緒方貞子さんの人生に学ぶ 「生涯現役」つくったスコッチとテニス
5フィートの巨人、92才で亡くなる―
英国のBBC放送は緒方貞子さんの訃報を速報でこう紹介した。5フィートを換算すると、身長約150㎝。語学力はもちろん、ハードな交渉をいくつもまとめ、小柄な体ひとつで紛争地域に入ってゆく胆力を目の当たりにした国連の同僚たちから敬意を込めて“巨人”と呼ばれていたのだ。
10月22日に92才で生涯の幕を下ろした緒方さん。最後まで信念を貫きとおした緒方さんの訃報に接し、国連職員の業務内容の過酷さ、多忙さも改めて浮き彫りなり、「なぜ92才までこんなに元気で多くの仕事を成し遂げられたのか」との声も上がっている。
まさに「人生100年時代」を象徴する緒方さんの人生。「生涯現役」、その元気のヒントとは?
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結婚・出産・介護と女性のライフイベントをフルコースで体験
生涯現役を体現する仕事ぶりだった緒方さんだが、私生活でも結婚・出産・介護と女性のライフイベントをフルコースで体験している。
結婚は33才。当時としては晩婚ではあるが、緒方さんは「私たちとしては、ちょうど適齢期」と振り返っている。夫の四十郎さんは日本銀行勤務のエリートで、政治家の三男坊。にもかかわらず気取ったところはなく、「夫の後ろを3歩下がってついてゆく」が理想の妻だとされていた当時、バリバリ働く緒方さんを四十郎さんは献身的にサポートした。
2人の子供にも恵まれ、30~40代は子育てをしながら大学教員として勤務。当時の「家庭と仕事の両立」について、緒方さんは’05年の『婦人画報』のインタビューにこう答えている。
《私たちが働くのにチャンスがたくさんあるという時代ではありませんでしたから、下の子どもが学校へ行くまでは、やはり長く家をあける仕事にはついていません。だからICU(国際基督教大学)にいた10年は、非常勤講師だったんです。(中略)それでも、大学の仕事というのは、ある程度自分で自分の時間をコントロールできますからね。子どもが小さければ、早く寝かして、自分の勉強する時間をつくるとか。朝の9時から夕方の5時まで行く仕事とは違います》
子供が手を離れた50代になると、今度は脳出血で母が倒れ、仕事をしながら介護を続けることになる。世界を股にかけ、知性や交渉力が必要となる難民支援と、育児や介護を両立するのは並大抵の苦労ではなかったはずだ。
それだけではない。飛行機を乗り継いで現地を訪問、15㎏もある防弾チョッキを着て歩いたり、野宿に近い宿舎に耐える体力も必要だ。
強靱な肉体をつくったテニス
強じんな肉体をつくった秘訣の1つは、学生時代にのめり込んでいたテニスだったと緒方さんは次のように回想していたという。
「健康法はテニス。短い時間でたくさん運動できるのがいい」
「テニスで得たものは最後まで勝つために全力を尽くすファイトよ」
秋葉原駅クリニックの内科医、佐々木欧さんが分析する。
「’18年に発表された約9000人を25年間追跡したデンマークの研究では、スポーツをする人は平均余命が長く、とりわけ複数人で行うスポーツをする人の寿命が長かった。テニスは上半身もよく動かす全身運動であるうえ、複数人でコミュニケーションをとりつつ楽しみながら続けられる体にいいスポーツのひとつといえるでしょう」
加えて、テニスは基本的に野外で行うスポーツであるため、適度に日光を浴びる。
「運動自体の刺激も骨にいいのですが、さらに日光を浴びることで体内にビタミンDが生成される。これがカルシウムの吸収をうながし、骨粗しょう症予防にもつながります」(佐々木さん)
