85才、一人暮らし。ああ、快適なり「第14回 スマホって何だろう」
1965年に創刊し、才能溢れる文化人、著名人などが執筆し、ジャーナリズムに旋風を巻き起こした雑誌『話の特集』。この雑誌の編集長を30年にわたり務めたのが矢崎泰久氏。彼はまた、テレビやラジオでもプロデューサーとして手腕を発揮、世に問題を提起し続ける伝説の人でもある。
齢、85。歳を重ねてなお、そのスピリッツは健在、執筆や講演活動を精力的に続けている。ここ数年は、自ら、妻、子供との同居をやめ、一人で暮らすことを選び生活している。
そのライフスタイル、人生観などを連載で矢崎氏に寄稿してもらう。
今回のテーマは「スマホ」。スマホに夢中になる人々を見て、思うこととは?
悠々自適独居生活の極意ここにあり。
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「イットの時代」と言った某総理大臣
このところ私はスマホに脅えている。私が今利用しているのは、ガラケーと呼ばれる機種で、携帯電話のパイオニア的な存在である。
それでも、機能の5%も私は活用していない。日常的には電話とメール以外には必要ないからだ。
ところが最近、毎日のように契約先のKDDI(au)から、「スマホに買い換えませんか」と、誘惑されている。時には「今がチャンスです」と急かされる。
いかに素晴らしい物であっても、使いこなせないという不安にずっと取り憑かれているから、私は色良い返事は絶対にしない。
とにかく周囲の皆さんは、ほぼ全員がスマホである。チラッと見ると、実にすばっしこく操っている。瞬間的にピピピ、パパパという感じなのだ。次々に画面が変化し、しかもオール・カラー。ハタ眼にはなかなか楽しそうである。
「スマホデビューしなさい。時代に取り残されるよ」と、忠告する友人すらいる。
指先が痺れてるとか、間違えてタッチするに違いないとか、私にはとうてい手に負えないなどとグズグズ言っても、誰も取り合ってくれない。しまいには怒り出す相手もいて、いっそ携帯電話界から撤退しようかとすら思う今日この頃なのだ。
かつてはワープロにもパソコンにもチャレンジしたが、私にはどうにもしっくりこなかった。折りしも、当時の森喜朗という総理大臣が記者会見の場で、得意そのものに、
「これからはイットに時代です」と、やった。IT(アイティ)を紹介するに及んでイットとは何んだ。コンピューター文化に嫌気がさしたのは私だけではあるまい。
もともとひねくれ者だから、世の中のほとんどの人がスマホの虜になっている様子を見るにつけ、残りのたった一人になろうともスマホは持つまいと決心するようになったのだ。
スマホに敵愾心(てきがいしん)を抱くと、電車の中や喫茶店などでスマホに熱中している人に憎しみを持ったりするから不思議だ。
「便利に頼っていると、いつか復讐される日が来るに違いない」と、悪態を口にして喜ぶ癖が最近ついてしまった。
このままではただの偏屈な老いぼれになってしまいかねない。少なくとも、争いの種を自分で作って、バラ蒔いている気がする。
そこで反省を兼ねて、スマホに夢中になっている人に会うと質問を試みることにした。
「スマホって何」と、問う。
これが結構遊べることを発見したのだ。
まずスマホ人に、正面から教えを乞う姿勢を示す。たいていの人は熱心に、いかにスマホが素晴らしいかを説明してくれるのだった。
「ふーん、凄いね。そんなことも出来るんだ。で、これに触れると何が出て来るの?無料でいろいろな検索が可能なことは素晴らしいと思うけど、確認するにはどうしたらいいの?びっくりしたな、どんなサービスだって受けられるね。情報が必要な時はこっちの知識も大切かもね」
実はだんだん相手になっていることが負担になってくるように見える。そんな気配を感じたら、すかさず、
「やっぱり俺には無理だね、とても操作を覚えられない」と、突然身を引く。そもそもがスマホは実用品であり、遊びの世界へも招いてくれるらしい。つまりキリがないアイテムであることが明白になってくる。
そこで再び哲学的な質問に近い、「スマホって何」に立ち戻る。
誰もが二度と私にスマホを持てと言わなくなる。私が改めてスマホに向いてないことを相手も思い知ったらしい。
ピパポに背を向けて、スローライフに徹する
世界中のほとんどの人がスマホに魂を奪われている現実を、違う視点から冷静に受け止めると、何か大きなチャンスが到来しているようにも思えてくる。
今流行(はやり)のポピュリズムとも関係がありそうだ。誰もが、ピパポとやっていることに背を向けて、スローライフに徹するのも悪くない。
どうもITが蔓延してからと言うもの、世の中が落ち着かなくなっているような気がしてならない。何が起きるかわからないといった不安が身体のどこかに潜んでいる。
電化製品が初めて登場した時代には、庶民が殺到し、年賀ハガキの景品になった。日本がなんだか浮き足立った感じがした。
いつかスマホよりもっと便利なものが誕生しそうな気配すらある。あるいは、人間は何をしなくとも、全部ロボット任せな時代がやってくるのだろうか。
世の中に遅れを取っているだけなのかもしれないが、スマホの流行は私を不安にかり立てる。つまり、とうていついて行けないという疎外感が全身を覆っているようだ。文化文明は進歩発展して止まることがない。
それが不気味でならない。そんなこんなで、あたふたしながら、スマホ拒否がどこまで続けられるか、試練の日々を味わっている。ヘルプミー!!
矢崎泰久(やざきやすひさ)
1933年、東京生まれ。フリージャーナリスト。新聞記者を経て『話の特集』を創刊。30年にわたり編集長を務める。テレビ、ラジオの世界でもプロデューサーとしても活躍。永六輔氏、中山千夏らと開講した「学校ごっこ」も話題に。現在も『週刊金曜日』などで雑誌に連載をもつ傍ら、「ジャーナリズムの歴史を考える」をテーマにした「泰久塾」を開き、若手編集者などに教えている。著書に『永六輔の伝言 僕が愛した「芸と反骨」 』『「話の特集」と仲間たち』『口きかん―わが心の菊池寛』『句々快々―「話の特集句会」交遊録』『人生は喜劇だ』『あの人がいた』など。
撮影:小山茜(こやまあかね)
写真家。国内外で幅広く活躍。海外では、『芸術創造賞』『造形芸術文化賞』(いずれもモナコ文化庁授与)など多数の賞を受賞。「常識にとらわれないやり方」をモットーに多岐にわたる撮影活動を行っている。