猫が母になつきません 第273話「くろいさいふ」
朝早くから黒い財布を探す母。「知らない?昨日スーパーに忘れたのかしら?」。いや、それ以前に母の言う「黒い財布」を一度も見たことがないのですけれど…。母は「最近使い始めた」と言うのですが、母が使っている財布を私が知らないはずがありません。もともと使っていた財布はちゃんとあるのですが、それ以外にもうひとつあったと言う。しかしうちには母が言うような「黒い財布」はなかったし、最近そういう買い物もしていないので、どうやら母は幻の財布を探しているようです。新しいパターン。このところ母は夢と現実の境がなくなってきています。以前、自分の悪口がネットに書き込まれているという夢を見た母は、現実の世界でその書き込みを血眼で探していました。「それは夢だよ」と説明してわかってくれたと思っていたのですが、母は納得しておらず、その後も幾度となく私に書き込みを消してくれと言ってきました。たぶんその財布は存在しませんが、母の思い込みを変えることは困難なので、立ち寄ったスーパーに問い合わせたりする母を止めることはせず、もう失くなってしまったのだと母が「黒い財布」を諦めるのを待つしかありません。母に対して「説明する」とか「言い聞かせる」という行為がほとんど意味をもたなくなっていると思い知らされることの多い今日この頃。話せども話せども私の言葉は幻の黒い財布に吸い込まれていくのです。
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作者プロフィール
nurarin(ぬらりん)/東京でデザイナーとして働いたのち、母とくらすため地元に帰る。典型的な介護離職。モノが堆積していた家を片付けたら居心地がよくなったせいかノラが縁の下で子どもを産んで置いていってしまい、猫二匹(わび♀、さび♀)も家族に。