兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第152回 幸福になるには?】
若年性認知症の兄と一緒に暮らすライターのツガエマナミコさん。症状が進んできた兄の不可思議な行動に翻弄されながらも、気持ちを切替える術を見つけるべく、日々、YouTubeを見たりしています。ライターという仕事柄、いろんな人にインタビューする機会があるマナミコさんですが、最近届いた報せに、人生とは、幸せとは…と深く考えてしまったというお話です。
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「命」について考えさせられました
室内温度が26℃だというのにフリースを着て過ごす兄と二人暮らしのツガエでございます。普通なら暑ければ脱ぐでしょうと思いますが、脱げば涼しくなるという知恵もあるのかないのかわからないのが我が兄上です。今日も朝食を食べながら「そんなの着てて暑くない? 暑かったら脱いでね」と言ってみましたら、おもむろに立ち上がってズボンの方に手を掛けたので、「いやいや、上着よ、上に着ているやつ」と語尾が強くなってしまいました。すると「上?」と言って上の方を向いてしまうボケの重ね技が炸裂。本日も朝から絶好調でございます。
その後、わたくしは一人早々に朝食を済ませて、洗面所に向かい、洗面下の物入れからゴム手袋をスッと取り出し、慣れた手つきで手にはめながら兄部屋に入って躊躇なくポリ製の白いごみ入れを持ち、入っている黄色い液体をトイレに流し、そのごみ入れを洗面所で洗いました。すっかり日課になってしまったこのルーティンに、ふと「こんな光景どこかで見たな」と脳内をめぐってみますと「動物園の飼育員さま」でした。そうです、餌やりと清掃、健康管理などで毎日動物のお世話をするお仕事のあの方々です。
さながらわたくしはツガエ動物園の飼育員。兄上を一種の野生動物だと考えると、失礼ながらしっくりきたので、しばらくは割り切って働けそうです。
最近、わたくしが過去に取材させていただいた方が立て続けにお二人亡くなられていたことを知りました。お一人は年配のミュージシャンで、お一人はわたくしよりも若いお医者さまです。
そうでなくても世の中には事故や事件、はたまた病気や戦争で亡くなる方のニュースにあふれ、「数」で死をとらえることに慣れてしまいました。が、1度でもお目にかかったことのある人については、やはり「命」という概念を一度立ち止まって考えさせられるものでございます。
わたくしも来年には還暦を迎えます。両親を見送り、叔父叔母の死が当たり前の年齢になりました。いずれ同年代の死も否応なくやってまいります。もちろんわたくし自身の死も含めてのことですが、だいぶ「あの世」が身近になってまいりました。というか、そろそろあの世の方が知り合いもたくさんいて楽しそうだと思うようになりました。「人生100年時代」という言葉を見聞きするたびに「そんなに生きてたまるもんか」と軽口をたたいております。
つくづく人間は勝手な生き物でございます。でも認知症の現実を知る現代人は必ずしも長生きを望まないのではないでしょうか。少なくともわたくしの周りに長生きしたいと願っている人はあまりいません。
ただ、100歳にならなければ見えない世界もあるはずで、数年前に読んだ『一〇三歳になってわかったこと』(篠田桃紅さん 幻冬舎刊)の中に「体の半分はあの世にいて、過去も未来も俯瞰している」とありました。その境地はとても興味がございます。また「幸福になれるかは、この程度でちょうどいい、と思えるかどうかにある」と書かれてありました。こんなはずじゃなかったと思っているうちは幸せになれないと教えてくださっています。
もうすぐ還暦ごときの鼻たれ小僧は「あ~、こんな人生最悪」と何百回も唱えているので幸せなれないのかもしれません。まだまだ修行でございます。
最近亡くなったと知った若いお医者さまは、いわゆるホスピス医というジャンルのお医者さまでした。緩和ケア医であり看取り医ともいえるその方が、突然がんに侵され、余命2年と知るのです。でも彼は自らががん患者になったことを公表し、ギリギリまで患者さんと向き合っていらっしゃいました。わたくしが取材したのは、その余命まであと半年ぐらいの時期。おだやかで見た目も普通の人と変わらない白衣のお医者さまでした。
「なんで取材を受けてくださったのですか?」というアホな質問に「これで少しでも本が売れたらいいし、まだ生きてるって遠くの知り合いに知ってもらえるから」と、極ピュアなお答えに心打たれてしまいました。結果として余命は半年ほど延期されたようではありますが……。その崇高なお姿に引き換え、わたくしなぞ、五体満足でありながら認知症の兄に文句ばかりいい、ときに「やってられん!」と癇癪を起してしまう。やっぱりまだまだ修行でございます
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性59才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現63才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ
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