兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第72回 不潔との闘い】
お風呂になかなか入らない、入っても石鹸で洗わない、洗濯した服に着替えない等…若年性認知症の兄の暮らしぶりには心穏やかでいられないツガエマナミコさん。そんな中、半年ぶりに散髪屋に行った兄。こざっぱりした姿を見て、安心したのもつかの間、清潔状態の継続は難しいらしく…。
「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
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第2ステージを迎える予感
昨夜10時、わたくしが部屋で例のごとくゲーム配信を楽しんでいたところ(第57回をご参照ください)、兄がドアをノックするので、「何?」と開けると、「今日はここに泊まるの?」と言うので、「え?なになに?」と聞こえたのに聞こえない振りをしてしまったツガエでございます。
兄の身になってみようとして、もしも、大人になってからの記憶がほとんどなかったら…と考えたことがございます。
出会った方々や、やり遂げたお仕事や見聞きした膨大な知識から昨夜のごはんのおかずまで「無」だったら? 例えば10代の記憶のみで生きるとは、どんな気持ちかと想像してみました。いや、しようとしましたが、できませんでした。
「今日はここに泊まるの?」は、兄にとってここは我が家でない証。引っ越して1年半になりますが、61年の人生のなかではごく最近の記憶でございますから、ときどきここは仮の住まいと認識してしまうのかもしれません。両親と4人で再集結して住んだ一つ前の自称・高級マンションなど、もう兄の記憶にはないでしょう。
あるのはきっと10代を過ごした昭和の団地。いつか症状が進んで徘徊が始まったら、きっと団地に帰るつもりでさまようのだと思います。そうなると自身の年齢もぐっと若く設定されているので、どこまでも歩ける。認知症のお年寄りが「こんなに遠くまで歩いて?」というアンビリーバボーなことが起こるのは、そんな仕組みがあるのだと思います。
「コップにオシッコ事件」(第69回をご参照ください)は、なんとなくジェットコースターの登り斜面から下りへと差し掛かる境目な気がして、ここから第二ステージを迎え、兄の行動は大きく常識を外れていくのではないかと懸念しております。
今までは、できていたことができないとか、知っていて当たり前のことが分からないとか、聞いても一瞬で忘れるという、いわゆる「記憶を失う」ことでの「やらかし」でしたが、この先は突拍子もない行動を起こすとか、ありもしないことを言い出すといった「ウルトラ理解不能」な「やらかし」になる。例えば今は洗面所のコップだけれど、そのうちキッチンに置いてあるコップにも見境なしにオシッコを入れて平然としているかもしれないのです。「いやいや、さすがにそれはないでしょ」と笑えないのが認知症の恐ろしいところ。わたくしは何を覚悟し、何に慣れていけばいいのでしょうか…。
じつは、洗面所のコップには今日もオシッコが入っています。頻度は確実に増しています。今回はそのまま置いておいても洗ってくれる気配がありません。
それから最近は朝一番、兄が部屋から出てくる前に掃除機をかけるようになりました。なぜなら、朝日で見るフローリングには、兄の椅子を中心にテレビの前や窓際などにフケや肌の角質と思しき白い物体がパラパラとすごいのです。
今朝、掃除機を用意していると兄が起きてきたので、「ねぇ、この白いの見える?」と言ってみると「見えるよ。何だろう、これ?」と不思議そうに言うので、「何だろうね。床から湧いてくるのかな」と言ってみました。
兄との暮らしは不潔との闘いでもございます。わたくしは自分を潔癖症ではないと思っておりますが、なかなかきつくなってまいりました。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性57才。両親と独身の兄妹が、6年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現62才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。ハローワーク、病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