緒方さんはかつて、聖心女子大学の先輩後輩の仲である上皇后美智子さまともテニスで一戦を交えたことがあるという。85才を迎え、今なおお元気な上皇上皇后両陛下をみても、テニスプレーヤーであることは、「生涯現役」の1つのキーとなることは間違いないだろう。
→美智子さまロイヤルヒストリーアルバム|「愛」と「祈り」の来し方
「本の虫」。読者する人は寿命が長い
出張が多かった緒方さんの「旅の友」は本だったという。加えて大量の蔵書を背に「よくぞこんなに勉強したものだ」と笑っていたというエピソードもあるほどの「本の虫」だったが、それも生涯現役に一役買っていたようだ。
「健康寿命を延ばすためには運動機能に加え、脳を刺激して認知機能を保つことも大切です。その点でいえば、新しい世界に触れられる読書は、運動とともに健康寿命を延ばすことに役立つと考えられます」(佐々木さん)
実際、アメリカ・イェール大学が発表した読書と寿命に関する論文では、性別や健康状態、財産、学歴といった属性に関係なく、50才以上の約3600人を「本を読む人」と「まったく読まない人」に分けて追跡したところ、「本を読む人」の方が2年近く寿命が長いという結果になった。
少量のアルコールには健康効果も
意外なことに、緒方さんはアルコールもたしなんでいた。
《夕食前にはスコッチ。水割りでちょっと飲んだら、食中酒はワインか日本酒。あとはジントニックも》(’16年10月、朝日新聞インタビュー)
秋津医院院長の秋津壽男さんは、少量のお酒は有用だと言う。
「半合くらいの量であれば善玉コレステロールを増やし、動脈硬化を予防する作用があるとされ、まったく飲まない人よりも寿命が延びるというデータもあります。アルコールによって緊張がほぐれて笑顔が増え、ストレスが解消され、免疫力が上がる効果も見逃せません」
実際、ウイスキーに含まれるエラグ酸には糖尿病予防効果が、ワインのポリフェノールには抗酸化作用があるといわれている。
緒方さんのような世界で活躍する女性に憧れを抱く人は少なくないはず。しかし実際には、結婚や子育てなどを見据えてキャリアを築くことを断念したり、あるいは仕事を優先して私生活をあきらめる人も少なくない。おそらく同様の悩みを持っていたであろう緒方さんは「長期戦」を勧めていた。教え子である女子大生や周囲に対し、かねてから“女性には男性と違うサイクルがあるの。だから、あせって目標を決めてしまうより、自分のサイクルで生きながら長期戦でかまえた方がいいわよ”と説いていたのだ。
ゆっくり頑張る:辞めずに長く続けること
それは緒方さんのキャリアにも如実に表れている。国連公使に抜擢されたのは48才でのこと。国連難民高等弁務官の要職に就いたのは、還暦を過ぎた63才の時だ。国連総会への出席を子育てが多忙という理由で断念したこともあるし、米国での国連公使時代には、当時の福田赳夫首相から経歴を問われて「台所からやってまいりました」と答えたとの逸話もある。
久保さんが言う。 「’76年、国連公使になられて1年目の時、『仕事に就いたら自分を甘やかさないこと』とアドバイスいただきました。そして入った以上は女性も辞めないで長く続け、経験を蓄積することも重要だとおっしゃっていました」
精神科医の片田珠美さんは、緒方さんの「長期戦」こそ今の女性に必要な考え方という。
「特に女性は人生のステージごとに、やらなければいけないことが変わってゆく。だからこそ、その時にできることをするという気持ちでいるのは大事です。例えば介護から学んだことが仕事に生きるかもしれない。固定観念にとらわれず、柔軟に対応することはメンタルを安定させる意味でも非常に重要。目標を決めることで追い詰められることもある。緒方さんの『ゆっくり頑張る』というスタンスから学ぶことは多いでしょう」
しなやかに大胆に、世界を舞台にダイナミックに人生を駆け抜けた緒方貞子さん。次に続くのはあなたかもしれない。
※女性セブン2019年11月21日号