認知症の母が暮らす実家に帰れない!「ふるさと」の切ない話
東京と岩手・盛岡を往復し、遠距離介護を続けてきたブロガーの工藤広伸さんは、新型コロナによる緊急事態宣言を受け、帰省の自粛を決めた。ステイホーム週間とされているゴールデンウィークに「ふるさと」へ帰れない人も多いのではないだろうか。
今回は、工藤さんに認知症の母が1人で暮らす「ふるさと」への思いを聞いた。
新型コロナで「ふるさと」へ帰れない
新型コロナウイルス感染拡大防止のため、GW中の都道府県をまたぐ移動の自粛や自宅待機が求められています。たくさんのお土産を抱え、ふるさとへ帰省するつもりでいた方も多いと思うのですが、今年はそれもままなりません。
大正時代の詩人・室生犀星の詩の一節にある「ふるさとは遠きにありて思ふもの」は、あまりにも有名ですが、皆さまにとって今、ふるさとはどのように見えていますか?
わたしが思い描くふるさとのイメージは、こんな感じです。
母:「ふとん敷いてあるから、もう寝なさい」
わたし:「ありがとう、おやすみ!」
母:「お風呂の準備ができているから、さっさと入りなさい」
わたし:「わかった、冷めないうちに入る」
母:「早く起きなさい!何時まで寝てるの!」
わたし:「もう、何でもっと早く起こしてくれないの!」
母:「ほら、この野菜持って帰りなさい。あと果物とお菓子も」
わたし:「こんなにたくさん、持ちきれないって」
いつもなら自らのため、家族のためにやらなければならない家事も、ふるさとではすべて母の役割です。ふるさとへ体ひとつで帰るだけで、食事が用意され、お風呂が沸いていて、ふとんが敷いてあります。
毎日の仕事のストレスから解放され、気を張らずにゆっくりできる場所がふるさとなのだと思います。
しかし今は、そのふるさとに帰省したくとも、ふるさとのほうから来ないで欲しいと言われます。もし帰省して、ふるさとの両親やご近所が新型コロナに感染してしまったらと考えると、帰省する側も躊躇してしまいます。
今年は、簡単にアクセスできるはずのふるさとが、遠くにあるように感じている方が多いと思うのですが、認知症介護においても、ふるさとが遠くに感じることがあります。
母の認知症介護で「ふるさと」が変わる
今から10年前の母は、たまに実家へ帰ってくる息子を待ちわびていたように思います。
息子が帰ってくる何日も前から、料理の下ごしらえをして、準備していた母。わたしは実家で何もする必要がなく、至れり尽くせりで、心身ともにリフレッシュする場所がふるさとでした。
しかし今は、わたしが帰省する日を、あらかじめ母に伝えても、忘れてしまいます。実家の玄関を開け、「ただいま」というと、「あら、今日帰ってくる日だったの?」と母は驚きます。
親子で数日、一緒に生活しているにも関わらず、何事もなかったかのように、1人分の朝食を準備して食べ終え、わたしが「おはよう、朝ご飯は?」と声を掛けると、「あれ、東京に居るんじゃなかったの?」と、息子が帰省していたことすら忘れてしまいます。
お風呂を沸かすのも、ふとんを敷くのも、すべて自分の仕事です。朝は目覚まし時計を使って自分で起きますし、わたしが帰京する日になっても、持ちきれないほどのお土産は出てきません。
母がデイサービスに持って行く連絡帳やお財布などの持ち物は、わたしがある程度準備する必要がありますし、デイサービスへ向かう母を見送るのもわたしの仕事です。
もはや、わたしが母に対して、至れり尽くせりの状態です。
認知症の進行によって、母の記憶や習慣が失われていく中で、わたしが知るふるさとの懐かしい思い出も同時に失われていくように感じます。
あの頃のふるさとはもう、どこにもありません。
変わらぬ「ふるさと」と変わりゆく母の姿
そんな現実がある一方で、いつもと変わらない「ふるさと」もあります。
実家へ向かうバスの車窓から見える岩手山や北上川は、わたしが暮らしていた学生時代と何ら変わりありません。
高校時代に使っていた実家の机は今も健在ですし、自分の部屋から見える山々は、当時のままです。昔と変わらない景色や部屋のおかげで、変わらないふるさとがまだ残っていることに気づかされます。
変わらないふるさとがあるのに、母親はどんどん変化していく。あの頃のふるさとの思い出と、現実が少しずつゆっくり乖離していくことに寂しさを感じたり、虚しさを感じたりすることもあります。
いつの頃からか、ふるさとへ帰ったときの安堵感が、介護を終えて東京の自分の家に帰ったときにやってくるようになりました。ふるさとは思い出に浸ったり、リフレッシュしたりする場所ではなく、母を介護するための場所になってしまったからだと思います。
認知症介護している方ならきっと、ふるさとの形やあり方が変わっていく感覚をお持ちの方もいるのではないでしょうか。
新型コロナウイルスが収束するまで、しばらくふるさとへ帰ることはできません。認知症介護によってふるさとのあり方が変わってしまったとしても、それでもわたしはまた実家へ帰って、母の元気な姿を見たいのです。
今日もしれっと、しれっと。
工藤広伸(くどうひろのぶ)
祖母(認知症+子宮頸がん・要介護3)と母のW遠距離介護。2013年3月に介護退職。同年11月、祖母死去。現在も東京と岩手を年間約20往復、書くことを生業にしれっと介護を続ける介護作家・ブロガー。認知症ライフパートナー2級、認知症介助士、なないろのとびら診療所(岩手県盛岡市)地域医療推進室非常勤。ブログ「40歳からの遠距離介護」運営(https://40kaigo.net/)