100才の三田村鳳治さんが毎日実践している6つのこと「毎朝の読経や兵隊歩き」
「人生100年時代」とは言うものの、元気に100才を迎えるのは並大抵のことではない。100才を超えても自立した生活を送る“百寿者”とは、どのようなことを心掛けて過ごしているのだろうか。高齢者施設で暮らしながら幼稚園の理事長として活動す100才の三田村鳳治(ほうじ)さんの生活をヒントに、健康長寿の秘密を専門家が解説する。
100才の三田村鳳治さん元気の秘訣は「毎朝のお経」
「健康長寿の秘訣?うーん‥‥毎朝のお経かなあ」
しゃんと背筋を伸ばしつつ微笑むのは、大正11(1922)年生まれ、今年3月に100才を迎えたばかりの三田村鳳治(ほうじ)さん。神奈川県逗子市の寺に生まれ、1943年、21才のときに学徒出陣で戦闘機の整備士となった。特攻隊に配属され、宮崎県の都城西飛行場、鹿児島県の知覧飛行場で多くの同僚を見送ったが、戦隊が東京の成増飛行場に移ったときに終戦を迎えた。
僧侶となった三田村さんは長年、地元幼稚園の園長として働き、現在は市内の高齢者施設で暮らしながら理事長としての活動を続けている。30代の頃には逗子市議としてJR東逗子駅開業に奔走。いまも地元では英雄だ。
スマホを器用に操り、記憶も会話も明瞭な三田村さんに、健康長寿の秘訣を聞いた。
「毎朝の読経だね。部屋にご本尊を祀(まつ)っているから、毎朝5時に起きて立って手を合わせて、6時から30分間は必ずお経をあげるんです。体を動かすための“兵隊歩き”も毎日やってますよ。手を大きく振ってひざを腰の高さまで上げ、その場で行進をする運動ね。あとはよく歩くこと。昨日も鎌倉まで行ってきたんですよ。たくさんの人に百寿のお祝いをもらったから、そのお返しを買いに行ったんです」
食事も決まった時間に摂る。朝食は7時15分、昼食は11時30分、夕食は17時15分。20時には就寝する毎日だ。好きな食べ物を尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「豆腐や豆菓子、うなぎの蒲焼きをよく食べています。以前は納豆もよく食べていました。昔からずっと、豆が好きですね」と、たんぱく質を多く含む食事を好んでいるという。
三田村鳳治さんが毎日している6つのこと
今年3月に100才を迎えた三田村さんは高齢者施設で暮らしながら幼稚園の理事長として活動する百寿者。その健康の秘訣は生活習慣とコミュニケーションに。
毎朝6時から読経
寺で生まれて僧侶となったため、毎朝必ず5時に起床し、6時から30分の読経を行う。
3食決まった時間に食べる
食事の時間は決まっている。百寿者に共通する性格の「誠実性」が感じ取れる。
豆類を好む
豆腐や豆菓子や、うなぎの蒲焼きからしっかりたんぱく質を摂取。
兵隊歩きを意識して行う
体を動かすために部屋の中で太ももを上げて手を大きく振る「兵隊歩き」を意識して行っている。そのかいあってか、ひとりで買い物に行けるほど体力や脚力がある。
子供たちとの触れあい
理事を務める幼稚園にはたびたび顔を出し、子供たちと触れあうのがいまのいちばんの幸せ。
健康長寿エリートは「誠実性」「開放性」「外向性」が高い
慶應義塾大学医学部百寿総合研究センターで100才を超えて自立して生活する「健康長寿エリート」の分析・研究を行っている教授の新井康通さんによれば、百寿者には三田村さんのように自分でスケジュールやルールを決め、その通りに生活する誠実な性格の人が多いという研究もある。
「高齢者の性格を、開放性、協調性、誠実性、外向性、神経症的傾向の5つに分けて評価し、その後14年間にわたって死亡率との関係を追跡調査した研究では、誠実性と開放性、外向性の高い人ほど長生きである傾向がありました。
『誠実性』とは自分で決めたルールをしっかり守るということ。たとえば百寿者の中には『朝にりんごを食べると体にいい』と70代のときにラジオで知り、その日から生涯を通して毎朝りんごを食べ続けた人がいます。これは、りんごそのものの健康効果が高いというわけではなく、その人が、同じ時間に起きてりんごを食べることを全うし、規則正しい生活を送ったことが長寿につながったのだろうと推察できます」(新井さん)
一方の開放性と外向性は、好奇心が旺盛で積極的にコミュニケーションを取ろうとすることと同義語だという。
「自分を開放し、未知の体験や人でも積極的にチャレンジしたりかかわりを持ったりできる性格のことを指します。年を重ねるほど配偶者や同年代の友人など近しい人が亡くなったり体が不自由になって頻繁に会うことが難しくなっていきます。そんなときにふさぎ込まずに年下の人たちと人間関係を築くことができる人や、新しい環境に飛び込める人は孤独を感じづらいし、何かあったときに助けてもらいやすい。そのためには、60代くらいのうちから若い世代と積極的につきあっておくことを推奨します。
