だとあちこちで診ていただくとそうなってしまうのだといいます。お薬の飲み合わせはしっかり考慮されますが、それぞれの担当医が話し合って総合的にお薬を決めるということにはならないのでしょうね。
最近、「不寛容」という言葉がやけに胸に引っかかるようになりました。
財前先生への印象しかり、兄への態度しかり、受け取ってもらえなかった菓子箱を床に投げつけた件(※第150回参照)しかり、わたくしも昨今の世の中同様、ギスギスして「寛容さを失っている」気がいたします。
認知症は脳が不自由になる病気であって、体が不自由になる病気の人となんら違わないのに、兄と接しているとどうしてイラっとしてしまうのでしょう。
暑いと自然に扇風機のスイッチを入れるのに「せんぷうき、つけて」と言うと、途端に「なになに?どれどれ?」と探して、目には入っているのに脳では扇風機が認識できずテレビを触ったり、ベランダの外を眺めたりするのです。もう何年も付き合っているのに、いまだに「わざとですか?」と思ってしまう。この不寛容を治療してほしいツガエでございます。
今回も、つたない愚痴にお付き合いくださりありがとうございました。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性59才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現63才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ
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