高木ブー「ドリフの仲間と過ごした時間」を追想【第15回 ドリフのチームワーク】
「志村のことは、まだ実感できない」と高木ブーさんは言う。ピリピリした雰囲気だった『8時だョ!全員集合』のネタ会議だが、楽しい思い出もある。その場で時々、いかりや長介さんがメンバーに「新しい遊び」を提案したという。パイプ、8ミリカメラ、クレー射撃……。忙しい日々の中での遊びは、ドリフのチームワークや笑いに何をもたらしたのか。(聞き手・石原壮一郎)
→前の話:高木ブー悲嘆「志村へ。そしてドリフターズ時代のこと」を読む
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あらためて、志村けんはすごいヤツだったんだな…
志村(けん)について話した前回の記事は、とても多くの人が読んでくれたらしい。ありがとうございます。僕のインスタでも、早すぎる旅立ちを悼む声や志村へのあたたかい言葉をたくさんもらいました。記事を読んだ人が、心の中に志村のヘンな顔やギャグを思い浮かべてくれたとしたら、僕としても嬉しいです。
あいつのことで日本中が悲しんでくれて、あらためて、志村けんっていう男はすごいヤツだったんだな、ザ・ドリフターズっていうグループは大きな存在だったんだなって実感しました。僕のことを心配してくれるコメントも多くて、とても感謝してます。高木ブーは、まだまだ大丈夫。みなさんに楽しんでもらえるように、これからもがんばりますよ。
前回は『8時だョ!全員集合』のネタ会議が、いかにピリピリした雰囲気だったかって話をしたけど、楽しいこともあったんだよね。長さん(いかりや長介)が時々、「おい、ちょっとこれ見てくれよ」って言いながら、見慣れないものを机の上に並べた。パイプとか8ミリカメラとかね。長さんは新しいもの好きで、これから世の中で注目されるものを見つけてくるのが得意だった。自分が興味を持つと、ほかのメンバーにも勧めるんだよね。
草野球のチームも作ったし、みんなでクレー射撃の資格を取りに行ったこともあった。ゴルフもTBSの隣に打ちっぱなしがあって、けっこうやったなあ。止まっているボールなのに、当たらないんだよね。
強制っていうわけじゃないけど、リーダーの勧めだから「いや、俺はいいです」とも言えないじゃない。長さん、ちょっと怖いしさ。でも、面倒臭いなあと思いながらも付き合いで同じ遊びを楽しむことで、チームワークが深まったところはあると思う。遊んでいるときって、仕事しているときとはまた別の顔が見えたりするしね。
僕はタバコは吸わないんだけど、パイプはちょっとだけやってみた。あれは吸うもんじゃなくて、ふかすもんだからね。けっこう準備に手間がかかって、5種類ぐらいの葉っぱをブレンドして、ウイスキーをかけるの。ストレートで吸うと、辛くて吸えたもんじゃない。そうやって自分好みの味を見つけていくのが楽しいらしいけど、僕はそこまではハマらなかった。そのときに買ったパイプが、まだ家に何本かあるなあ。
パイプより前だったと思うけど、8ミリカメラのときは「みんなで映画撮ろうぜ」ってことになって、短いのを何本か撮った。みんないちおう撮られるのは慣れてるし、まわりにプロもいて教えてもらえるから、編集もちゃんとやって、それなりに凝ったのを作った気がする。内容はすっかり忘れちゃったけど、あれ、残ってたら貴重だよね。。
クレー射撃を始めたのは、昭和50年頃だったかな。言い出しっぺの長さんは、負けず嫌いで形から入るタイプだったから、1000万円以上する銃を持ってた。僕が最初に買った銃は、20~30万円ぐらい。加藤がめちゃくちゃうまくてね。長さんは、ほかのメンバーがだんだん上手になっていくと、自分が負けるのが嫌でやらなくなっちゃった。
結局、クレー射撃は僕がいちばん長く続けて、10年ぐらい前には「芸能文化人ガンクラブ」の会長になっちゃった。その前の初代会長は森繁久彌さん。恐れ多いよね。僕も高齢になったから、今年からは会長をヒロミ君に変わってもらって、今は顧問の立場です。最初は付き合いで始めたけど、ありがたいことに一生の趣味と出合わせてもらえた。長さんが新しいもの好きで、しかもみんなを巻き込むタイプでよかったよ。
今の感覚で言うと、プライベートまで仕事仲間と過ごしたくないって思うかもしれないけど、当時はそのへんを分ける発想はなかったなあ。何でも遠慮なく言い合いながら仕事して、いいものを作っていくためには、仕事も遊びもいっしょっていうのは悪いことばかりじゃない気がする。あくまで、それがドリフには合ってたってことなんだけどね。
それに、何にでも興味を持って手を出してみる長さんの好奇心の強さは、たぶんドリフの笑いに大きな影響を与えたと思う。おかげで僕らも、いろんな世界を経験させてもらえた。ただ、今思えばそういうことなんだけど、長さんがそこまで考えてやってかどうかはわからない。自分の欲求に素直に従ってただけかもね。
それにしても、あんなに忙しかったのに、よく遊ぶ時間があったなあって感心するよ。みんな若かったんだよね。よく働き、よく遊ぶ。それがドリフの勢いを作ってたのかな。
「ドリフの存在の大きさを実感したね。僕は、これからも元気で頑張りますよ」
高木ブー(たかぎ・ぶー)
1933年東京生まれ。中央大学経済学部卒。いくつかのバンドを経て、1964年にザ・ドリフターズに加入。超人気テレビ番組『8時だョ!全員集合』などで、国民的な人気者となる。1990年代後半以降はウクレレ奏者として活躍し、日本にウクレレブーム、ハワイアンブームをもたらした。CD『美女とYABOO!~ハワイアンサウンドによる昭和歌謡名曲集~』など多数。著書に『第5の男 どこにでもいる僕』(朝日新聞社)など。2月末に発売された野村義男さんのソロアルバム「440Hz with〈LIFE OF JOY〉」(エムアイティギャザリング)では、沖縄風のハワイアン「ヤシの木の下で」で伸びやかな歌声を披露している。
取材・文/石原壮一郎(いしはら・そういちろう)
1963年三重県生まれ。コラムニスト。「大人養成講座」「大人力検定」など著書多数。この連載ではブーさんの言葉を通じて、高齢者が幸せに暮らすためのヒントを探求している。
撮影/菅井淳子