そうすれば、年下の友達ができやすく、社会とのコネクションが作りやすい。実際、書道教室の先生をしていた百寿者の女性は、夫に先立たれた後も教え子をはじめとした若い友人や知人に囲まれていて、いつも楽しそうに過ごされていました。
また、百寿者の皆さんに共通するのは非常に楽観的なこと。なかには大きな病気をされた人もいますが、根治して100才に至った人もいる。そうした人は、いつも『なんとかなるさ』と考えていたといいます。家族構成や病歴、職業など100才を迎えるまでの道のりはさまざまですが、共通するのは前向きに生きてきたことだと思います」(新井さん)
日本の予防医学に貢献し、105才で天寿を全うするまで生涯現役を貫いた医師・日野原重明さんもまた、前向きに人生を歩み続けた百寿者の1人だった。日野原さんの薫陶を受けた日野原記念クリニック所長で医師の久代登志男さんが振り返って言う。
「病院と財団の責任者という立場上、厳しいことを言ったり、しなければいけなかったが、それでも開放的で楽観的な人だった。批判されてもご自身の立場を常に客観的にとらえて前向きに対処されていた。『顔が貧相になるから』とおっしゃって、鏡の前で笑う練習をしていたことをよく覚えています」(久代さん)
相手に積極的に笑いかけ、親切にしようと心がける人が健康長寿をなしとげることを裏づけるデータもある。
「介護者側から見た介護負担に関する調査で、100才超えの人の介護は、それより下の年代に比べて負担感が少ない、という結果が出ている。
これは介護する人が要介護者に好意をもっているため、面倒を見ることが苦にならないことが理由だと考えられます。実際に聞き取り調査の中でも、『お嫁に来たときに義母がよくしてくれた。だから介護が苦にならない』という百寿者の身内の話もあったのです。研究時の印象でも百寿者には面倒見のいい人が多かったことを覚えています」(新井さん・以下同)
百寿者が増えた社会は血のつながりが重視されなくなる
右肩上がりで毎年百寿者の人数が増えているうえ、大規模研究によりここまで共通点が明らかになれば、今後100才を超えて生きることが当たり前になる可能性は充分にある。新井さんはそうした時代が到来すれば、家族の在り方も変化すると予測する。
「これまでの時代よりも“血のつながり”が重視されなくなる可能性があります。実際、調査した百寿者も、必ずしも身内が世話をするわけではなく『以前その人に世話になったから』と血縁者以外の慕う人が面倒を見ているケースも多くなっています」
百寿者の三田村さんも、いま最も楽しいことは幼稚園の園児ら“血のつながらない子供たち”と交流し、その成長を見守ることだと話す。
「朝のお経も、施設にいる人たちが部屋の前に聞きに来てくれている。年を取って幸せだと感じるのは、こうして出会った人や思い出が増えていくことです」(三田村さん)
変化するのは人間関係だけではない。現代の百寿者の身体能力も20年前の百寿者とは比べものにならない。
「研究を始めた当時、元気な100才のイメージといえば畳に座ってゆっくりしゃべる“きんさんぎんさん”でした。しかし現在100才にして陸上競技の大会に出場する人もいれば、“銀ブラ”を楽しむ人もいる。今後、普通に電車で通勤し、仕事に邁進する100才も出てくるかもしれません」(新井さん・以下同)
亡くなる直前まで白衣に袖を通し続けた日野原さんや、独自の感性で「墨アート」というジャンルを確立し、100才を超えても個展を開きエッセイを書き続けた美術家の篠田桃紅さん(享年107)など、そのきざしは確かに見えている。
「ただし、寿命そのものは今後、これ以上劇的に長くなることはないと考えられます。100才の人口がここ20年で激増した半面、110才の人数は、2015年の調査時とほぼ変わりません。人類の寿命は110才を超えたあたりで頭打ちなのかもしれません」
「存命中の世界最高齢」に認定された田中カ子(かね)さんも4月下旬、119才でこの世を去った。
笑顔で100才を迎えるために、まずは一緒にいる人に優しくするところから始めてみたい。
教えてくれた人
慶應義塾大学医学部百寿総合研究センター教授 新井康通さん
慶應大学で長年にわたって「百寿者」と「スーパーセンチナリアン」の研究を続ける。
取材・文/土屋秀太郎 取材/小山内麗香、戸田梨恵、田村菜津季、伏見友里 撮影/伏見友里
※女性セブン2022年5月12・19日号
https://josei7.com/
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