兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第86回 地域包括支援センターに行ってきました】
若年性認知症の兄と暮らすライターのツガエマナミコさんを心配するコメントが多数寄せられている。「読者の方々のコメント、ほんと、ありがたいです。心の中の硬い氷が溶けるように感じます」と語るツガエさんは、ついに地域包括支援センターへ。今回は、そのときの出来事を綴ってくれた。
「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
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要介護認定が必要な理由
深夜の脱糞事件(84~85回)は、いまのところはあの一度きりで、すでに幻だったかのように現実味がなくなってしまいました。でも頭の隅では毎日「今夜またあれが起こるかもしれない」という恐怖はございまして、憂鬱な日々を送っております。
ただ、この事件がきっかけで、わたくしやっと要介護認定の申請をする踏ん切りがつきまして、先日、意を決して近所の地域包括支援センターに行って参りました。
じつは、センターに行くのは今回が初めてではございません。母のときにも一度、困って相談に行ったのです。でも「なんとかして主治医を決めてください」と言われ、がっかり。「病院嫌いでそれができないから相談してるのにー!」とイラついた思い出がございます。
でも今回はすでに通院している兄のこと。要介護認定のことも一通りは知っているのでイラつくことはありませんでした。
「うちに認知症の兄がいて、ご相談したいことがあるのですが」と言うと、検温と手の消毒の後、個室に通され、50代とおぼしき女性と見習いとおぼしき若い女性が並んで、わたくしの事情聴取が始まりました。
同居している62歳の兄が57歳のときアルツハイマー認知症と診断され、通院していることと、要介護申請をしたい旨を伝えますと
「今回、要介護申請をしたいと思ったきっかけが何かあったのですか?」
と訊かれました。「やっぱり、それ、訊かれるんだな」と思い、仕事もなく、家でテレビを観ているだけなので運動不足なことや、できていたことができなくなってきたこと、お風呂に入らないこと、さらにはコップにオシッコ、ベランダで立ちション、深夜の脱糞の話しまで、一通りお話しさせていただきました。
排泄問題のお話しは聞き慣れていると思われ、職員の方はじつに冷静に症状を書き留めていらっしゃいました。わたくしはわたくしで「この脱糞ネタがあってよかった」と思いながら話していました。「やむにやまれず来ました感が出る」とでも申しましょうか、相談を正当化する材料として「脱糞事件は必要だった」と実感したのです。
もちろん「物忘れ」「運動不足」「お風呂に入らない」という理由だけでも、それなりに対応していただけたとは思います。福祉に関わる方々は、みなさん優しい方ばかりですから。ただ「その程度で来ましたか、と思われそう」というわたくしのくだらない自意識がずっと邪魔をしていたのでございます。ある意味、わたくしは脱糞事件を待っていた。そして願いは叶ったのです!
というわけで介護申請のお話しはスムーズに進んでいったのですが、このときのわたくしは、わたくし自身が認知症なのではないかと思うほど、思い出せない現象が発生して愕然といたしました。例えば現在通院している病院名や、認知症を診断された当初の病院名、主治医の名前を思い出すのにも時間がかかり、母のときにお世話になったケアマネさんのお名前に至っては、まったく一文字も思い出せません。
さらに焦ったのは、自宅の住所や電話番号を訊かれて「???」と一瞬混乱してしまったことです。「この人も危ないじゃん」と思われたのではないかと冷汗ものでした。
結局、要介護認定申請の手続きは保留になっております。わたくしが認知症っぽいからではございません。主治医が病院を移ってしまい、次の診察日まで新しい主治医のお名前が分からないからです。
ちょっとした度忘れだと思いたいですが、わたくしも認知症の血筋なので不安になります。予防のために最近クイズやパズルをしているのですが、「そんなの無駄。常に頭を使っている学者でもなる人はなる」という説にも説得力があり、憂鬱になっております。
ちなみに余談ですが、わたくしは最近この「鬱」の字が書けるようになりました。クイズのお蔭でございます。『リンカーンはアメリカンコーヒーを三杯飲んだ』という語呂合わせが有名らしいのですが、この呪文によって何も見ずに「鬱」が書けたので嬉しくなって憂鬱が若干軽減いたしました。
ご参考までに
「林」(リン)の間に「缶」(カーン)、その下に「ワかんむり」、米国の米の字に似た「※」(アメリカン)、「コ」を「凹」向きにして、その下に「ヒ」、「三杯飲んだ」は右の三本スラッシュ。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性57才。両親と独身の兄妹が、6年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現62才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